2022年3月12日更新

慶州

慶州

「朝鮮の歴史を考えるために」

先史時代・古朝鮮時代

朝鮮の先史時代は、人類が朝鮮半島に現れた時代のうち文字が存在しない時期を言う。

朝鮮半島の先史時代は、ヨーロッパの地中海地域とは別にクリスチャン・トムセンが定義した「三時代体系(朝鮮語版)」に区分するのが難しく、考古学的、地質学的、古生物学的研究に依存する。

一般的に歴史及び考古学の時代区分によると、石器時代に該当し、石器時代は発掘される遺跡の性格により旧石器時代、中石器時代、新石器時代に分かれる。

・旧石器時代

この時期の起源を比べてみると、原始人類が朝鮮半島に現れ始めていて、紀元前50万年前に遡る。

旧石器時代は土器の生産が始められる紀元前8000年頃に終了する。

旧石器時代人は洞窟ではなく岩陰または川縁に家を作るのに僅かな群衆生活をしたものと見られる。

その生活は大体獣の狩りと果実などの植物採集に依存したものとみられ、集団生活できる動機は、世界の異なる地域の全ての石器時代の人々のように効率的な狩りをするためのものと見ている。

中石器時代

中石器時代は1万年余り前に氷河期が終わり気候が暖かくなり、自然環境が入れ替わり旧石器時代の主要な狩りの対象物のマンモスや水牛などの大きな獣がいなくなり小さい獣が現れた。

このような獣を殺すための武器である弓や鏃などが登場した。

新石器時代(櫛目文土器時代/侯目文土器)  BC4000年(もしくは5000年) – BC1000年

朝鮮の新石器時代は約1万-8000年前から始まり、新石器時代の主要な指標となるものは、磨製石器と櫛目文土器に代表される土器である。

こうしたものは主に海や川の岸辺にこの時代の家を造り暮らしながら漁労や狩りをし、新石器時代後期になると初期の農耕段階に転換するところもあった。

また石鍬と石犁で畑を耕し、石鎌で穀物ばかりか穂を刈り挽き石で挽き皮を剥ぎ粉にして食べた。

朝鮮半島において、櫛目文土器は4000年前くらいから現れるようになる。最古の櫛目文土器は遼河文明から発見されており、当時の朝鮮半島はウラル系民族が担う遼河文明圏にあったことが示唆される。

無文土器時代 BC1000年頃 – BC100年

朝鮮の青銅器時代は銅と錫または亜鉛を少しずつ混ぜて作った青銅器を使用した時代である。

この時代には一般的に無文土器と孔列文土器が主に用いられた。

新石器時代のように石鍬を使用して田畑を開墾して穀物を植え、半月状の石刀で収穫した。

古朝鮮時代

檀君朝鮮(檀君神話)

箕子朝鮮(きしちょうせん、? – 紀元前194年)

古代の朝鮮半島

衛氏朝鮮・漢四郡・原三国時代

朝鮮半島では、中国から朝鮮半島を経由して日本列島にいたる交易路ぞいに、華僑商人の寄港地が都市へと成長していく現象がみられた

戦国時代、燕は「朝鮮」(朝鮮半島北部)、真番(朝鮮半島南部)を「略属」させ、要地に砦を築いて官吏を駐在させ、中国商人の権益を保護していた

秦代は遼東郡の保護下にあった

秦末漢初の混乱の中、復活した燕国は官吏と駐屯軍を中部・南部(清川江以南)から撤退させた。

紀元前197年、漢朝は燕国を大幅に縮小して遼東郡を直轄化したが、その際、燕人の衛満が清川江を南にこえ、仲間ともに中国人・元住民の連合政権を樹立した。

漢の遼東大守は皇帝の裁可をえてこの政権を承認し、衛氏朝鮮が成立した。

  • 衛氏朝鮮(えいしちょうせん 紀元前195年? – 紀元前108年)
考古学的に証明できる朝鮮の最初の国家。
中国の燕を出自とする中国人亡命者である衛満が朝鮮半島北部に建国した。
衛氏朝鮮は三代衛右渠の時の紀元前108年に漢の武帝に滅ぼされた。
その故地には楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の漢四郡が置かれ、中国王朝はおよそ400年もの間、朝鮮半島中・西北部を統治した。
  • 原三国時代(BC108 – 2世紀中葉)
  • 高句麗(吉林省・両江道・慈江道)ツングース民族による国家
    辰韓十二国があり、その中の斯蘆国が発展して、国家の態をなしたものが新羅と見られている。
  • 弁韓(全羅南道・慶尚南道。ただし、全羅南道を含まないとする説もある。)
  • 州胡(済州特別自治道)

「アジアの変動と韓国朝鮮の古代」

三国時代

  • 433年 羅済同盟
  • 612年 隋の高句麗遠征
  • 642年 麗済同盟
  • 644年 唐の高句麗出兵
  • 660年 唐が百済を滅ぼす
  • 668年 唐が高句麗を滅ぼす
  • 670年 唐・新羅戦争

高句麗・百済・新羅の三国が並立。

唐は660年に百済を滅ぼし、668年には高句麗を滅ぼした。

唐は高句麗の故地に安東都護府を設置、百済の故地に熊津都督府を設置する。

さらに、新羅を鶏林州都督府として半島全域を藩属国から羈縻州としたため、一時的に朝鮮に国はなくなった。

しかしその後、新羅が唐の残留部隊を襲撃して唐の領土を掠めると、唐の支配地は遼東半島にまで後退せざるを得なくなり、朝鮮半島では統一新羅が誕生する。

新羅がその後属国の立場を取ると、改めて唐から冊封を許された。

統一新羅時代、或いは南北国時代

新羅による三国統一後、ほぼ同時期に渤海が旧高句麗の支配地域に建国され、両者は渤海が滅亡するまで並立していた。

ただし、渤海を朝鮮の歴史の一部とみなすべきか否かについては賛否両論があり、渤海を朝鮮史の一部とする1975年以降の韓国では統一新羅・渤海並立時代を「南北国時代」と称しているが、渤海を朝鮮史へ組み込むことに否定的な日本・中国などでは「統一新羅時代」と称される。

後三国時代

新羅・後高句麗・後百済の三国が並立。最終的に後高句麗を継承した高麗によって統一された(936年)。

  • 新羅
  • 後高句麗(901年-918年)
  • 後百済 (892年-936年)

「古代三国の社会と政治」

「新羅の三国一統と渤海

【出典】

朝鮮の歴史「ウィキペディア(Wikipedia)」

韓国朝鮮の歴史「放送大学教材」