2024年5月21日掲載
1.コパンのマヤ遺跡 Ruinas mayas de Copán
コパン(スペイン語:Copán)は、ホンジュラス西部、現在のコパン・ルイナスに隣接する古典期マヤの大都市。
1980年にユネスコの世界遺産に登録された。
モタグア川支流のコパン川に沿ったコパン谷では、B.C.1400年ごろから人類が集落を形成して居住していたことがわかっている。
また、最近の研究では、このころに居住した人々はマヤ語系の言語を使用しない民族ではなかったかとの説もある。
古典期の、いわゆるコパン王朝の前に先コパン王朝があったかどうかはわかっていない。
紀元前900~800年頃までには、谷間の内部で社会階層化が進んだと思われる。
ラス・セプルトゥラス地区では、豪華なヒスイの首飾りや「オルメカ・モティーフ」を持つ土器や土偶を副葬品として持つ支配層の埋葬跡が見つかっている。
古典期のコパン王朝は A.D.435 年のキニチ・ヤシュ・クック・モ・チャン・ヨアートの即位に始まる。
祭壇Qに描かれているこの王の姿は、彼がメキシコ高原の文化の強い影響下にあったことをしめしており、テオティワカンとなんらかの関係があった人物だと考えられている。
当時、テオティワカンと関係が深かったティカルから送られた人物との説もある。
キニチ・ヤシュ・クック・モ・チャン・ヨアートの後に続く数人の王の業績はわかっていないことが多い。
第7代の睡蓮ジャガーが現在グラン・プラサと呼ばれているコパンの中心部を現在の形に整えた。
西暦553年に即位した10代目の王から13代目の王の時代まで4人の王が185年間安定した政治を行い、マヤ地域の東南に位置するコパン王朝がマヤ文明を代表する一大王国へと発展した。
西暦578年に即位した11代目王の治世に、アクロポリス内の建造物が拡張されるとともに、コパンから北東に約50キロ離れた地域にエル・プエンナを築き、政治的勢力拡張を図ったとみられている。
西暦628年に即位した12代目王は67年間治世を行い、支配域をコパン谷から外へ広げ、コパンの全盛期を誇った。
古典期のコパンの文化が花を開くのは A.D.695 年に即位した第 13 代の王ワシャック・ラフン・ウバク・カウィールの時代である。
この時代にコパンでは、他のマヤ地域には見られない高浮き彫りや丸彫りの技術が生み出され、コパン独特の様式を持つ石像彫刻が多く作られる。
また、政治的にも絶頂期を迎え、数々の衛星都市を従えた大都市となる。
しかし、ワシャック・ラフン・ウバク・カウィールの統治期に衛星都市のひとつであったキリグアの反乱が発生する。
当時のキリグアの王カック・ティリウ・チャン・ヨアートは A.D.724 年にワシャック・ラフン・ウバク・カウィールの後見の下で即位したことがキリグアの石碑Eに示されているが、カック・ティリウ・チャン・ヨアートの即位から 14 年後の 738 年にキリグアはコパンに対して反乱を起こし、コパンに勝利する。
このとき、ワシャック・ラフン・ウバク・カウィールはとらえられ斬首されたことがキリグアの石碑Jに言及されている。
当時のコパンはマヤ地域の超大国であり、一方、キリグアはコパンに従属する王国に過ぎなかったのだが、この反乱によりモタグア川流域の覇権はキリグアに移ってしまう。
この後、キリグアではコパンを模した造成がおこなわれ、またカック・ティリウ・チャン・ヨアートはコパンの紋章文字を用い、自らをコパンの第 14 代王と名乗り始める。
このことからマヤの優越王-従属王の関係が絶対的なものではなく、従属王が優越王へとのし上がることができる流動的なものであったことがわかる。
ワシャック・ラフン・ウバク・カウィールの斬首のあと、コパンは急速に衰え始める。
第 15 代の王カック・イピヤフ・チャン・カウィールは神聖文字の階段を建設しコパンの復興を試みるが、一見壮大なこの建造物も内部の詰め土は以前の建造物に比べると脆弱なものであることがわかっている。
また第 16 代の王ヤシュ・パッサフ・チャン・ヨアートは祭壇Qによりコパン王朝の正当性を表現するが、この 16 代王が事実上コパン王朝の最後の王である。
A.D.822 年の祭壇Lには第 17 代の王ウキト・トークの即位が、祭壇Qと同じ図式で 16 代王から 17 代王に王権が渡される様子が表されているが、この石碑は直方体の1面しか彫刻されておらず、完成の前に王朝が崩壊したことを示している。
住所:ホンジュラス [地図]
360°写真(コパン・ルイナス)
登録年: 1980年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:00〜16:00
行き方:コパン遺跡へはサン・ペドロ・スーラから定期バスでコパン・ルイナスの町までいき、そこから徒歩で訪問可能。
また、グアテマラからエル・フロリド国境を越えて訪れる方法もある。
コパン・ルイナスには一泊 100 レンピラ程度の宿から、プール付きのホテルまで、宿泊施設は豊富にある。
外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年4月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:中米ホンジュラスの世界遺産、繊細な彫刻が特徴のコパンのマヤ遺跡
コパン遺跡に行って下さい。 Ve a las ruinas de Copán.
コパン遺跡はどこですか? ¿Dónde están las ruinas de Copán?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2.リオ・プラタノ生物圏保護区 Reserva de la Biosfera Río Plátano
リオ・プラタノ生物圏保護区(リオ・プラタノせいぶつけんほごく)は、ホンジュラスのカリブ海に面した生物圏保護区である。
その名の通り、プラタノ川(リオ・プラタノ)流域を対象とした保護区で、グラシアス・ア・ディオス県、コロン県、オランチョ県にまたがっており、この国最大の熱帯雨林地域を含んでいる。
1980年にユネスコの生物圏保護区、1982年にユネスコの世界遺産に登録された。
プラタノ川は全長100kmの川で、流域にはホンジュラス最大の熱帯雨林が残る。
16世紀以降スペイン人らがアメリカ大陸に入植したあとも、熱心に開拓されることはなく、先住民族のミスキート人、ガリフナ、タワカ、ペチ人らが細々と暮らす余り人の分け入らない地として、その環境が守られてきた。
流域には熱帯雨林、サバナ、湿地帯、川辺のマングローブ林、山地のマツ林など、多彩な植生になっているが、平地は少なく、登録地域の90%が山地である。
植物種はライトヤシ、マホガニー、ゲッケイジュ、カラパ、フミヨマツが多い。
住所:G6MC+4FW, Okra Bank, ホンジュラス [地図]
360°写真(Reserva de la biosfera de Río Plátano)
登録年: 1982年
登録区分: 自然遺産
ウェブサイト:
行き方:日本からホンジュラスまでの直行便はないため、アメリカの都市で乗り継ぎ、ホンジュラスの首都テグシガルパまで空路で行きます。
そこから国内線でラ・セイバまで約50分です。
外務省海外安全ホームページでは不要不急の渡航中止地域です。(2024年4月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:自然と文化が共存するホンジュラスの世界遺産!リオ・プラタノ生物圏保護区
リオ・プラタノ生物圏保護区に行って下さい。 Visita la Reserva de la Biosfera Río Plátano.
リオ・プラタノ生物圏保護区はどこですか? ¿Dónde está la Reserva de la Biosfera Río Plátano?