2023年12月19日掲載

ゴレスターン宮殿

ゴレスターン宮殿

16.ゴレスターン宮殿 کاخ گلستان

ゴレスターン宮殿(ゴレスターンきゅうでん)は、イランの首都テヘランにあるガージャール朝時代に築かれた宮殿で、2013年の第37回世界遺産委員会で世界遺産に登録された。

テヘランの歴史地区の中心部に位置し、テヘラン最古の建造物のひとつに数えられる。

前身となる建造物はサファヴィー朝時代に築かれており、拡張と増築の末19世紀に王家の住居兼ガージャール朝の政庁とされたことで今に残る特徴的な装飾が付与された。

現在は主に8つの構造物からなり、多くは博物館として使用されている。

中心部には同名の庭園が広がり、全体を門のある外壁が取り囲んでいる

住所:Tehran District 12 Panzdah-e-Khordad St Fifth Khordad Avenue Arg Sqr،, イラン [地図]


登録年: 2013年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:00~16:30
電話番号:+98 21 3311 3335
ウェブサイト

行き方:世界遺産ゴレスターン宮殿はイランの首都テヘランの中心部にあります。

テヘランのバザールのすぐそば。

豪華な建物が並んでいるので、すぐに分かると思います。

周囲には博物館などもあるので、合せて観光に訪れてみてください。

外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:モザイクのタイルが美しい豪華な宮殿、イランの世界遺産ゴレスターン宮殿

ゴレスターン宮殿まで行って下さい。 به کاخ گلستان بروید.

ゴレスターン宮殿はどこですか? کاخ گلستان کجاست؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

17.シャフリ・ソフタ شهری سافت

シャフレ・ソフテ(ペルシア語: شهر سوخته‎、「焼けた都市」の意味)は青銅器時代の遺跡である。

ジーロフト文化の都市で、紀元前3200年頃に日干し煉瓦で作られたが、水流の変更と気候変動により2千年紀の初頭に放棄された

現在のイランのスィースターン・バルーチェスターン州、ヘルマンド川の岸にある。

2014年6月にUNESCOの世界遺産リストに登録された。

住所:スィースターン・バルーチェスターン イラン [地図]



登録年: 2014年
登録区分: 文化遺産

行き方:シャフリ・ソフタはイラン中東部のスィースターン・バルーチェスターン州にあります。

州都のザーヘダーンから北東方向に約200km離れたザーボルという都市の近郊に、シャフリ・ソフタがあるのでレンタカーやタクシーを利用しましょう。

所要時間は約2時間30分です。

ザーヘダーンまでのアクセスは、テヘランやマシュハドなどイランの主要都市から飛行機やバスなどが出ています。

なお、日本から直行便は出ていません。

外務省海外安全ホームページでは渡航中止勧告地域です。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:数多くの謎が残るイランの世界遺産、シャフリ・ソフタを紹介!

シャフリ・ソフタまで行って下さい。 لطفا به شخری سافتا بروید.

シャフリ・ソフタはどこですか? شاهری سافت کجاست؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

18.スーサ شوش

スーサ、またはスサは、現在のイランの西南部に位置し、エラム王国時代、アケメネス朝ペルシャ時代には、王都として栄えた都市。現フーゼスターン州シューシュ

スーサは、アクロポリス、アパダーナ、王の都市、技師の都市の四つの遺構からなる。

1901年には、ルーブル美術館に保管されているハンムラビ法典碑も発見された。

アパダーナは、ダレイオス1世によって建設され、冬の宮と呼ばれた宮殿の謁見の間跡である。

スーサの守護神はインシュシナク

スーサの歴史は古く、アクロポリスからは紀元前4000年にまで遡る神殿跡が発掘されている。

放射性炭素年代測定によると、早ければ紀元前4395年にまでさかのぼる

紀元前30世紀から紀元前7世紀に跨がるエラム王国の首都であった。

紀元前647年、アッシリアのアッシュールバニパルによって破壊された(スーサの戦い)。

紀元前540年、アケメネス朝ペルシャの王キュロス2世に占領されてエラムは滅んだが、王宮が置かれて王の道の起点として再び栄えた。

ダレイオスが紀元前331年のガウガメラの戦いでマケドニア王国のアレクサンドロス3世に敗れてアケメネス朝が滅んだ後、紀元前324年、アレクサンドロスは帝国内の安定を図ろうと家臣と征服部族とのスーサの合同結婚式を行ったとの記録がある。

直後の紀元前323年にアレクサンドロスは死亡し、アレクサンドロスの部下であったセレウコス1世が立ち、スーサはセレウコス朝の支配下に入った。

紀元前250年頃にセレウコス朝の総督 (サトラップ)だったアンドラゴラスがセレウコス朝からの独立を宣言したものの、直後の紀元前247年頃にパルニ氏族によって放逐されて、以降はパルティアと呼ばれ、セレウコス朝とは敵対する時代となる。

遺跡から多くのパルティア時代の陶器等の遺物が発見されていることからパルティア時代に至ってもスーサは都市としての繁栄を続けたと考えられる。

その後116年頃のローマ皇帝トラヤヌスの侵攻によりスーサも占領された

サーサーン朝のシャープール2世時代(309年 – 379年)に再建された

638年はムスリムの侵攻を受け、モスクなどの遺構は残ったが、1218年モンゴルが侵略した。

その後、住民のほとんどは北部のデズフールなどに移動し、現在は小さな集落のみとなっている。

5世紀から13世紀の間はかなりの東方教会のキリスト教徒がいたようである。

住所:Khuzestan Province, Shush, Imam-Khomeini Boulevard, 57R4+97C イラン [地図]



登録年: 2015年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:00~18:00

行き方:世界遺産スーサの最寄りの都市は北のデズフールです。

スーサにはイラン縦貫鉄道の駅があり、デズフール空港の近くにも同じ鉄道路線のアンディーメシュク駅があります。

スーサ駅から世界遺産スーサまでは2kmほどなので、歩いて行くこともできます。

また、イラン南方の都市アフワズを拠点とする方法もあります。

アフワズからも鉄道でスーサにアクセスできますが、こちらからはバスツアーに参加するのが便利でしょう。

車なら、アフワズからスーサまで1時間から1時間半ほどです。

アフワズにも空港がありますが、デズフールと同じく日本から行く場合はテヘランを経由する必要があります。

外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:圧倒的なスケールの都市遺跡!ハンムラビ法典碑も出土した世界遺産スーサ

スーサまで行って下さい。 لطفا برو شوش

スーサはどこですか? شوش کجاست؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

19.メイマンドの文化的景観 منظر فرهنگی میمند

メイマンドは、イランのケルマーン州シャフレ・バーバク郡に属する行政村(デヘスターン)およびそこに含まれる村(デフ)の名前である。

イラン中央山脈南端の南向きの谷にあり、気候は概ね乾燥した砂漠気候である

36の村が属するメイマンド行政村には、2006年の国勢調査では536世帯2,175人が暮らしており、そのうち、メイマンド村には181世帯673人が暮らしている

村の文化的景観がUNESCOの世界遺産リストに登録されている。

メイマンド村は伝統的な移牧を含む農牧業が営まれている村落で、村人は四季により渓谷内の3ヶ所または4ヶ所の間で移住する。

村人の定住地は谷の下流にある柔らかい岩(Kamar)をくり抜いて造った洞窟住居であり、冬の間にはそこに住む。

冬の終わりから移牧が始まり、村人が晩春まではSar-e-Āgholという集落のアザミの草葺き屋根を有する石積みの半地下住居(Markhāneh)または円錐形の木の枝の屋根を有する石積みの円形の地上住居(Mashkdān)に、夏から初秋までは草葺き屋根を有する石積みの簡易住居(Sar-e-Bāgh)にそれぞれ住み、牛も春にレンガや石の屋根を有する建物の中で過ごし、夏と秋に屋根のない石造りの囲いに移される。

夏の村(Sar-e-Bāgh)の周辺には小麦と大麦などの主食種植用の段々畑と水車があったが、現在は村人が自給自足の生活をやめたため廃墟となり、ブドウの果汁を加工して得たシロップを貯蔵する穴だけはまだ使われる。

また、一帯には貯水池とカナートのシステムがあり、動物、果樹園、野菜畑へ水を提供していたが、現在は周辺の町とのコミュニケーションの増加により過去と違う方法で動物と野菜の世話をするため、多くのカナートは使わなくなった

村名はマイマンドとも表記される

なお、以下「メイマンド」と呼ぶときは、行政村(デヘスターン)でなく村(デフ)の方を指す。

住所:ケルマーン イラン [地図]



登録年: 2015年
登録区分: 文化遺産

行き方:ケルマーン州シャフレ・バーバク郡のメイマンドは、ケルマーン州の市内中心部から約250km、ヤズドから約300km、シーラーズから約400km離れているため、車での移動が必須です。

なお、メイマンドの村内には観光客が宿泊できる施設があります。

日帰り観光よりもじっくり見学することができて、食事や就寝などの日常生活も伝統的なスタイルで過ごしているメイマンドをより深く体験することができるでしょう。

外務省海外安全ホームページでは不要不急の渡航中止地域です。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:伝統的な生活を続けるイランの世界遺産、メイマンドの文化的景観

メイマンドまで行って下さい。 لطفا به میمند بروید.

メイマンドはどこですか? میمند کجاست؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

20.ルート砂漠 بیابان ریشه

ルート砂漠Dasht-e Lūt)は、イラン東部、ケルマーン州に位置する大砂漠である。

岩石が多く、ヤルダン地形と暑いことで有名

首都テヘランから南東に800km、ペルシャ湾のバンダルアッバースから北東500kmに位置する。

長さ480km、幅320km。Gandom Beriyan地域には黒い玄武岩溶岩が広がり、太陽熱を吸収し高温のため、生物が見られないとされていたが、シュツットガルト州立自然史博物館とテヘラン大学の研究により甲殻類の新種が発見され『Zoology in the Middle East』に掲載された。

東部は塩原で、南東部には高さ300mに達する砂丘が広がる。

2016年に世界遺産リストに登録された。

住所:FWFJ+6H2, Kerman, Kerman Province, イラン [地図]



登録年: 2016年
登録区分: 自然遺産

行き方:個人での旅行は困難なため、ツアー会社のツアーに参加される事をおすすめします。

外務省海外安全ホームページでは不要不急の渡航中止地域です。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:ルート砂漠アドベンチャー

ルート砂漠まで行って下さい。 به کویر ریشه بروید.

ルート砂漠はどこですか? کویر ریشه کجاست؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』