2024年3月1日掲載
シュコツィアン洞窟群
Slovenia 4K – Scenic Relaxation Film With Calming Music
阪急交通社クロアチア・スロベニア ツアー紹介
Top 10 Places To Visit In Slovenia – Travel Guide
1.シュコツィアン洞窟群 Škocjanske jame
シュコツィアン洞窟群(シュコツィアンどうくつぐん、スロベニア語 Škocjanske jame)は、スロベニア南部のクラス地方(Kras, カルスト地方)にある洞窟である。
ここには、巨大な陥没ドリーネ(doline)や、深さ200m以上、長さ約6kmの地下川洞窟、滝などがある。
この地方は「カルスト地形」研究史上、世界的に最も知られた場所で、カルストの語源にもなっている。
ポストイナ鍾乳洞から南西33 kmに位置する。
1986年に、ユネスコの世界遺産に登録された。
洞窟内の景観
この大河はヴェリカ・ドリーネ(Velika dolina)で地下に潜入し、この洞窟から西北西に34kmにわたって地下を流れ、Monfalconeの近くで地表に現れ、ティマヴ河(Timavo River)の源流となり、2km流れてアドリア海に注いでいる。
雨期、地表から160mの深さにあるヴェリカ・ドリーネの底から、レカ河が地下に流れ込んでいく様子は実に壮観である。
- 鍾乳石などがつくる特異な景観には、それぞれに合った名称が付けられている。
住所:Matavun 12, 6215 Divača, スロベニア [地図]
360°写真(シュコツィアン洞窟群)
登録年: 1986年
登録区分: 自然遺産
電話番号:+386 5 708 21 00
ウェブサイト:
行き方:世界遺産シュコツィアン洞窟群へのアクセスは、最寄りの「ディヴァーチャ駅」から無料シャトルバスに乗れば約10分で到着できます。
ポストイナからなら、ディヴァーチャ駅まで電車でおよそ30分。
バスでも30分ほどで行けます。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2024年1月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:世界に誇る鍾乳洞!スロベニアの世界遺産、シュコツィアン洞窟群
シュコツィアン洞窟群に行って下さい。Obiščite Škocjanske jame.
シュコツィアン洞窟群はどこですか?Kje so Škocjanske jame?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2つ似てるけど格段の差!行くならどっち?ポストイナ鍾乳洞とシュコツィアン洞窟群
北イタリアの旅6:スロベニア(シュコツィアンの洞窟)2016.9.6
Slovenia – Skocjan Caves. In 4K.
2.カルパティア山脈などの欧州各地のブナ原生林群 Pragozdovi bukve v različnih delih Evrope, kot so Karpati
「カルパティア山脈などの欧州各地のブナ原生林群」は最も多くの国境を越える世界遺産。
2007年にウクライナ&スロバキアの世界遺産として登録、2011年にはドイツに拡大され「カルパティア山脈のブナ原生林とドイツの古代ブナ林群」となった経緯がある。
2017年、さらにほかの国々も追加され12か国に拡大されることになった。
名称も「カルパティア山脈などの欧州各地のブナ原生林群」に変更された。
アルバニア・オーストリア・ベルギーにとっては初の世界自然遺産になる。
スロバキアとウクライナにまたがるカルパティア山脈の10箇所のブナ原生林と、ドイツ中部および北西部にある15箇所のブナ林、さらに残りの国の9か所の自然保護区が対象になっている。
カルパティア山脈のブナの原生林は、東西185キロメートル、総面積2万9278ヘクタールに及ぶ世界最大のブナの原生地域。
ブナだけでなく、ナラやボダイジュなどの樹木も生育し、カエデやカシ、モミなどの別の樹種との混交林も見られる多様な植物が共存している場所であり、キンメフクロウなどの114種の動物を豊かに養う貴重な楽園として、原始のままの姿を現代に伝えている。
スロベニアは国内の2箇所が含まれる。
住所:Snežnik スロベニア [地図]
360°写真(Snežnik)
登録年: 2007年
登録区分: 自然遺産
行き方:スネジュニク公園、クロカルとも車かツアーでないと行きにくい。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2024年1月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:2023年スロベニア世界遺産全5件と候補一覧/行き方と地図/動画・写真・評価
スネジュニク公園に行って下さい。Pojdite v park Snežnik.
スネジュニク公園はどこですか?Kje je park Snežnik?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
SNEŽNIK
ANSAMBEL SNEŽNIK– SNEŽNIK
3.アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群 Prazgodovinska kolišča okoli Alp
アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群は、紀元前5000年頃から前500年頃までにアルプス山脈周辺で建設された杭上住居の遺跡群を対象とするUNESCOの世界遺産リスト登録物件で、スイス(56件)、イタリア(19件)、ドイツ(18件)、フランス(11件)、オーストリア(5件)、スロベニア(2件)の6か国111件の資産によって構成されている。
2011年の第35回世界遺産委員会で登録された時点では、シュトルーヴェの測地弧(10か国)に次いで多くの国にまたがる世界遺産であった。
また、この世界遺産は、スロベニアの世界遺産としては初の文化遺産登録となった。
杭上住居は高床式の住居の一種で、アルプス山脈周辺ではボーデン湖、ツーク湖、ガルダ湖などの湖やリュブリャナ湿原などの湿地に杭を立て、その上に住居が築かれた(杭上住居のうち、湖に建てられたものは「湖上住居」ともいう)。
それらは氾濫などを避ける工夫ではあったのだが、長い間水没したまま忘れ去られていた。
その存在が再び知られるようになったのは1853年から1854年にかけての冬季大旱魃がきっかけで、長い間水没していたことが、さまざまな遺構や遺物を良好な状況で保存しておくことにつながった。
後期には漁撈も行なったが、むしろ湖上に立てた当初の理由は、外敵に対する警戒や、農業に適した土地を住宅地に割かなくてすむようにするなどの理由であったと考えられている。
杭上住居は湖などに立てた何本もの丸太の上に横木を渡し、その上に板などを敷き、さらにその上を土などで固めた上で住居を建てた。
屋内は寝室と居間を兼ねた部屋と台所に分かれ、それぞれ炉や暖炉を備えていた。
出土した有機物から、彼らが小麦や大麦の栽培や、牛や豚の牧畜を行なっていたこともわかっているが、それらの技術や土器の特色は、ドナウ文化との類似性が指摘されており、頭蓋に穿孔して護符とするような一部の文化には南フランスの先史時代の文化の影響があるという。
スロベニアでは、イグの住居跡が対象となっている。
住所:1292 Ig, スロベニア [地図]
360°写真(Ig)
登録年: 2011年
登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業
行き方:イグの住居跡/Kolišča na Igu južna skupinaへは、リュブリャナから191番バスで25分の町イグ下車後、徒歩15分/1.6km。
市内のスロベニア民俗博物館で杭上住居群に関する展示あり。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2024年1月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:2023年スロベニア世界遺産全5件と候補一覧/行き方と地図/動画・写真・評価
イグの住居跡に行って下さい。Pojdite do ruševin Iga.
イグの住居跡はどこですか?Kje so ostanki bivališča na Igu?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1分世界遺産 463 アルプス山系の先史時代杭上住居跡群 スロベニア②
KOLIŠČA – Vasi Sredi Jezera
4.水銀の遺産アルマデンとイドリヤ Dediščina Merkurja Almaden in Idrija
水銀の遺産アルマデンとイドリヤ(すいぎんのいさんアルマデンとイドリヤ)は、スペインのアルマデンとスロベニアのイドリヤにそれぞれ残る水銀鉱山と、それらに関連する旧市街や産業遺産群を対象とした国際連合教育科学文化機関 (UNESCO) の世界遺産リスト登録物件である。
アルマデンとイドリヤで産出された水銀は、かつて何世紀もの間、ラテンアメリカで産出される銀の精錬に不可欠の存在であり、ヨーロッパへの大量の銀流入を陰で支える役割を果たした。
そのため、アメリカ大陸での水銀需要は増加の一途を辿り、それに対応するためにアルマデンやイドリアでは増産の努力が重ねられた。
現在残る町並みや施設群は、そうした鉱業の発展と大陸間交易の様子を今に伝えるものである。
イドリヤはスロベニア西部のプリモルスカ地方の鉱山町で、1490年代に水銀鉱山が発見された。
16世紀の時点ではその鉱山で水銀があまり多くは採れなかったが、17世紀以降増加し、1689年には2000キンタール程度の水銀を産出していた。
しかし、同じ時期のアルマデンは1万キンタール程度、ウアンカベリカは15000キンタール以上であり、前述のようにその位置付けは補助的なものだった。
イドリヤの水銀はヌエバ・エスパーニャに回された時期が多かったが、17世紀前半においては、ヌエバ・エスパーニャで水銀が不足している際にも、ペルーに優先的に回されていた。
これはヌエバ・エスパーニャがスペイン王に支払っていたのが10分の1税だったのに対し、ペルーが5分の1税を支払っていたことなどと関係があったのではないかと指摘されている。
前述の通り、あくまでもアルマデンとウアンカベリカの補助的位置付けであったが、18世紀にウアンカベリカの生産量が下落すると、これを上回るようになった。
水銀生産量は時期による乱高下が激しいが、参考までにいくつかの数値を示しておくと、1760年ごろのアルマデンの年平均生産量は9334キンタール、ウアンカベリカのそれは5901キンタール、これに対してイドリヤの1760年の生産量は3224キンタールであった。
しかし、1790年ごろの年平均はアルマデンが16800キンタール、ウアンカベリカが2268キンタールに対し、イドリヤの1790年の生産量は10967キンタールであった。
世界遺産としての価値を調査したICOMOSの評価書では、アルマデンに次いで世界で2番目に大きい水銀鉱山と位置付けられている。
この鉱山での採掘はアルマデンに先んじて1994年に停止されたが、イドリヤがそれまでの約500年間に世界に供給した水銀の量は、全体量の約8分の1に及ぶと見積もられている。
住所:Arkova ulica 50, 5280 Idrija, スロベニア [地図]
360°写真(Topilnica Hg)
登録年: 2012年
登録区分: 文化遺産
営業時間:12:00~16:00(土曜日、日曜日)
電話番号:+386 5 374 39 40
行き方:イドリアはスロヴェニアの首都リュブリャナから、西におよそ90kmの場所に位置し列車でおよそ1時間強で到着します。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2024年1月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:【世界遺産】アルマデンとイドリアとは?|中世の暮らしを知る観光地
イドリアに行って下さい。Pojdi v Idrijo.
イドリアはどこですか?Kje je Idrija?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1分世界遺産 464 水銀の遺産 アルマデンとイドリア スロベニア③
Idrija Mercury Mine
5.リュブリャナのヨジェ・プレチニック作品群 – 人を中心とした都市計画 Jože Plečnik dela v Ljubljani – Urbanistično načrtovanje, usmerjeno v ljudi
ヨジェ・プレチニック(Jože Plečnik、1872年1月23日 – 1957年1月7日)はスロベニア出身の建築家・都市計画家。
リュブリャーナ生まれ。
オットー・ワーグナーの下で働いたのち、ウィーン、ベオグラード、プラハ、リュブリャナで活動した。
リュブリャーナの都市計画をはじめ、スロベニアに多くの作品を遺した。
1872年スロベニア(当時オーストリア=ハンガリー帝国)のリュブリャナに生まれた。
父親は家具職人で、家業を継ぐべくオーストリア・グラーツのギムナジウム、その後工芸学校に進学するが、そこで新環状道路計画の補助として参画することになる。
1892年、父が亡くなり、ウィーンに移る。
1894年から1897年にかけてオットー・ワーグナーの下で学び、卒業後はワーグナーの主宰する設計事務所で働き、ウィーン分離派とも関わった。
その後ウィーンで数年間建築の室内装飾と家具デザインなどを多く手がける。
1900年に独立。
1910年までウィーンで活動し、ツァッヘル・ハウスなどを設計した。
1911年から活動場所をプラハに移し、プラハ工芸学校の講師に転進。
その後プラハ城と大統領府の修築に関わることにもなる。
10年ほど滞在した後、母国のスロベニアに戻った。
スロベニアでは建築家、都市計画家として首都リュブリャナで活動した。
後年、その功績を讃えられ、500トラール紙幣の肖像になった。
住所:Stritarjeva ulica, 1000 Ljubljana, スロベニア [地図]
360°写真(三本橋)
登録年: 2021年
登録区分: 文化遺産
行き方:リュブリャナ市内。
クロアチアのザグレブからは電車やバスで2-3時間。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2024年1月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:2023年スロベニア世界遺産全5件と候補一覧/行き方と地図/動画・写真・評価
三本橋に行って下さい。Prosim, pojdite v Sanbonbashi.
三本橋はどこですか?Kje je Sanbonbashi?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リューブリャナ旅行ガイド | エクスペディア