2023年12月5日掲載

パムッカレ

パムッカレ

6.クサントス・レトーン  Xanthus Letone

クサントスは古代リュキアの都市である。

現在のトルコ南部で地中海に面するアンタルヤ県にあり、早い時代の文献では、クサントスの言葉自体が、リュキア全体を意味していた。

1988年に、ユネスコの世界遺産に、レトーンとともに登録された。

クサントスは、ギリシャ人がつけた古代リュキアの都市の名前である。

ヒッタイトやかつてのルウィ語の名前では、Arinnaであった。

共和政ローマ時代に入り、この町は、クサントゥスと呼ばれるようになったが、これはギリシャ語の末尾「-os」が全てラテン語の末尾に見られる「-us」に変化したからである。

クサントスは、リュキアの文化と商業の中心地であり、のちに、ペルシャ、マケドニア、ギリシャ、ローマがこの土地を征服、占領した。

住所:〒07970 アンタルヤ Kaş, Kınık [地図]


登録年: 1988年
登録区分: 文化遺産

行き方:日本からイスタンブールまで飛行機で約13時間ほど、イスタンブールからアンタルヤまで飛行機で約1時間ほど。

アンタルヤからカシュまでバスで約4時間、カシュのオトガル(バスターミナル)からドルムシュ(乗り合いバス)に乗って遺跡の近くのクニックのスーパー前まで約1時間。

スーパー前から徒歩約15分ほどで遺跡の入口に着きます。

アンタルヤ県とムーラ県にまたがるクサントスとレトーンの両遺跡は比較的近く、両遺跡間は8キロほどの距離で車なら約10分ほどで移動できます。

外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:謎多き海洋民族リキュア人の王国!トルコの世界遺産、クサントス・レトーン

クサントスまで行って下さい。  Lütfen Xanthos’a gidin.

クサントスはどこですか?  Xanthos nerede?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

7.ヒエラポリス・パムッカレ  Hierapolis Pamukkale

パムッカレとは、トルコ語で「綿の宮殿」という意味

綿とあるのは昔からこのあたりが良質の綿花の一大生産地であることによる。

二酸化炭素を含む弱酸性の雨水が台地を作っている石灰岩中に浸透し、炭酸カルシウムを溶かした地下水となる。

その地下水が地熱で温められて地表に湧き出て温泉となり、その温水中から炭酸カルシウム(石灰)が沈殿して、純白の棚田のような景観を作り出したものである。

棚田の畦の部分は、流れてきた植物片などがひっかかり、これに石灰分が沈着して次第に堤のように成長する。

これは温水が畦を越流する時に石灰分の沈積が化学的に加速するためでもある。

このような景観が約200mの高さにわたって形成されている。

規模はずっと小さいが、同種の微地形が鍾乳洞内にもみられることがあり、これを畦石池という。

ヒエラポリス遺跡はパムッカレの石灰華段丘の一番上にある遺跡。

ローマ帝国の温泉保養地として栄えた。

ローマ帝国時代にも地震で破壊されるが、その後復興。

しかし1354年の大地震で完全に廃墟と化す。

ローマ劇場、ローマ浴場が残る。

住所:〒20190 デニズリ Pamukkale, トルコ [地図]



登録年: 1988年
登録区分: 複合遺産

行き方:日本からイスタンブールのアタテュルク国際空港までは13時間ほどのフライト。

その後アタテュルク国際空港から国内便で、デニズリ空港まで1時間ほどのフライトです。

デニズリ空港からパムッカレまでは直行するバスは本数が少なく、デニズリ市内からバスを乗り換える方法でもアクセスすることができます。

その他、イスタンブールからパムッカレまでの夜行バスもあります。

外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:白の絶景温泉とローマ帝国遺跡!トルコの世界遺産ヒエラポリス-パムッカレ

パムッカレまで行って下さい。  Lütfen Pamukkale’ye gidin.

パムッカレはどこですか?  Pamukkale nerede?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

8.サフランボル市街  Safranbolu şehri

サフランボル(トルコ語: Safranbolu)は、トルコにある街である。

カラビュック県に属し、2000年現在の人口は、47,257人。

黒海から100km離れた場所に位置し、トルコの首都アンカラからおよそ北200キロメートルに位置している。

町の歴史は11世紀に遡ることが可能である。

1994年、UNESCOの世界遺産に「サフランボル市街」の名で登録された。

サフランボルの名前の由来は、香料サフランの集積地として発展した歴史にある(ギリシア語名はサフラムポリス、Saframpolis, Σαφραμπολις)。

サフランボルには、先史時代の遺跡及びローマ時代の墓や橋梁も現存しているが、歴史の表舞台に立ったのは、11世紀以降である。

世界遺産に登録されているサフランボル旧市街は、乾燥した峡谷に位置しており、旧市街は、旧市街の約2km東に位置している。

サフランボル旧市街には、多くの古い建築物が保存されている。

私立の博物館が1つ、25のモスク、5つの霊園、8つの歴史的な噴水、5つのトルコ式浴場、3つの隊商宿(キャラバンサライ)、1つの歴史的な時計等、1つの日時計及び数百に上るイスラーム建築によって建設された住居である。

13世紀には、交易の中心として発展を遂げた。

サフランボルに現存する建築物群であるモスク、浴場、スレイマン・パシャのマドラサは、1322年に建設された。

サフランボルの栄華の頂点は、17世紀である。市場が現地の住居よりも優先されて拡張される一方で、60室のゲストルームがある宿屋、コプルル・モスク、イツレット・モスクといった建築物が17世紀から18世紀にかけて建設された。

また、オスマン建築に基づいて、建設された住居が当時の姿のまま建設されたのもこの時期である。

しかし、鉄道の発展により、20世紀には、サフランボルは衰退の一途をたどることとなった。

住所:カラビュック サフランボル [地図]



登録年: 1994年
登録区分: 文化遺産

行き方:サフランボルはトルコの首都アンカラからおよそ北に200キロほどのところにあり、バスで行くことができます。

またイスタンブールのアジア側にあるバスターミナル・ハレムガラジュからバスでカラビュクを経由し約7時間半。

世界遺産のギョレメやパムッカレを経由して行くこともできます。

外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年10月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:トルコの世界遺産サフランボル市街、オスマン帝国の香り漂うサフランの里!

サフランボルまで行って下さい。  Lütfen Safranbolu’ya gidin.

サフランボルはどこですか?  Safranbolu nerede?

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9.トロイの考古遺跡  Truva arkeolojik alanı

イリオスは、ギリシア神話に登場する都市。

イリオントロイアトロイアーなどとも呼ばれる。

現在のトルコ北西部、ダーダネルス海峡以南(同海峡の東側、アジア側、トルコ語ではトゥルヴァ)にあったとされる。

遺跡の入り口には、有名な「トロイの木馬」の複製が建てられている。

一般に、ハインリヒ・シュリーマンによって発掘された遺跡がイリオスに比定されている。

神話ではかなりの規模を持った都市国家で、それが事実であった事を示唆する遺構も幾つかは確認されているものの、現在は城塞以外の遺構は殆んど残っていない。

ギリシア神話においては、アガメムノーンを頭とするアカイア軍に滅ぼされたとされ、そのあらましはホメロスの『イーリアス』をはじめとする叙事詩環に描かれている。

トロイの古代遺跡については、イリオス遺跡を参照のこと。

住所:Ancient City of Troy, Truva altı sokak, 17100 Tevfikiye/Merkez/Çanakkale, トルコ [地図]



登録年: 1998年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:30~17:30
電話番号:+90 286 217 67 40
ウェブサイト

行き方:世界遺産・トロイの古代遺跡へのアクセスは、イスタンブールからならまず港町ゲリボルに向かいます。

そしてゲリボルからフェリーで対岸へ渡り、そこから車かバスで世界遺産トロイの古代遺跡近郊の街チャナッカレへ。

そして後はチャナッカレからタクシーで世界遺産トロイの古代遺跡へアクセスしましょう。

外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年10月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:トロイの木馬伝説の舞台!トルコの世界遺産、トロイの古代遺跡

トロイの古代遺跡まで行って下さい。  Truva’nın antik kalıntılarını ziyaret edin.

トロイの古代遺跡はどこですか?  Truva’nın antik kalıntıları nerede?

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10.セリミエ・モスクとその社会的複合施設群  Selimiye Camii ve külliyesi

セリミエ・モスク(Selimiye Mosque、トルコ語: Selimiye Camii)はオスマン帝国時代に建設されたモスクの1つで、トルコのエディルネにある。

皇帝セリム2世の命で、建築家ミマール・スィナンが1568年から1574年に建設した。

スィナン自身が最高作としており、イスラーム建築の最高到達点の1つとされている。

このモスクはキュッリイェ(病院、学校、図書館、浴場などの集まった複合施設)の中心にあり、そのキュッリイェにはマドラサ(イスラム神学と科学を教える高等教育機関)、dar-ül hadis (Al-Hadith school)、計時係の部屋、市場などがあった。

スィナンはこのモスクで、四角い部屋の壁に8本の柱を設け、その8本の柱で形成する八角形でドームを支持するシステムを採用した。

部屋の四隅にはその柱と柱を結ぶアーチの奥に半ドームがあり、それらが大ドーム(球形で直径31.25m)と壁の中間にある。

通常のモスクでは部屋が区切られているが、スィナンはこのエディルネでモスクのどの位置からでもミフラーブを見られるような構造にすることを心掛けた。

4基の高いミナレットに囲まれ、その先に巨大なドームが見える。

モスクの周囲には様々な施設がある。

図書館、学校、宿坊、公衆浴場、貧民のための無料食堂、市場、病院、墓地などである。

これら付帯施設は可能な限り軸方向に並ぶように配置され、グループ化されている。

モスクの正面には、モスクとほぼ同じ面積の矩形の中庭がある。

しかし、セリミエ・モスクの斬新な点は建物の大きさではなく、内部の構成にある。

ミフラーブはアプス風のアルコーブの中にあり、3方向の窓から照らされるように十分な奥行きを確保している。

これには、壁の下の方のタイルが自然光できらめくという効果がある。

その部分がメインホールと融合し、ドームの下の四角い部屋と共に八角形を形成している。

8本のドームを支える柱が形成する八角形を、対角線上の四角形の四隅の半ドームで覆われた部分が貫いている。

互いに包み込み合っている幾何学的形状の相似に起因する美しさは、スィナンが長年追い求めた統合された室内空間の到達点だった。

住所:Meydan, Mimar Sinan Cd., 22020 Edirne Merkez/Edirne, トルコ [地図]



登録年: 2011年
登録区分: 文化遺産
営業時間:06:30~20:30
ウェブサイト

行き方:イスタンブールから世界遺産セリミエ・モスクと複合施設群がある街・エディルネまではバス利用になります。

イスタンブールのエセンレル・オトガル(バスターミナル)からエディルネ・オトガルまでは2時間半から3時間程度。

チケットは直接オトガルか、事前に市内にあるバス会社から購入です。

イスタンブールからエディルネまでは鉄道もありますが本数が少なく駅も町から遠いのでバスが便利です。

エディルネ・オトガルから世界遺産のセリミエ・モスクがある街の中心部へは無料の小型バスが出ています。

15分程乗車で世界遺産のセリミエ・モスク付近に到着します。

また、エディルネ・オトガルに戻る際は、降りた場所の反対側から乗車になります。

外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年10月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:イスラム建築最高峰の一つ!世界遺産・セリミエ・モスクと複合施設群

セリミエ・モスクまで行って下さい。  Selimiye Camii’ne gidin.

セリミエ・モスクはどこですか?  Selimiye Camii nerede?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』