2024年10月15日更新

ボローニャ

ボローニャ

56.Padua’s fourteenth-century fresco cycles  I cicli di affreschi trecenteschi di Padova

パドヴァの14世紀のフレスコ画サイクルは、2021年にリストされた、イタリアのパドヴァにあるユネスコの世界遺産。

この場所は、4つのクラスターに、宗教的および世俗的な8つの建物で構成されている。

ジョット、グアリエントディアルポ、ジュストデメナブオイ、アルティキエーロダゼビオ、ヤコポダヴァンジ、ヤコポダヴェローナなどの著名な画家によって1302年から1397年にかけて描かれたフレスコ画が収められている。

フレスコ画は寓話的な物語を描くという点で革新的であり、新しい視点を使用している。

キャラクターの感情がリアルに表現されている。

一部のフレスコ画では、それらを依頼した後援者が物語の登場人物の1人として描かれている。

この新しいフレスコ画のスタイルは、イタリアのルネサンス以降の何世紀にもわたるフレスコ画の基礎を形成した。

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登録年: 2021年

登録区分: 文化遺産

行き方:ヴェネツィアからトレニタリア社列車で1時間。フィレンツェからなら1時間半。

パドヴァの14世紀のフレスコ画サイクルに行って下さい。 Vai al ciclo di affreschi di Padova del XIV secolo.

パドヴァの14世紀のフレスコ画サイクルはどこですか? Dov’è il ciclo di affreschi trecenteschi di Padova?

出典元: UNESCO世界遺産センター

57.The Great Spa Towns of Europe  Le grandi città termali d’Europa

ヨーロッパの大温泉保養地
この国境を越えた世界遺産は、ヨーロッパの7か国にある11の温泉街で構成されている。

バーデンベイウィーン(オーストリア); スパ(ベルギー);  FrantiškovyLázně ; カルロヴィ・ヴァリ ;  MariánskéLázně(チェコ); ヴィシー(フランス); Bad Kissingen ; バーデンバーデン ; バートキッシンゲン(ドイツ); モンテカティーニテルメ(イタリア); とバース市(イギリス)。

これらの町はすべて、天然ミネラルウォーターの泉を中心に発展した。

18世紀初頭から1930年代にかけて発展したヨーロッパの国際的なスパ文化を目の当たりにし、バス、クルハウス、クルサールなどのスパの建物の集合体の周りの都市の類型に影響を与えた壮大な国際リゾートの出現につながった。

セラピー、ポンプ室、飲酒ホール、列柱、ギャラリーは、天然のミネラル水資源を利用し、入浴や飲酒に実際に使用できるように設計されている。

関連施設には、庭園、集会室、カジノ、劇場、ホテル、ヴィラ、およびスパ固有のサポートインフラストラクチャが含まれる。

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登録年: 2021年

登録区分: 文化遺産

行き方:モンテカティーニ・テルメへの交通アクセスとしては、トスカーナ州の州都フィレンツェからプラートとピストイアを経由してモンテカティーニ・テルメまで車で 50分(北西へ道なりで 50㎞)、ピストイアから車で 17分(南西へ道なりで 16㎞)です。

モンテカティーニ・テルメに行って下さい。 Vai a Montecatini Terme.

モンテカティーニ・テルメはどこですか? Dove si trova Montecatini Terme?

出典元: UNESCO世界遺産センター

58.The Porticoes of Bologna  I Portici di Bologna

ボローニャの柱廊玄関
12世紀から現在までボローニャの自治体内に位置する柱廊玄関のアンサンブルとその周辺の建築エリアで構成される12の構成要素で構成されている。

これらの柱廊玄関のアンサンブルは、総延長62kmをカバーする市内の柱廊玄関の中で最も代表的なものと見なされている。

いくつかの柱廊玄関は木でできており、他の柱廊は石やレンガでできており、鉄筋コンクリートでできており、通りの片側または両側の道路、広場、小道、歩道を覆っている。

他の建物と構造的な連続体を形成しないため、包括的な屋根付きの通路や通路の一部ではない柱廊玄関の建物が含まれている。

柱廊玄関は、商人の活動のための保護された通路と最高の場所として高く評価されている。

20世紀には、コンクリートを使用することで、従来のアーチ型のアーケードを新しい建物に置き換えることができ、バルカ地区に例示されているように、柱廊玄関の新しい建築言語が登場した。

選択された柱廊玄関は、さまざまな類型、都市および社会的機能、および年代順を反映している。

公共の使用のための私有財産として定義された柱廊玄関は、ボローニャの都市アイデンティティの表現と要素になっている。

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登録年: 2021年

登録区分: 文化遺産

行き方:ボローニャには、グリエルモ・マルコーニ空港という国際空港があり、市街地からの距離が約6kmと、大変便利な位置にある。

日本からの直行便はないが、さまざまな欧州系の航空会社が乗り入れている。

ボローニャ市街地とボローニャ空港間を、公共交通機関を使って移動するなら、バスかタクシーになる。

又、ボローニャは、鉄道の便が非常に良い町です。

ミラノから1時間、ヴェネツィアから1時間15分、フィレンツェからは、何と30分ちょっとです。(全てFreccia利用)

参考URL:ボローニャへの行き方 空港と市街地のアクセス方法など

ボローニャの柱廊玄関に行って下さい。 Vai all’ingresso del portico di Bologna.

ボローニャの柱廊玄関はどこですか? Dov’è l’ingresso del portico a Bologna?

出典元: UNESCO世界遺産センター

59.アペニン山脈北部の蒸発岩のカルスト・洞窟群  Sistemi carsici evaporitici e di grotte nell’Appennino settentrionale

アペニン山脈(アペニンさんみゃく、英: Apennine, アペナイン、伊: Appennini, アッペンニーニ)は、新期造山帯に属し、イタリアに存在する山脈。

イタリア半島を縦貫する山脈であり、長さは約1,200km。

北・中央・南に区分される。

最高峰は中央アペニン山脈にあるコルノ・グランデの標高2,912m。

アフリカプレートがユーラシアプレートに衝突した影響で白亜紀末期よりアルプス山脈が隆起して形成された。

アペニン山脈はそれより遅れて誕生して2000万年前の新第三紀の初めから隆起が始まり現在の姿となった。

アペニン山脈はアルプス山脈の一部として形成されたのではなく、アドリア海からポー平原に続く沈降域の南側の隆起帯で、正断層が発達している。

また、北アペニン山脈には蒸発岩の石膏によるカルスト地形があり、その中で総長さ100km以上の900か所以上の洞窟が狭い地域に集まっている。

2023年にユネスコの世界遺産に登録された

住所:42030 Villa Minozzo, Province of Reggio Emilia, イタリア [地図]


登録年: 2023年

登録区分: 自然遺産

行き方:アペニン山脈はイタリア半島を縦貫する山脈で総延長は1200km。

北部に位置するエミリア=ロマーニャ州では「蒸発岩」という、塩分を含んだ水が干上がり、水中に溶けた物質が固体化して形成されたカルスト地形が見られる地。

この地では700以上もの洞窟があり、美しい鍾乳洞には端脚類の二ファルグス・ポイアノイと呼ばれる、珍しいエビのような生物など、洞窟だけに暮らす生物も多く、固有種が見られます。

セッキア渓谷にある三畳紀(約2億5190万年前〜約2億130万年前)の硬石膏は、非常に稀な蒸発岩で、ここは世界でも最も古い硬石膏の洞窟とイタリア最大のカルストの温泉が存在しています。

参考URL:ボローニャへの行き方 空港と市街地のアクセス方法など

セッキア渓谷に行って下さい。 Andate in Valle del Secchia.

セッキア渓谷はどこですか? Dov’è la Valle del Secchia?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

60.「街道の女王」アッピア街道  “Regina delle strade” Via Appia

アッピア街道(アッピアかいどう、ラテン語: Via Appia)は、現存するローマ街道の中でも最も有名なもののひとつで「街道の女王」の異名を持つ。

新しいアッピア街道が1784年に旧道に平行して敷設されたため、アッピア旧街道(Via Appia Antica)とも呼ばれる。

2024年にUNESCOの世界遺産リストに登録された。

紀元前312年、当時のケンソルであったアッピウス・クラウディウス・カエクスの要請により、元老院の反対のなか、ローマとアルバーノ丘陵を結んでいた街道を改修、拡大し敷設が始まった。

敷石には頑丈なウェスウィウス山の火山岩(おもに玄武岩)が用いられた。

アッピア旧街道の当初のルートはローマのセルウィウス城壁出口の一つカペーナ門(カラカラ浴場付近)を起点とし、アリッチャ、アッピウスのフォルム、テッラチーナ、フォンディ、フォルミア、ミントゥルノ(ミントゥルナエ)、モンドラゴーネ(シヌエッサ)、カープアまでであった

紀元前190年、街道はベネウェントゥム(現在のベネヴェント)やウェヌシア(現在のヴェノーザ)までさらに延長され、紀元前244年にはタレントゥム(現在のターラント)とブルンディシウム(現在のブリンディジ)まで延長された。

また、途中のベネウェントゥムからブルンディシウム(現在のブリンディジ)を直線で結ぶトラヤナ街道(トラヤヌスのアッピア街道)が109年に造られている。

紀元前71年、約6000人の奴隷がスパルタクスに率いられ反乱を起こした。

マルクス・リキニウス・クラッススによってこの奴隷反乱が鎮圧されると逮捕された反乱者たちは街道沿いに十字架にかけられ、それらはポンペイにまで達した。

ローマ帝国の滅亡後、街道は永らく使用されなかったが教皇ピウス6世の命により修復され再び利用された。

街道の広い部分は元の状態で現在まで保存されていて、ところどころは現在でも自動車道として使用されている(ヴェッレトリ近辺など)。

ローマに近い街道沿いの部分では、ローマ時代の墓碑や初期キリスト教のカタコンベを多数見ることができる。

ローマ布教に際し皇帝ネロによる弾圧で追われる身となった聖ペトロが、アッピア街道の中途でイエスの幻影に出会い、「主よ、どこへ行かれるのですか(Domine, quo vadis ?)」と尋ねたところとしても知られる。

現在その場所にはドミネ・クォ・ヴァディス教会が建てられている。

このとき「もう一度十字架にかけられるためにローマへ」というイエスの答えを聞いたペトロは己のすべきことを悟って再度ローマへ赴き、逮捕されて逆さ十字架の刑に処されたとされる。

刑場の跡地は現在のバチカンであり、墓所はサン・ピエトロ大聖堂となっている。

サン・セバスティアーノ門を起点とし、ドミネ・クォ・ヴァディス教会の地点より10キロほどの緑地帯が続く「旧アッピア街道(ヴィア・アッピア・アンティカ)」は、ローマ帝国時代の石畳と松並木(イタリアカサマツ)の風景、街道周囲の遺跡が今も残るアッピア街道州立公園として整備されている。

並行して「新アッピア街道(ヴィア・アッピア・ヌオヴァ)」という高速道路も存在し、ローマ・チャンピーノ空港を経由して南東方向へと伸びている。

チャンピーノを過ぎたあたりで州立公園の旧道は終了し、新アッピア街道と合流して現代の道路の様相となる。

住所:Aurelian Walls, Via di Porta San Sebastiano, 18, 00179 Roma RM, イタリア [地図]


登録年: 2024年

登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業
電話番号:+39 06 0608
ウェブサイト

行き方:地下鉄A線サン・ジョヴァンニ(San Giovanni)駅から218番のバスでポルタ・サンセバスティアーノ(Porta San Sebastiano) で降りる。

参考URL:サン・セバスティアーノの門(Porta di San Sebastiano)の観光情報

サン・セバスティアーノ門に行って下さい。 Andate a Porta San Sebastiano.

サン・セバスティアーノ門はどこですか? Dov’è Porta San Sebastiano?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』