2022年4月1日更新
後三国時代
新羅・後高句麗・後百済の三国が並立。最終的に後高句麗を継承した高麗によって統一された(936年)。
- 新羅
- 後高句麗(901年-918年)
- 後百済 (892年-936年)
中世の朝鮮半島
・高麗
- 918年 王建が高麗を建国。
- 933年 後唐の冊封を受ける。
- 935年 新羅の敬順王、高麗に国を譲渡し、滅亡。
- 936年 後百済を滅ぼし朝鮮半島統一。
- 976年 田柴科制の創設。
- 1010年 契丹の侵入を撃退。
第4回「満州人が韓人を差別した歴史的背景」
- 1018年 契丹の再侵入。姜邯賛の活躍により契丹軍を殲滅(亀州大捷)。
- 1033年 千里長城の建設開始。
- 1126年 李資謙の乱。金に服属。
- 1135年 妙清の乱。
- 1170年 庚寅の乱。以後武人政権が続く。
- 1196年 崔忠献によるクーデター。崔氏政権の始まり。
- 1232年 モンゴル帝国の侵略始まる(→モンゴルの高麗侵攻)。
- 1259年 高麗の太子(のちの元宗王)がクビライに降り、モンゴル帝国(元)の属国化。
- 1260年 忠烈王は、カアンに即位したクビライの娘婿となる。これ以来、代々の高麗王の世子(世継ぎの太子)はモンゴル貴族や時には皇族の婿となって元朝の宮廷で暮らし、父の死後、高麗王に任命されるのが習慣となる。4代の高麗王は元皇族の娘婿となる。
- 1270年-1273年 武人派の軍隊三別抄のモンゴルに対する反乱。日本に対し軍事的援助を要請。
- 1274年・1281年 忠烈王の要請に応えた元の協力を得ての2度の日本侵攻(元寇文永の役、弘安の役)への侵略出兵により、逆に甚大な被害を受ける。
第9回「朝鮮が日本を侵略した証拠」
第10回「慰安婦問題は中国に責任がある?」
- 1289年 元の征東行省が常設され、元朝の領土化。
- 1350年 この頃より倭寇に悩まされるようになる(「前期倭寇」〜15世紀前半)。
- 1351年 恭愍王即位(〜1374年)。
- 1354年 恭愍王による反元運動が始まる。
- 1356年 元軍が高麗から撤退(双城総管府を回復)。
- 1365年 辛旽による改革政治(〜71)。
- 1374年 恭愍王が暗殺される。禑王が即位(〜88)。
- 1388年 親明派の武将李成桂(女真族ともいわれる)がクーデターを起こし実権者になる(威化島回軍)。
- 1391年 科田法の制定。
- 1392年 鄭夢周が暗殺される。
第11回「事大主義のDNAを引き継ぐ朝鮮(前編)」
第12回「事大主義のDNAを引き継ぐ朝鮮(後編)」
【出典】
朝鮮の歴史「ウィキペディア(Wikipedia)」