2023年12月25日更新

イスタンブール

イスタンブール

1.ディヴリーイの大モスクと病院  Divri Ulu Cami ve Darüşşifası

ディヴリーイの大モスクと病院は、トルコの世界遺産の1つ。

大モスク(ウル・ジャミィ)は、1228年から1229年にかけて、現地のベイリクであるメンギュジェク朝のアフメッド・シャーの手によって、スィヴァス県のディヴリーイに建設された。

建築家はアフラト出身のヒュッレムシャーで、碑文にはルーム・セルジューク朝のカイクバード1世を称える文章が記されている。

付属する病院(ダリュシュシファ)は、エルズィンジャンの支配者ファフレッディン・ベフラム・シャーの娘トゥラン・メレク・スルタンの発願により建設された。

住所:Kemenkeş, Ulu Cami Cd., 58300 Divriği/Sivas, トルコ [地図]


登録年: 1985年
登録区分: 文化遺産
営業時間:臨時休業
ウェブサイト

行き方:トルコ・イスタンブール(アタテュルク国際空港)から国内線でシヴァス空港に向かいます。

所要時間は約2時間ほどです。

シヴァスに到着したら電車に乗り換えてディヴリーイの街まで行きます。

所要時間は約3時間ほどです。

外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年10月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:イスラム建築の最高峰!トルコの世界遺産、ディヴリーイの大モスクと病院

ディヴリーイの大モスクと病院まで行って下さい。  Divri Ulu Cami’ye ve hastaneye gidin.

ディヴリーイの大モスクと病院はどこですか?  Divri Ulu Cami ve Darüşşifası nerede?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2.イスタンブルの歴史地区  İstanbul’un Tarihi Merkezi

イスタンブール歴史地域(イスタンブールれきしちいき)は、トルコ最大の都市イスタンブールの旧市街にある歴史的建造物群に設定されたユネスコの世界遺産リスト登録物件(文化遺産)。

日本では「イスタンブール(の)歴史地区などとも表記される。

イスタンブール歴史地域は、4世紀以来東ローマ帝国の帝都コンスタンティノポリス(英語名コンスタンティノープル)が、15世紀からはオスマン帝国の帝都イスタンブール(別名コスタンティニエ)が位置した、現在のイスタンブールの旧市街地区に設定されている。

この町はアジア州のアナトリア半島とヨーロッパ州のバルカン半島を隔てるボスポラス海峡のヨーロッパ側にある半島に位置し、海峡を抜けて北に出れば黒海、南に抜ければエーゲ海に至る海上交通の要衝でもある。

紀元前7世紀頃、このイスタンブール旧市街地区に最初の都市をつくったのはギリシャ人入植者たちで、彼らの建てたビュザンティオンは旧市街のある半島の先端にあった。

最古の城壁は、遺跡公園地区の北部、現在のトプカプ宮殿の城壁にアヤソフィアのあたりを加えた程度の広さしかなかった。

古代ギリシアが古代ローマに組み込まれるとビュザンティオンもローマ都市となり、3世紀には城壁のすぐ側にヒッポドローム(競馬場)が建設された。

330年、ローマ帝国のコンスタンティヌス1世はローマに代わる首都としてビュザンティオンを選び、コンスタンティノポリスと改名。

従来の城壁の2km西にコンスタンティヌスの城壁が築かれ、市域を大幅に拡張してローマに匹敵する大都市を建設した。

同じ世紀の末にはローマ帝国の東西分裂によって東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都となり、ヴァレンス水道橋(378年完成)やハギア・ソフィア大聖堂(537年竣工)などの、現存する優れた建造物が次々に建設された。

413年にはテオドシウスの城壁が完成、市域をコンスタンティヌスの城壁からさらに西に2km伸ばし、堅固な城壁と海によって囲まれ、壮麗な宮殿と数百にも及ぶ教会が立ち並ぶ大都市コンスタンティノポリスが完成する。

その人口は東ローマ帝国の盛衰にともなって上下するが、大城壁の堅い守りによって、1204年の十字軍による攻略まで外敵による占領を受けることはなかった。

1453年のコンスタンティノポリス陥落によって東ローマ帝国が最終的に滅ぶと、新たな支配者であるオスマン帝国は、ハギア・ソフィア大聖堂やパントクラトール修道院付属教会、城壁近くのコーラ修道院などのキリスト教の教会をモスクに転用した。

このとき、モザイクの壁画は漆喰に塗りこめられたので、かえって20世紀に漆喰がはがされるまで無事に保存されることになる。

また、古代ビュザンティオン市の跡地にトプカプ宮殿が造営され、16世紀にはビザンティン建築の精華を十分に吸収したムスリム(イスラム教徒)の建築家ミマール・スィナンによってスレイマニエ・モスクなど、すぐれたトルコ・イスラム建築が建てられた。

17世紀にはハギア・ソフィア大聖堂あらためアヤソフィア・モスクと並ぶようにスルタンアフメト・モスク(通称ブルー・モスク)が建設されるなど、モスクのミナレットと大ドームが林立するイスタンブール歴史地域の美しい景観がはぐくまれていった。

イスタンブールはオスマン帝国の繁栄のもと都市化が進み、市街地は城壁や海を越えて広がっていった。

古くからの市街は19世紀以降、人口稠密な旧市街地区となっていき、政府機能も市街の外に離れる。

しかし、かつての宮殿やモスクはよく保存され、20世紀に成立したトルコ共和国のもとで保存と修復、公開が行われている。

トルコは1923年から始めた旧市街整備の際には、旧市街に幹線道路を通して文化財の損壊を招いたこともあったが、その後の整備はそうした反省に立って行われている

現在では世界中から旅行者を引き寄せる大観光地となり、旧刑務所をホテル、旧病院を高級レストランに転用するなど、一部の歴史的建造物の活用も行われている

住所:Sultan Ahmet, Ayasofya Meydanı No:1, 34122 Fatih/İstanbul, トルコ [地図]



登録年: 1985年
登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業
電話番号:+90 212 522 17 50
ウェブサイト

行き方:日本からイスタンブールへは直行便があり、所要時間はおよそ12時間です。

イスタンブールのアタテュルク国際空港から市内へのアクセスは、シャトルバス、地下鉄、タクシー、市内バスの4通り。

一番簡単で安心なのがシャトルバス。

所要時間も40分程度なのでおすすめです。

しかし渋滞にはまるとなかなか抜け出せないのが、イスタンブールの交通事情。

そこで次におすすめは地下鉄です。

空港の地下に直結しており、約1時間ほどでブルーモスク周辺まで行くことができます。

外務省海外安全ホームページでは十分注意地域となっています。(2023年10月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:アジアとヨーロッパを結ぶエキゾチックな世界遺産イスタンブール歴史地域

アヤソフィアまで行って下さい。  Lütfen Ayasofya’ya gidin.

アヤソフィアはどこですか?  Ayasofya nerede?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

3.ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群  Göreme Milli Parkı ve Kapadokya Mağaraları

ギョレメ国立公園はトルコのカッパドキア地方ネヴシェヒル県にある国立公園である。

奇岩群と古代ローマ時代にギリシア人のキリスト教徒によって建設された地下都市がある。

カッパドキア観光の中心地であり、1985年、ユネスコの世界遺産(複合遺産)に「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石遺跡群」として指定された。

この地域への初期の移住は キリスト教が伝播した頃の古代ローマ後期にさかのぼる。

史跡の中にはギョレメのオルタハネ、ドゥムス・カディル、ユフス・コックとベジルハネの教会、岩から彫られた家々と縦抗がある。

住所:〒50180 ネヴシェヒル Nevşehir Merkez, Göreme [地図]



登録年: 1985年
登録区分: 複合遺産

行き方:イスタンブールから空路で1時間20分。

カッパドキアエリアの最寄り空港はカイセリとネヴィシェヒルです。

カイセリからギョレメまでは車で1時間、カイセリからは40分ですがカイセリの方が便が多いので便利です。

長距離バスはかなりリーズナブルに移動できますが、移動時間が11時間ほどと体力に自信のある方であれば問題ないでしょう。

イスタンブール発のツアーなどもあり、自分で予定を立てるのが苦手な方にはこちらがおすすめです。

外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年10月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:世界に一つの奇観!世界遺産ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群

カッパドキアまで行って下さい。  Lütfen Kapadokya’ya gidin.

カッパドキアはどこですか?  Kapadokya nerede?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

4.ヒッタイトの首都 ハットゥシャ  Hititlerin başkenti Hattuşa

ハットゥシャまたはハットゥシャシュ (トルコ語: Hattuşaş)は、トルコの首都アンカラより東に145キロメートルのボアズカレ(旧・ボアズキョイ)近郊、海抜1000メートルほどの丘陵地帯にある遺跡。

紀元前17世紀 – 紀元前13世紀に繁栄したヒッタイト帝国の都。

1906年、ドイツの考古学者フーゴー・ウィンクラーによって発見された。

その後、発掘調査がおこなわれ、大神殿跡、突撃門や上の街神殿群跡、獅子門などが確認されている。

1986年、ユネスコの世界遺産に登録された。

住所:ボアズキョイ/チョルム トルコ [地図]



登録年: 1986年
登録区分: 文化遺産

行き方:ハットゥシャの遺跡は、トルコの首都アンカラの東約150kmに位置する村ボアズカレの近郊にあります。

アンカラからスングルル経由でボアズカレまで車で約3時間ほどです。

現地発のツアーもあります。

外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年10月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:世界遺産ヒッタイトの首都ハットゥシャ、トルコに繁栄した大帝国

ハットゥシャまで行って下さい。  Lütfen Hattuşa’ya gidin.

ハットゥシャはどこですか?  Hattuşa nerede?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

5.ネムルト・ダウ  Nemrut Dow

ネムルト山ネムルト・ダウネムルトダーゥネムルットダウネムルット・ダーネムルト・ダートルコ語: Nemrut Dağı)は、トルコ東部の標高2,134 mの山である。

アドゥヤマン近郊のキャフタから40km 北に位置している。

ネムルト山は19世紀後半にオスマン帝国軍が偶然山頂付近を行軍した際に、山頂部が人工的な建造物であったことが発見され、1881年にドイツ出身の技師カール・ゼシュター(Karl Sester)によって本格的な発掘調査が行われた。

ネムルト山の山頂には、コンマゲネ王国の王アンティオコス1世が紀元前62年に建てた、王自身の座像を含む8 – 9 m の巨大像が並ぶ巨大墳墓があるとされているが、現在でも埋葬施設が発見されていない。

この事から現在でも、宗教上の儀式を執り行う場として機能していたとする説と、王自身がそこに永眠することを望んだ墓所とする説とが対立しているが、結論は出ていない。

住所:Nemrut Dağı Yolu, 02000 Kayadibi/Kâhta/Adıyaman, トルコ [地図]



登録年: 1987年
登録区分: 文化遺産
ウェブサイト

行き方:ネムルトダーへはキャフタの街から行くのが便利。

朝日と夕日のツアーがあるが、どちらかだけで充分。

イスタンブールとアンカラからアディヤマン空港までフライトあり。

一日一便づつ。

アディヤマン空港はアディヤマンとキャフタの中間にあり、キャフタの街からタクシーで30分くらい。

外務省海外安全ホームページでは十分注意地域となっています。(2023年10月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:ネムルト山

ネムルト・ダウまで行って下さい。  Lütfen Nemrut Dau’ya gidin.

ネムルト・ダウはどこですか?  Nemrut Dau nerede?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』