2021/09/18更新

先史及び原住民時代  1624年以前

マレーポリネシア系の先住民が住んでいた。

中国大陸から漢人が入植していましたが、清の時代になると、政府の政策もあり中国本土からの移住が一段と進みました。

もともと台湾に居住していた先住民族(台湾では原住民と呼びます)は10民族あまりですが、いずれも少数民族であるため、人口の大半は漢人が占めるようになりました。

台湾に渡った漢人の出身地は福建省が多く、福建地方の言葉が、現在は台湾語と呼ばれ、広く使われています。

また、北方からの漂流民である客家人も台湾に移住してきましたが、客家語を話します。

1544 ポルトガル船員、台湾を「Ilha Formosa(麗しき島)」と賞賛。

1593 豊臣秀吉、台湾に入貢を促す。

オランダ占拠時代 1624年 – 1662年

1624 オランダの東インド会社が、台湾島の大員(現在の台南市周辺)を中心とした地域を制圧。ゼーランディア城、プロビンシャ城を造る。

1626 スペイン、基隆(キールン)を占領。サン・サルバドル要塞を造る。

1628 スペイン、淡水(タンスイ)を占領。サン・ドミンゴ要塞を造る。

1642 オランダ、台湾北部からスペインを追放。

1652 オランダに抵抗する郭懐一の蜂起。

1661 鄭成功の攻撃を受け、翌年に台湾から完全撤退する(ゼーランディア城包囲戦)。

鄭氏政権時代 1662年 – 1683年

1661 鄭成功、オランダ東インド会社を台湾から追放。台湾を東都と改称。

1683 鄭氏政権が清朝に降伏し滅亡。

鄭成功

鄭成功

清朝統治時代 1683年 – 1895年

1683 清朝が台湾を制圧して鄭氏政権を滅ぼすことに成功。

1684 台湾は清国領となり、福建省台湾府となる。

1732 大肚王国が清軍の攻撃を受けて滅びる(大甲西社抗清事件)。

1787 林爽文の率いる天地会が清朝への反乱を起すが、福康安の率いる清軍に鎮圧される。

1854 米国ペリー艦隊、基隆に寄港。

1858 天津条約によって台南・安平(アンピン)港や基隆港が欧州列強に開港される。

1871 琉球漂流民殺害の牡丹社事件起こる。

1874 日本、台湾に出兵。

1875 獅頭社事件。

1884 清仏戦争が発生して台湾もフランス軍に攻撃される。

1885 台湾、福建省から独立して台湾省に。

1887 基隆 – 台北間に鉄道を敷設する。

1888 郵政総局が完成する。

1894 首府、台南から台北に移る。

1895 下関条約(馬關條約)に基づいて台湾が清朝から日本に割譲され、台湾省が廃止される。台湾総督府設置(初代総督に樺山資紀)。

打狗英國領事館

打狗英國領事館

日本統治時代 1895年 – 1945年

1895 日清講和条約(下関条約)締結、日本に台湾を割譲。

1895 (5月)台湾民主国独立宣言。日本軍台湾に上陸。

     (6月)台湾民主国総統の唐景_、廈門(アモイ)に逃亡。

1896 原敬が台湾事務局に「台湾問題二案」提出。この頃、「台湾売却論」が盛んに。

1897 台湾住民の国籍選択最終期限。台湾高等法院長高野孟矩が罷免。

1897 児玉源太郎総督と後藤新平民政局長(後に民政長官)が着任。土地調査事業が始まる(~1905年)。「匪徒刑罰令」施行。

1899 台湾銀行の営業開始。

1905 土地調査事業終了。本年度より日本国政府の補助金辞退。

1908 台湾縦貫鉄道の全通。

1914 台湾同化会結成(翌年解散)。

1915 西来庵事件(タパニー事件)の勃発。

1919 初代文官総督の田健治郎が着任。台湾電力株式会社の設立。

1920 在日台湾留学生を中心に、新民会(林献堂が会長)結成。

1921 帝国議会に第1回の「台湾議会設置請願書」提出。台湾文化協会結成。

1922 治安警察法が台湾にも施行。

1923 治安警察法違反事件(台湾議会設置請願運動の取締)。

1927 台湾文化協会が分裂、台湾民衆党の結成。

1928 台北帝国大学の設立。

1930 嘉南大圳竣工。霧社事件。皇民化政策。

1934 台湾議会設置請願運動の中止。

1935 新竹・台中地震。

1936 台湾拓殖株式会社の設立。

1940 台湾人の改姓名始まる。

1941 皇民奉公会の発足(皇民化推進)。

1943 6年制義務教育実施。

1944 日本軍による徴兵制度が発足。台湾人日本兵が兵役に服務する。これと同時に衆議院議員選挙法が改正されて台湾住民にも衆議院選挙の選挙権が認められた。

1945 大日本帝国が連合国に降伏。第二次世界大戦(当時の台湾では「大東亜戦争」)が終結。

中華民国総統府

中華民国総統府

中華民国統治時代 1945年 – 現在

南京国民政府

1945 第2次世界大戦終了、日本降伏。台湾、中華民国に復帰。国民政府軍が台湾に上陸。台湾を統治する機関・台湾省行政長官公署を設置。

1945 台湾省行政長官として陳儀が赴任。

1947 二・二八事件が勃発。以降、国民政府による白色テロが頻発する。台湾行政公所を台湾省政府に改組。

1948 蒋介石、第1期総統に就任。

1949 蒋介石が国共内戦で崩壊状態にある国民政府(国府)を台北市へ移転(遷都)し、実行統治区域内で戒厳令を実施。大陸で中華人民共和国成立。

台湾国民政府

1950 蒋介石が中華民国総統職に就任。中華民国・台湾国民政府の活動が本格化。アメリカが第七艦隊を台湾海峡に派遣。

1951 米華共同防衛相互援助協定調印。

1952 日華平和条約調印。中国青年反共救国団の設立、蒋経国が主任。日本語と台湾語の教学を厳禁。

1954 アメリカとの相互防衛条約調印。

1955 台湾国民政府が浙江省・大陳列島を喪失。これにより、今日の台湾地域(広義の台湾)が形成される。

1958 金門砲戦勃発。台湾海峡緊迫。

1964 吉田茂元首相が台湾訪問。

1967 国家安全会議と国家安全局が発足。

1971 キッシンジャー訪中。国際連合総会にて、アルバニア提案の「国府追放、北京招請」案が可決され、台湾国民政府が「中国」の代表権を喪失。同時に国連から脱退。中国、国連に復帰。

1972 蒋経国、行政院長(首相)に就任。

1972 日中国交正常化、日華平和条約廃棄、日台国交断絶。

1973 「十大建設」開始。

1975 蒋介石死亡。厳家淦副総統が総統に、蒋経国が中国国民党主席に就任。

1978 蒋経国、第6期総統に当選。

1979 台米国交断絶、中米国交正常化。

1979 美麗島事件。

1981 鄧小平が「一国家二制度」に基づく中国と台湾の統一を提案。

1986 民主進歩党結成。

1987 38年続いていた戒厳令解除。

1988 蒋経国死去、李登輝が本省人として初めて総統に昇格。

1989 週刊誌『自由時代』編集長の鄭南榕、国民党政権に抗議して焼身自殺。

1989 李登輝総統、「現実外交(柔軟外交)」を宣言。戒厳令解除後初めての統一選挙で民主進歩党が躍進。

1990 民主進歩党が「台湾の主権独立」決議案採択。総統府に国家統一委員会が発足。

1991 第1期国会議員全員退職。

1991 中国共産党を反乱団体と定義していた憲法の付属条項を廃止。

1993 連戦が行政院長になり、李登輝が国民党政権の「党」「政」「軍」「特」を全面掌握。シンガポールで台湾と中国の窓口交流機関代表が初会談。

1995 :中国共産党江沢民総書記が台湾政策8項目を提案、台湾李登輝が中国に対する6項目の逆提案、その後李登輝が訪米し、台湾・中国間が緊迫。

蒋介石

蒋介石

総統民選期

1996 初の直接総統選挙で李登輝が当選。国民党の一党独裁体制が消滅。

1998 上海で台湾と中国の窓口交流機関代表が会談。

1999 李登輝総統、中国と台湾を「特殊な国と国の関係」と定義。921大地震、死者2000人以上。

2000 中国が台湾白書を発表。統一交渉の無期限の拒絶は武力行使の対象になると警告。総統に民進党の陳水扁が選出、国民党が初めて野党となる。

2002 WTO加盟。陳水扁総統が「一辺一国」発言。のち軌道修正の発言。

2003 李登輝前総統、台湾独立派「台湾正名運動連盟」の会合で「“台湾”を国名に」と発言。陳水扁総統が民進党結党17周年記念式典で「2006年に新憲法制定」を掲げる。

2004 二二八事件57周年記念行事で李登輝前総統の呼びかけで独立派が中国のミサイル配備に「人間の鎖」を作って抗議。陳水扁が総統選前日に銃撃され負傷するものの再選。チャドとの共同声明の際に「中華民国(台湾)」という表記を初めて使用。

2005 連戦国民党主席が中華人民共和国を訪問。胡錦濤共産党総書記と1945年以来の国共首脳会談を行なう。

2006 陳水扁総統、国際社会に対して「台湾」名義での国連加盟を強調(2007年8月申請、却下)。

2007 呉伯雄が国民党主席に就任。

2008 馬英九が総統に就任し、国民党が政権を奪還。

2016 蔡英文が総統に就任し、民進党が政権を奪還。

【出典】

台湾の歴史「ウィキペディア(Wikipedia)」

台湾史年表「ウィキペディア(Wikipedia)」

台湾の歴史