2022年4月1日更新
第1回「なぜ、韓国・北朝鮮は歴史捏造を繰り返すのか?」
古朝鮮時代
檀君朝鮮(檀君神話)
箕子朝鮮(きしちょうせん、? – 紀元前194年)
古代の朝鮮半島
・衛氏朝鮮・漢四郡・原三国時代
朝鮮半島では、中国から朝鮮半島を経由して日本列島にいたる交易路ぞいに、華僑商人の寄港地が都市へと成長していく現象がみられた。
戦国時代、燕は「朝鮮」(朝鮮半島北部)、真番(朝鮮半島南部)を「略属」させ、要地に砦を築いて官吏を駐在させ、中国商人の権益を保護していた。
秦代は遼東郡の保護下にあった。
秦末漢初の混乱の中、復活した燕国は官吏と駐屯軍を中部・南部(清川江以南)から撤退させた。
紀元前197年、漢朝は燕国を大幅に縮小して遼東郡を直轄化したが、その際、燕人の衛満が清川江を南にこえ、仲間ともに中国人・元住民の連合政権を樹立した。
漢の遼東大守は皇帝の裁可をえてこの政権を承認し、衛氏朝鮮が成立した。
- 衛氏朝鮮(えいしちょうせん 紀元前195年? – 紀元前108年)
- 考古学的に証明できる朝鮮の最初の国家。
中国の燕を出自とする中国人亡命者である衛満が朝鮮半島北部に建国した。
衛氏朝鮮は三代衛右渠の時の紀元前108年に漢の武帝に滅ぼされた。
その故地には楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の漢四郡が置かれ、中国王朝はおよそ400年もの間、朝鮮半島中・西北部を統治した。
- 原三国時代(BC108 – 2世紀中葉)
- 高句麗(吉林省・両江道・慈江道)ツングース民族による国家。
辰韓十二国があり、その中の斯蘆国が発展して、国家の態をなしたものが新羅と見られている。
- 弁韓(全羅南道・慶尚南道。ただし、全羅南道を含まないとする説もある。)
- 州胡(済州特別自治道)
第2回「韓国が歴史教科書で教える檀君朝鮮とは?」
三国時代
- 433年 羅済同盟
- 612年 隋の高句麗遠征
- 642年 麗済同盟
- 644年 唐の高句麗出兵
- 660年 唐が百済を滅ぼす
- 668年 唐が高句麗を滅ぼす
- 670年 唐・新羅戦争
高句麗・百済・新羅の三国が並立。
唐は660年に百済を滅ぼし、668年には高句麗を滅ぼした。
唐は高句麗の故地に安東都護府を設置、百済の故地に熊津都督府を設置する。
さらに、新羅を鶏林州都督府として半島全域を藩属国から羈縻州としたため、一時的に朝鮮に国はなくなった。
しかしその後、新羅が唐の残留部隊を襲撃して唐の領土を掠めると、唐の支配地は遼東半島にまで後退せざるを得なくなり、朝鮮半島では統一新羅が誕生する。
新羅がその後属国の立場を取ると、改めて唐から冊封を許された。
第5回「韓国はかつて日本の一部だった!?」
第6回「日本」の国号はどのように誕生したのか?
第7回「裏切りと売国の新羅」
統一新羅時代、或いは南北国時代
新羅による三国統一後、ほぼ同時期に渤海が旧高句麗の支配地域に建国され、両者は渤海が滅亡するまで並立していた。
ただし、渤海を朝鮮の歴史の一部とみなすべきか否かについては賛否両論があり、渤海を朝鮮史の一部とする1975年以降の韓国では統一新羅・渤海並立時代を「南北国時代」と称しているが、渤海を朝鮮史へ組み込むことに否定的な日本・中国などでは「統一新羅時代」と称される。
第8回「朝鮮属国の歴史はこうしてはじまった」
第3回「韓国人・朝鮮人とは何か?」
【出典】
朝鮮の歴史「ウィキペディア(Wikipedia)」