2023年11月24日更新

ピサの斜塔

ピサの斜塔

6.ピサのドゥオモ広場  Piazza del Duomo a Pisa

ピサのドゥオモ広場は、イタリアにある世界遺産。

世界遺産に登録されたのは、ピサのはずれにあるドゥオモ広場に建つ、洗礼堂、大聖堂、鐘楼、墓所回廊の4つである。

ピサのこのころの繁栄を象徴した建物群である。

特に鐘楼はピサの斜塔として有名。

ピサのドゥオモ広場は、ピアッツァ・デイ・ミラーコリ (Piazza dei Miracoli) やカンポ・デイ・ミラーコリ (Campo dei Miracoli) とも呼ばれ、奇跡の広場という意味である。

住所:Piazza del Duomo, 56126 Pisa PI, イタリア [地図]


登録年: 1987年

登録区分: 文化遺産
営業時間:09:00〜20:00、09:00〜22:00(金曜日、土曜日、日曜日)
TEL:+39 050 835011

ウェブサイト

主な建造物(下記の外部リンクはGoogleマップを示しています。)

1.鐘楼(ピサの斜塔)

2.大聖堂(ドゥオモ)

3.洗礼堂

4.墓所(カンポサント)

5.附属美術館

行き方:フィレンツェSMN駅(中央駅)からLIVORNO(リヴォルノ)またはPisa(ピサ)方面行きの普通列車か快速列車に乗り、約1時間でピサセントラル駅へ行ける。

ピサセントラル駅からピサの斜塔へは、バスを利用したら約10分、徒歩なら約20分で到着する。

参考URL:ピサの斜塔へはどうやって行く?アクセス方法&おすすめ観光情報

ピサの斜塔に行って下さい。 Vai alla Torre Pendente di Pisa.

ピサの斜塔はどこですか? Dov’è la Torre Pendente di Pisa?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

7.サン・ジミニャーノ歴史地区  Centro storico di San Giminiano

サン・ジミニャーノ歴史地区はイタリアのコムーネ、サン・ジミニャーノにある中世の街並を残す地区。

ユネスコの世界遺産に登録されている。

標高324m の丘の上にある塔の街として知られる。

サン・ジミニャーノはローマに近くフィレンツェから 50km 程南に位置している。

街の名前は398年になくなったモデナの司教、聖ジミニャーノからとられた。

町の発展はフランチジェーナ街道の建設に始まる。

地理的にフランチジェーナ街道とピサーナ街道の合流地点に位置する流通の主要拠点であり、また、聖ジミニャーノの遺物「指と指輪」が安置された聖堂への巡礼者が多く訪れる街として繁栄した。

街は城壁で取り囲まれ、街そのものが裕福であったため芸術家が多く住まい、シエナ派の芸術家を多く輩出している。

1150年にコムーネとして成立。

街には以前から防衛のための塔が建設されており、13世紀に入り街が繁栄したことで、貴族の権力の象徴としての塔建設が次々と行われ、50mを超える物を含む72もの塔が街内に建設された。

教皇派と皇帝派に分かれて、より高く、美しい塔を建てることを貴族同士競い合った。

当時は防衛や監視のためイタリアの他の都市でもこういった塔の建設が行われていた。

その後、ペストの流行と内部での権力争いによって町が衰退し、1353年にフィレンツェ共和国に組み入れられる。

一時はフィレンツェとシエナの前線基地とされたが1555年にシエナがフィレンツェに降伏し、さらにフランチジェーナ街道が利用されなくなったことで交通の拠点からも離れ、サン・ジミニャーノは廃れた街となった。

他の多くの街では塔は不要なものとして解体され、街の再開発が行われたが、サン・ジミニャーノは経済的な余裕もなく、寂れていたため戦争などに巻き込まれることもなく、塔も町並みも13世紀から14世紀の状態を良く残している。

現在残っている塔の数は14。街並、城壁を含めて地区として世界遺産に登録された。

地区内には12世紀 – 14世紀頃に建設された建築物が林立している。

[地図]


登録年: 1990年

登録区分: 文化遺産

主な文化遺産(下記の外部リンクはGoogleマップを示しています。)

1.サン・ジョバンニ門

2.ドゥオーモ広場

3.ドゥオーモ

4.チステルナ広場

5.市立美術館

6.サンタゴスティーノ教会

7.ロッカ

行き方:フィレンツェからはシエナやサンジミニャーノへバスで安く行くことができる。

バスはSITA(シータ社)/Tiemme(旧TRA.IN. トレイン社)というバス会社が運行している。

バスはフィレンツェ中央駅(SMN駅)の西側にあるSITAバス・ターミナル駅から発着する。

時刻表もバスターミナル内で確認でき、チケットも購入可能。

参考URL:サンジミニャーノ行きバス

サン・ジミニャーノに行って下さい。 Vai a San Gimignano.

サン・ジミニャーノはどこですか? Dov’è San Gimignano?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

8.マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園  Parco delle grotte e delle chiese rupestri di Matera

マテーラの洞窟住居は、イタリアのバジリカータ州の町マテーラにあるユネスコの世界遺産。

サッシ(石・岩を意味するサッソの複数形)は、マテーラにおいて洞窟住居を意味する。

マテーラのあるグラヴィナ渓谷は石灰岩の侵食により形成され、渓谷にはこのサッシが何層にも重なって存在している。

このサッシがいつ頃から作られたかは不明だが、8世紀から13世紀にかけて、東方からイスラム勢力を逃れた修道僧が住み着き、130以上の洞窟住居を構えていたといわれている。

マテーラ周囲からは、旧石器時代の出土品も発見されているため、かなり古くから人々が住んでいたと考えられている。

15世紀から16世紀には、オスマン帝国に追われたアルバニア人やセルビア人などが移住。

当時マテーラを支配していたアランゴーナ家は、この地域をジャンカルロ・トラマンターノ伯爵に売り渡す。

トラマンターノ伯爵は、マテーラに重税を課すが、住民はこれに反発し伯爵を惨殺する。

その後、マテーラは1663年にバジリカータの州都となり繁栄期を迎える。

しかし1806年にポテンツァに州都が移され、その後の経済逼迫の影響もあり衰退していく。

その後、長らく小作農民の住居であったサッシは、南イタリアの貧しさの象徴的な見方がなされた。

19世紀までは比較的快適な住環境であったが、20世紀初頭より、人口が急速に増加し、元々は畜舎であった採光も水の流れも劣悪な洞窟も住居として使用されるようになった。

そのため衛生状態も極度に悪化し、乳児の死亡率は50%に達した。

行政当局としてもこの状態を放置できなくなり、1950年代に法整備を行い、これにもとづきマテーラ郊外に新たな集合住宅を建設し、サッシ地区の住民を強制的に移住させた。

その数は約1万5,000人に上る。

この結果、サッシ地区は無人の廃墟と化す。

しかし150以上の石窟聖堂や3,000戸ほどの洞穴住居、地下水路で各戸の貯水槽に上水を供給するシステムなど、ユニークな文化的資産が見直され、1993年にユネスコの世界文化遺産に指定された。

これを契機に訪れる観光客も増え、これを対象とした宿泊施設、食堂、工芸品の販売店などが増え、現在は洞窟住居の5分の1ほどが再利用されている

住所:イタリア 〒75100, Province of Matera, Matera [地図]


登録年: 1993年

登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業
TEL:+39 378 301 2970

ウェブサイト

行き方:日本からマテーラに行く行き方で、一番簡単なのは飛行機でイタリアのバーリ空港を目指すことです。

バーリ空港からはマテーラまでシャトルバスが1日4往復ほどある。

バーリ空港からマテーラまでは1時間半です。

イタリア国内から陸路でバーリ駅を目指し、バーリ駅から電車でマテーラに行く場合は、バーリ中央駅で降りたら、その隣にある私鉄のバーリ・ノルド駅からさらに電車に乗る。

バーリ・ノルド駅からマテーラ中央駅までは1時間半ほどです。

電車は1日14本ほどあり、6本は直通ですが、各駅停車の場合はアルタ・ムーラ駅で乗り換える。

参考URL:マテーラはイタリア南部の世界遺産の街!観光の見どころや行き方などを解説

マテーラの洞窟住居に行って下さい。 Vai alla dimora rupestre di Matera.

マテーラの洞窟住居はどこですか? Dov’è la dimora rupestre di Matera?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

9.ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオのヴィッラ  Villa del Palladio nella città di Vicenza e nel Veneto

ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオのヴィッラは、イタリアの都市ヴィチェンツァとヴェネト州一帯にあるユネスコの世界遺産。

登録は1994年。1996年には拡張され、建築物が追加された。

16世紀に活躍した建築家アンドレーア・パッラーディオの設計したパラッツォおよびヴィッラを対象とする。

ヴィチェンツァは、紀元前2世紀から紀元前1世紀に建設されたローマの都市ウィケティアが起源となっている。

他の北イタリアの都市と同じように、13世紀にはコムーネを組織し、近隣の都市国家と闘争を繰り広げたが、15世紀にヴェネツィア共和国の統治下におかれたことで、平和と経済的繁栄がもたらされ、卓越した芸術活動を生み出すことになった。

世界遺産に登録されている物件は、建築家アンドレーア・パッラーディオと彼の弟子ヴィンチェンツォ・スカモッツィの手によるものである。

パッラーディオはイタリアの偉大な建築家のひとりで、彼の作品が多く残るヴィチェンツァは「パッラーディオの街」と呼ばれる。

パッラーディオはルネサンス期で最初の職業建築家であり、設計した建築物や著作に由来するスタイルは、後にパッラーディオ主義と呼ばれ、ヴェネツィア共和国をはじめ、ドイツ、ロシア、そしてイギリス、1760年代以後にはアメリカ合衆国にまで広がりを見せた。

このように、一個人の名を冠する建築様式はほかになく、彼がいかに独創性豊かで一貫したスタイルを保ち続けたかが分かる。

古代遺跡に関する知識と、ドナト・ブラマンテやヤーコポ・サンソヴィーノ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ジュリオ・ロマーノ、そしてヴェネツィアのビザンティン建築からの影響を受けたパッラーディオのスタイルは、いくぶんマニエリスム的な部分もあるためか、後に新古典主義の理論家・建築家らによって純粋でないと評された。

しかし、ゲーテなどは、イタリア紀行の途中でヴィチェンツァの町並みに触れ、パッラーディオの能力を高く評価している。

パッラーディオは公共建築や宗教建築の設計も行ったが、終始一貫して取り組んだ建築がヴィッラであり、その作品の数も多い。

そして後世、20世紀に至るまで影響を与え続けたのも、このヴィッラであった。

これらの事柄を考慮し、1994年、ヴェネト地方に点在するパッラーディオ設計のヴィッラが世界遺産として登録された。

[地図]


登録年: 1994年

登録区分: 文化遺産

行き方:ヴェネツィアからはFrecciarossaで43分、RV(急行電車)で45分、R(各停)で1時間15分。

ヴェローナからはFrecciarossaで24分、RV(急行電車)で39分、R(各停)で54分。

ヴェネツィアやヴェローナからヴィチェンツァへ行く場合、全席指定のFrecciarossaと、各駅停車の値段で予約なしに乗車できるRVという急行電車は、運賃に差があるわりには、所要時間がそれほどは変わらないので、RVの利用がお得。

ミラノからはFrecciarossaで1時間39分。

Frecciarossaを使えば、ミラノからでも十分日帰り圏内です。

参考URL:ヴィチェンツァ観光の基本情報 行き方・歩き方・おすすめガイド本

ヴィチェンツァに行って下さい。 Per favore, vai a Vicenza.

ヴィチェンツァはどこですか? Dove si trova Vicenza?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

10.クレスピ・ダッダ  Crespi d’Adda

クレスピ・ダッダは、イタリア共和国ロンバルディア州ベルガモ県カプリアーテ・サン・ジェルヴァージオというコムーネにある、労働者のための町の名前である。

19世紀にクリストフォロ・ベニーニョ・クレスピにより労働者のための理想郷としてアッダ川とブレンボ川が合流する三角地帯に建設された。

1995年にユネスコの世界遺産に登録された。

[地図]


登録年: 1995年

登録区分: 文化遺産

行き方:ベルガモ駅近くにあるLocatelli社のバスに乗り途中1度乗り換えて約1時間ほどで到着。

バスは本数が少ないので、ベルガモ市内からタクシーで行くのがおすすめ。

またはガイド付きツアーなどに参加してクレスピ・ダッタへ入村するのも良い。

クレスピ・ダッダに行って下さい。 Vai a Crespi d’Adda.

クレスピ・ダッダはどこですか? Dove si trova Crespi d’Adda?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』