2022年10月10日更新

コロッセオ

コロッセオ

1.ヴァルカモニカの岩絵群  Disegni rupestri in Valcamonica

ヴァルカモニカの岩絵群は、イタリア北部のアルプスの山麓にある世界遺産登録物件。

イタリア初の世界遺産登録を果たした。

ヴァルカモニカは、アルプスの山麓のオーリオ川(Oglio)沿いに約70 kmに続いている渓谷である。

この渓谷の岩に、約1万年前に彫られたと推定されているものから、ローマ帝国時代のアルファベットの彫られた岩まで約8000年間に渡る線刻画が残っている。

彫られている線刻画の数は約14万点におよぶ。

テーマは、農耕、航海、戦争から紀元前1500年頃の集落の地図など多岐に渡り当時の生活を知る貴重な資料になっている。

住所:Via Naquane s.n., 25044 Capo di Ponte BS, イタリア [地図]



登録年: 1979年

登録区分: 文化遺産

行き方:
イタリア5大都市の一つミラノからブレーシャ経由のローカル電車でカポ・ディ・ポンテ駅へ、約2時間半~3時間ほどで到着する。

カポ・ディ・ポンテ駅から、徒歩で約20~30分でナクアネ岩壁彫刻国立公園に行くことができる。

ガイド付きツアーなどもある。

ヴァルカモニカの岩絵群に行って下さい。 Vai alle pitture rupestri in Valcamonica.

ヴァルカモニカの岩絵群はどこですか? Dove sono le pitture rupestri della Valcamonica?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2.レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院  Chiesa di Santa Maria delle Grazie e Monastero di Domenico con “Ultima Cena” di Leonardo da Vinci

レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院は、イタリアのミラノにある、ユネスコの世界遺産(文化遺産)。

ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの依頼で、レオナルド・ダ・ヴィンチがサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描いた

完成は1498年

福音書に登場する一場面として、弟子の裏切りを予言するイエス・キリストと、それを受けて動揺する弟子たちの様子を、それまでに無い写実性をもって表した。

縦4.2m・横9.1mの巨大なテンペラ画である

一点透視図法が用いられ、あたかも絵の奥のほうまで食堂がつながっているかのような錯覚を観る者に起こさせる、いわゆる錯視的演出が施されている

住所:Piazza di Santa Maria delle Grazie, 20123 Milano MI, イタリア [地図]



登録年: 1980年

登録区分: 文化遺産

TEL:+39 02 467 6111

ウェブサイト

行き方:地下鉄を利用する場合「最後の晩餐」がある「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」の最寄駅は、地下鉄M1とM2の2線が走る「CADORNA 駅」になる。

「CADORNA 駅」下車後、駅から教会までは徒歩8分〜10分ほど。

トラムを利用する場合の最寄停留所は、トラム16番の停車駅「S. Maria Delle Grazie 駅」になる。

「S. Maria Delle Grazie 駅」下車後、停留所から教会までは徒歩1分〜2分ほど。

参考URL:ミラノ 最後の晩餐 見学ガイド – チケット引き換え、入場方法、見どころ、所要時間、行き方

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に行って下さい。 Vai alla chiesa di Santa Maria delle Grazie.

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会はどこですか? Dov’è la chiesa di Santa Maria delle Grazie?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

3.ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂  Centro Storico di Roma, Stato Pontificio e Basilica di San Paolo Fouli les Mura

ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂は、イタリアのローマおよびバチカンにあるユネスコの世界遺産。

ヴェネツィア広場を中心としたエリアが登録されている。

1990年には、アウグストゥスの霊廟、ハドリアヌス帝の霊廟などが拡張登録されている。

同じく世界遺産に登録されている「バチカン市国」とも隣接し、こちらと一体となった保全活動が実施されている。

伝説によると、王の命により双子のロームルスとレムスの兄弟はテヴェレ川に流され、そこで狼に拾われて育てられた。

そのロームルスがパラティーノの丘にローマを築いたという。

実際には、紀元前7世紀頃にサビニ人、ラテン人がローマを築いた。

その後、現在まで都市として機能し続けており、都市の中の都市とローマが呼ばれる所以である。

住所:Piazza del Colosseo, 1, 00184 Roma RM, イタリア [地図]



登録年: 1980年

登録区分: 文化遺産
営業時間:09:00〜19:15
TEL:+39 02 467 6111

ウェブサイト

主な建造物(下記の外部リンクはGoogleマップを示しています。)
1.フォロ・ロマーノ

2.コロッセオ

3.コンスタンティヌスの凱旋門

4.サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂

5.サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂

6.サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂

7.カラカラ浴場

行き方:コロッセオに行くには、テルミニ駅から5番または14番のトラムに乗ってポルタ・マッジョーレに行き、下車場所から移動して3番に乗り換える。

10分~15分でコロッセオ近くの停留所に到着する。

地下鉄、バス、トラムの共通切符の有効期間は100分、24時間、48時間、72時間、1週間など種類が豊富。

コロッセオに行って下さい。 Vai al Colosseo.

コロッセオはどこですか? Dov’è il Colosseo?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

4.フィレンツェ歴史地区  Centro storico di Firenze

フィレンツェ歴史地区はイタリアの都市フィレンツェの中心部。

ユネスコの世界遺産に登録されている。

歴史的な町並みが広範囲かつ集中的に保存されており、ルネッサンスの芸術、文化を眼前にみることができる。

フィレンツェは屋根のない博物館とも表されるほど、稀有な建築物や彫刻などの芸術作品が残る。

フィレンツェはエトルリア人によって創設されローマ殖民都市がおかれた。

神聖ローマ帝国皇帝支配の時代もあったが、徐々に中小貴族や商人からなる支配体制から発展し、12世紀には事実上の自治都市となった。

以後、織物業をはじめ近郊の農産物の出荷地としてしられ、金融業も発展していった。

フィレンツェの歴史はメディチ家抜きには語れない。

14世紀には人口12万人を要する都市となるがその頃、ジョヴァンニ・ディ・ビッチが成功させた銀行業を継いだコジモ・デ・メディチは、フィレンツェの政治を支配し、学術・芸術を振興した。

多くの芸術家を庇護し、プラトン研究のアカデミーや公共図書館を設立するなどし、死後「祖国の父」と称号を贈られた。

コジモの孫のロレンツォ・デ・メディチは早くから英才教育を受け、優れた政治能力を発揮した。

自身も詩人であったロレンツォは芸術家らと親しく交わり、学問・芸術を厚く保護を行い、彼の代にルネッサンスは最高潮を迎える。

現在でもメディチ家の6つの球をあしらった紋章をあちらこちらで見ることができる。

そののちサヴォナローラの独裁などさまざまな政争を経て、16世紀にフィレンツェはトスカーナ大公国となる。

13世紀から16世紀にかけての繁栄の中で残された歴史的建造物は、いまでも大切に保存されフィレンツェ歴史地区をかたちづくっている。

ロッジア・デイ・ランツィやポンテ・ヴェッキオは中世商業都市を象徴し、パラッツォ・ヴェッキオ、シニョリーア広場は自治の歴史を思い起こさせる。

またウフィツィ美術館はルネッサンス芸術の宝庫、ピッティ宮は大公国時代の華麗な遺産である。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、フィレンツェ全盛期の歴史をみまもってきた。

地区全体が歴史遺産として登録された理由はたゆまない都市建設の偉業によってである。

住所:Piazza del Duomo, 50122 Firenze FI, イタリア [地図]

登録年: 1982年
登録区分: 文化遺産
TEL:+39 055 230 2885

ウェブサイト

主な建造物(下記の外部リンクはGoogleマップを示しています。)
1.
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

2.ヴェッキオ宮殿

3.ウフィツィ美術館

4.ピッティ宮殿

5.ボーボリ庭園

6.サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

7.サンタ・クローチェ聖堂

行き方:日本からフィレンツェまでの直行便がないため、イタリア国内からはローマやミラノから乗り継ぐ。

イタリア国内線の飛行機を利用する場合は、大体1時間ほど。

ローマから高速列車で約1時間30分、高速バスで4時間で着き、ミラノからは高速列車で約2時間、高速バスで4時間ほど。

フィレンツェ歴史地区に行って下さい。 Vai al Centro Storico di Firenze.

フィレンツェ歴史地区はどこですか? Dov’è il Centro Storico di Firenze?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

5.ヴェネツィアとその潟  Venezia e la sua laguna

ヴェネツィアとその潟は、イタリアのヴェネツィアの世界遺産。

ヴェネツィアは、5世紀頃、ゲルマン族の進入から逃れるために、当時湿地帯に街を作ったのが始まりといわれている。

その後、海洋貿易での立国を目指した。

十字軍の遠征による権益の拡大、ジェノヴァ共和国との戦争で繁栄は最高潮を迎えた。

また、ルネッサンス時代には、ヴェネツィア派と呼ばれる画家を輩出した。

アドリア海の女王とうたわれたヴェネツィアも他のヨーロッパ諸国が地中海貿易に進出するに至った上に、大航海時代が始まり、アメリカ大陸や日本の発見などによって貿易の中心が大西洋や太平洋といった外海に移った事によって衰退に向かう。

18世紀には一年の半分をカーニバルで過ごす歓楽の都と化してしまった。

ヴェネツィアの街は100以上の島々が、およそ400の橋と150をこえる大小の運河で結ばれている。

潟の上になるヴェネツィアは、常に治水対策が重要課題であった。

近年は、丸太の杭を潟に打ち付けてそれを建物の土台にする工法の最大の欠点(時間が経つにつれ沈下する事を免れない)と、地下水の汲み上げによる地盤沈下が大問題となっている。

更にそれに追い討ちを掛けるように地球温暖化による海面上昇により、水没の危機にさらされている。

ヴェネツィアの中心街にある建築物以外にも、ヴェネツィアン・グラスで有名なムラーノ島、レース編みで有名なブラーノ島、島全体が墓所となっているサン・ミケーレ島も世界遺産物件として登録されている。

住所:P.za San Marco, 30100 Venezia VE, イタリア [地図]


登録年: 1987年

登録区分: 文化遺産

主な建造物と島(下記の外部リンクはGoogleマップを示しています。)
1.
サン・マルコ広場

2.サン・マルコ大聖堂

3.ドゥカーレ宮殿

4.カナル・グランデ

5.リアルト橋

6.フランケッティ美術館

7.ムラーノ島

8.ブラーノ島

行き方:マルコ・ポーロ空港はヴェニス中心部から約12km北東に位置する。

正式名称はヴェネツィア・テッセラ空港。

通称はヴェニス出身の冒険家マルコ・ポーロによる。

島内中心部は自動車乗り入れ不可のため移動手段は徒歩か水上バスとなる。

参考URL:マルコ・ポーロ空港

サン・マルコ広場に行って下さい。 Vai a Piazza San Marco.

サン・マルコ広場はどこですか? Dov’è Piazza San Marco?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』