2022年12月1日更新

アミアン大聖堂

アミアン大聖堂

6.アミアン大聖堂  Cathédrale d’Amiens

アミアンのノートルダム大聖堂は、フランスの北部都市アミアンにあるカトリック教会の聖堂。

「アミアンにおける我らが貴婦人(聖母マリア)の大聖堂」という意味。

しばしばアミアン大聖堂と略称される。

1981年、ユネスコの世界遺産に登録された。

完全なものとしてはフランスで最も高い大聖堂である。

室内空間もフランスで最も大きく、約200,000立方メートルに及ぶ。身廊のヴォールトは高さが42.30メートルあり、フランスで最も高いものである

この記念碑的大聖堂があるアミアンはピカルディの主要都市で、パリから100キロメートル以上北に行ったところにあるソンム川渓谷にある。

このゴシック様式の大聖堂の建築に関しては資料が不足している。

参事会の公文所保管所を破壊した1218年の火事と、大聖堂そのものにダメージを与えた1258年の2度目の火事の結果と思われる。

司教エブラール・ド・フイイが、1220年に大聖堂の建設事業を開始し、ロベール・ド・リュザルシュが1228年まで建築家を務め、トマ・ド・コルモンが1258年までこれを引き継ぎ、さらに彼の息子のルノー・ド・コルモンが、1288年まで建築家を務めた。

コルビーの年代記には、大聖堂の完成は1266年だと記録されているが、仕上げ作業はその後も続いた。

13世紀末には、大聖堂の建築に携わった建築家たちの名誉を称えるため迷路模様の敷石を床に施す慣例があり、アミアン大聖堂では1288年に上記の建築家、建築主の肖像が刻まれた敷石が設置され、最終的な完成とされた

アミアン大聖堂には数多くの優れた装飾や彫像を見ることができ、その多くはこの大聖堂が捧げられた聖母マリアを中心に施されている

正面中央の扉口(ポルタイユ)には最後の審判が描かれ、その南側に聖母マリアの扉口、北側には聖フィルマンなどの聖人たちが描かれている扉口がある。

ティンパヌムや扶壁にも多くの彫像が見られ、バラ窓の下にはユダヤ王のギャラリーがある。

大聖堂にはバプテスマのヨハネの頭部といわれるものも存在する。

この聖遺物は、第4回十字軍から帰還する際、コンスタンティノープルからワロン・ド・サルトンがもたらした。

夏の夜と新年に行われる、ソン・エ・リュミエールとよばれる音と光のショーでは、大聖堂のファサードを照らす。

その際には、彫像が塗られたオリジナルの色を見ることができる。

アミアンのシステムは、他に比べて細部が豊かであり、即座に人を惹きつける魅力を持っている。

1218年の火災後から工事が始まった際に、最初の建築家ローペル・ド・リュザルシュは、ファサードを含む教会堂全体の設計を行い、その結果1236年には既に外陣とトランセプトの側廊が完成していた。

そして同建築家が内陣の側廊、周歩廊、さらに礼拝室の工事に関与した可能性があり、内陣とトランセプトの大アーケードより上の部分には、様式上の変化がみられ、このことより、上部は同建築家の後継者トマ・ド・コルモンとその息子であるレニョー・ド・コルモンによるものだと断定されている。

外陣の側廊の最初の姿を考えるには、礼拝室を取り除かねばならないのだが、これらの礼拝室は外側に大きく突出した控壁の間に存在し、これは1292年以降に加えられたものである。

つまり教会堂の外観は過激なまでに変化している。

側廊の当初の窓は単純なトレーサリであったが、礼拝室がない状態で側廊を内側からみると、完全に閉じ込められた印象を与えるものである。

中央の身廊は、とりわけ側廊からみると、現在のものより、ずっと圧倒的である。

外陣に入ると、高くて長い印象があり、同時にピアの列に眼を奪われる。

それぞれのピアの半分が次のピアに視覚的に重なるため、まるで舞台の袖の並びのようであり、側廊の存在は単に暗示されるだけのものとなってしまう。

住所:30 Place Notre Dame, 80000 Amiens, フランス [地図]


登録年: 1981年

登録区分: 文化遺産
営業時間:08:30〜17:15
電話番号:+33 3 22 80 03 41
ウェブサイト

行き方:パリからの行き方は、パリ北駅 (Gare du Nord)からフランス国鉄SNCF急行に乗車し、アミアン駅 (Gare d’Amiens)で下車して、徒歩約11分(約900m)。

参考URL:パリから日帰りで世界遺産のアミアン大聖堂へ行く方法

アミアン大聖堂に行って下さい。 Rendez-vous à la cathédrale d’Amiens.

アミアン大聖堂はどこですか? Où se trouve la cathédrale d’Amiens ?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

7.アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群  Arles Ruines romaines et édifices romans

アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」は、フランス・プロヴァンス地方にあるユネスコ世界遺産。

アルルは、古代ローマ時代にはプロヴァンス屈指の大都市として繁栄した時期があり、市内の随所に当時の遺跡がある。

また、中世にはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のうち、南仏を通るトゥールーズの道の始点になっていたことから、巡礼者たちで賑わった。

世界遺産に登録されたのは、これらの時代をしのばせる古代ローマ時代の遺跡・遺構7件とロマネスク期の教会が1件である。

このうちアリスカンのサン=トノラ教会跡の遺構は世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部として、重複して登録されている。

住所:1 Rdpt des Arènes, 13200 Arles, フランス [地図]


登録年: 1981年

登録区分: 文化遺産
電話番号:+33 891 70 03 70
ウェブサイト

主な登録物(下記の外部リンクはGoogleマップを示しています。)

1.円形闘技場

2.古代劇場

3.地下回廊とフォルム

4.コンスタンティヌスの公衆浴場

5.ローマの城壁

6.アリスカン

7.サン=トロフィーム教会

8.小集会場

行き方:パリから高速列車(TGV DUPLEX)で行く場合は、パリ・リヨン駅から列車で約4時間乗車しアルルで下車。

参考URL:アルルへの行き方・アクセス

アルルの円形闘技場に行って下さい。 Rendez-vous aux Arènes d’Arles.

アルルの円形闘技場はどこですか? Où se trouve l’Amphithéâtre d’Arles ?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

8.オランジュのローマ劇場とその周辺及び「凱旋門」  Le Théâtre Antique d’Orange et ses environs et “l’Arc de Triomphe”

オランジュのローマ劇場とその周辺及び「凱旋門」は、南フランスプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏ヴォクリューズ県の町オランジュにある、ユネスコの世界遺産。

特に劇場は他の都市の同種の遺跡に比べて保存状態がよいことで知られている。

ローマ劇場は古代劇場とも呼ばれる。

1世紀、アウグストゥスの治世下で建造されたものであり、1951年に3.55メートルのアウグストゥス像も発見された。

この像は、現在はもともと置かれていた場所と推測される壁龕に納められている。

この劇場の収容人数は8000人から10000人程度だったと推測されている。

4世紀には劇場は放棄されて廃墟となったが、中世には防衛拠点としても用いられた。

1825年からはプロスペル・メリメの発案による修復計画が着手され、建築家シモン=クロード・コンスタン=デュフーに委託された。

1869年からは毎年夏に芸術祭が開催されている。

当初「ローマ祭」 と名付けられていた祭りは1902年にコレジーと改称され、現在に引き継がれている(コレジーはギリシャ語で「舞踏」などの意味)。

オランジュの凱旋門は、かつてのアグリッパ街道(リヨンとアルルを結んでいた)の途上に、紀元前20年頃に建てられたものである。

古代劇場や現市庁舎のある区画からは少し北に外れた場所にある。

刻まれたレリーフの中では、特にガリア人とローマ人の戦闘や戦利品などが描かれた北面の保存状態が良好である。

住所:Rue Madeleine Roch, 84100 Orange, フランス [地図]


登録年: 1981年

登録区分: 文化遺産
営業時間:09:00〜19:00、09:00〜18:00(木曜日、金曜日)、09:00〜18:30(水曜日)
電話番号:+33 4 90 51 17 60
ウェブサイト

行き方:日本からオランジュへの直行便は出ていないため、パリ経由が一般的。

パリまでの所要時間は13時間弱です。

フランス国内の移動は列車が便利なのでおすすめ。

パリからの所要時間は、およそ3時間半。

パリ以外にも、リヨンやマルセイユなどの主要都市や、アヴィニョンやモンテリマールなどの近郊の都市から列車で行くこともできる。

参考URL:美しい遺跡が残る南フランスの町オランジュの世界遺産をご紹介します!

オランジュのローマ劇場に行って下さい。 Rendez-vous au Théâtre Antique d’Orange.

オランジュのローマ劇場はどこですか? Où se trouve le Théâtre Antique d’Orange ?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

9.フォンテーヌブローの宮殿と庭園  Château et jardins de Fontainebleau

フォンテーヌブロー宮殿はセーヌ=エ=マルヌ県フォンテーヌブローにある、フランスで最も大きな宮殿。

フォンテーヌブロー城(城館)とも呼ばれる。「フォンテンブロー」とも表記する

宮殿の現在の姿は多くのフランス王による築城の結実であり、基本的な建築構造はフランソワ1世による。

建物は中庭を囲むように広がり、フォンテーヌブローの街がかつての王の狩猟場(フォンテーヌブローの森)跡を取り囲むように発展している。

宮殿の内装や庭は、フランスにイタリアのマニエリスム様式を導入しフランス風に解釈しなおしたものである。

16世紀のフランスにおけるマニエリスム様式の室内装飾は「フォンテーヌブロー様式」として知られている。

これは彫刻、金工、絵画、漆喰装飾、木工を組み合わせ、屋外庭園には図案化した花壇のパルテアなどを取り入れたものである。

フォンテーヌブロー様式では寓意的な絵が漆喰のモールドに使われている。

アラベスクやグロテスクも取り入れられ、縁取りはまるで皮か紙であるかのように、切り口が巻き上がった形に仕上げられている。

フォンテーヌブローにおける女性美の表現は「マンネリ」である。

小さくてこぎれいな顔と長い首、過度に長い胴や四肢、小さくて高い位置にある胸、といった類であり、後期ゴシックの美の表現へほぼ回帰している。

フォンテーヌブローにおける新しさは洗練された細かな彫刻の意匠にあり、これらは鑑定家や芸術家の間に広がっていった。

フォンテーヌブロー派による彫刻を通して、この新しいスタイルは他のヨーロッパ中北部、アントウェルペンを筆頭に、ドイツ、ついにはロンドンにまで波及した。

住所:77300 Fontainebleau, フランス [地図]


登録年: 1981年

登録区分: 文化遺産
営業時間:09:30〜17:00、休日(火曜日)
電話番号:+33 1 60 71 50 70
ウェブサイト

行き方:パリから電車で行く場合は、最寄り駅のFontainebleau Avonフォンテーヌブロー・アヴォンで降車し、バスに乗り換える

パリのGare de Lyonガール・ドゥ・リヨン駅からTER(快速・普通列車)でFontainebleau Avonフォンテーヌブロー・アヴォン駅まで快速で約35分、各駅停車で約1時間。

東口にあるFontainebleau Avonフォンテーヌブロー・アヴォン駅のバス停から停留所Châteauシャトーまで約15分。

2番のバス停から、1番系統「1Les Lilas」行きのバスに乗ればOK

参考URL:世界遺産フォンテーヌブローの行き方・見どころ徹底ガイド《パリから日帰り観光》

フォンテーヌブロー宮殿に行って下さい。 Rendez-vous au château de Fontainebleau.

フォンテーヌブロー宮殿はどこですか? Où se trouve le château de Fontainebleau ?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

10.フォントネーのシトー会修道院  Abbaye de Fontenay

フォントネー修道院はブルゴーニュ地方コート=ドール県モンバール市内にある修道院。

サン=ベルナール渓谷とフォントネー川の合流点にあたる森の中で静かにたたずむ最古のシトー会修道院で、外観・内装とも華美な装飾性を一切排している。

フォントネー修道院は1118年にクレルヴォーのベルナルドゥスによって設立され、1147年にローマ教皇エウゲニウス3世によって聖別された。

教皇アレクサンデル3世は、1170年の勅書において修道院の財産を確認し、修道士たちが選挙によって修道院長を選出することも許可した。

この頃に修道院では、近隣で採れる鉱物を用いた製鉄業や冶金業が発達した。

1259年にはフランス王ルイ9世があらゆる収税権を免除した。

1269年には修道院は王国修道院 となり、ジャン2世、シャルル8世、ルイ12世らも寄進を継続した。

こうした王家の保護にもかかわらず、ブルゴーニュ地方を荒らした数度の戦乱の折には略奪の憂き目にも遭った。

それでも16世紀までは伸長する諸勢力から恩恵を受けつつ発展した。

しかし、王家の利益となるように修道院長選挙の廃止が強制されたことで、修道院の凋落が始まった。

18世紀には、修道士たちは資金的な遣り繰りに窮し、食堂を取り壊さざるを得なかった。

そしてフランス革命中の1791年には、修道院は敷地ごとクロード・ユゴーに78000フランで売却され、以降100年ほどの間、製紙工場に転用されていた。

なお、1820年に所有権はモンゴルフィエ兄弟の一族であるエリー・ド・モンゴルフィエに移った。

1906年にはリヨンの銀行家で芸術愛好者だったエドゥアール・エイナールの手に渡った。

彼は1911年までかつての修道院の姿を取り戻させるべく修復工事を行い、製紙工場も解体した。

フォントネー修道院は現在でもエイナール家の私有物だが、主要部分は観光客にも公開されている。

住所:21500 Montbard, フランス [地図]


登録年: 1981年

登録区分: 文化遺産
営業時間:10:00〜18:00
電話番号:+33 3 80 92 15 00
ウェブサイト

行き方:世界遺産「フォントネーのシトー会修道院」の最寄りとなるのはモンバール(Montbard)です。

パリのリヨン駅からTGVの直通列車を利用すれば、1時間程でアクセスできる。

モンバール駅からはタクシーを利用すると便利。

距離はおよそ6km、所要時間は15分です。

参考URL:厳格なシトー派の真髄!フランスの世界遺産フォントネーのシトー会修道院

フォントネーのシトー会修道院に行って下さい。 Rendez-vous au Monastère de l’Abbaye de Fontenay.

フォントネーのシトー会修道院はどこですか? Où se trouve Abbaye de Fontenay ?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』