2024年11月30日掲載

メゾン・カレ

メゾン・カレ

51.ニームのメゾン・カレ  Maison Carré à Nîmes

メゾン・カレ(Maison Carrée)は、南フランスのオクシタニー地域圏ニームにある古代の建築物で、ローマ帝国の版図の中でも特に保存状態がよい古代の神殿のひとつである。

紀元前16年ごろ建設され、続く数年でローマのパンテオンの最初の施主でもあったマルクス・ウィプサニウス・アグリッパの手により再建された

そして紀元2年から5年ごろ、アグリッパの2人の息子ガイウス・カエサルとルキウス・カエサルを祭るようになった。

2人はアウグストゥスの後継者だったが、そのころ相次いで早世している。

ガイウスとルキウスに捧げられた碑文は中世期に除去された。

しかし1758年、地元の学者 Jean-François Séguier は、ポルチコのファサードにあった穴の数と位置から碑文の再現に成功した(碑文は青銅製の文字を打ち付けたものだった)

この神殿は4世紀にキリスト教の教会に転用され、ローマが国教をキリスト教と定めた後に異教の神殿などが破壊された際にも破壊を免れた。

その後、会議場などに使われ、フランス革命期には政府所有の馬のための馬小屋となり、さらに市の公文書保管庫とされた。

1823年以降は美術館となった。

そのフランス語の名称は古語 carré long に由来し、「長方形」を意味しており、この建物の外形を指している。

住所:Pl. de la Maison Carrée, 30000 Nîmes, フランス [地図]

 

登録年: 2023年
登録区分: 文化遺産
営業時間:09:30~18:30
電話番号:+33 4 66 21 82 56
ウェブサイト

行き方: 鉄道 ニーム(NIMES)駅から、徒歩 20分。

参考URL:レトロな建物を訪ねて

メゾン・カレに行って下さい。 Veuillez vous rendre à la Maison Carré.

メゾン・カレはどこですか? Où se trouve Maison Carré ?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

52.プレー山およびマルティニーク北部の尖峰群の火山・森林群  Volcans et forêts du Mont Pré et des pinacles du nord de la Martinique

プレー山(プレーさん、仏: Montagne Pelée)は、西インド諸島のなかのウィンドワード諸島に属するマルティニーク島にある活火山。

名称は『はげ山』の意味。

1902年に大噴火を起こし、当時の県庁所在地だったサン・ピエールを全滅させた。

その結果、約30,000人が死亡、20世紀の火山災害中最大であったことで知られる。

モンプレーMont Pelée)とも呼ばれる。

西インド諸島はカリブプレートが南アメリカプレートの下に潜り込む沈み込み帯に位置するため、一帯にはプレー山を含む著名な火山が4つ位置する。

北から順に

  • スーフリエール・ヒルズ
  • スーフリエール
  • プレー
  • 第二のスーフリエール

である

プレー山はマルティニーク島の北端に位置し、海抜1397メートルである。

富士山と同じ形式の成層火山であるが山腹にえぐられた谷は富士山より深く、より古い火山と考えられる。

しかし、ヨーロッパ人がマルティニーク島に到来したのは1635年以降であるので火山活動の記録は新しい。

ヨーロッパ人到来以降の最初の噴火は1792年であり、1851年にも噴火があったがいずれも小規模で住民の注意を喚起するようなものではなかった。

20世紀初頭にサン・ピエールに悲劇をもたらした火山活動のほか、一帯にはカエルのAllobates chalcopis、ヘビのErythrolamprus cursor、鳥類のマルチニクムクドリモドキなどの絶滅危惧種または固有種が生息している。

関連するピトン・デュ・カルベの山々と共に、2023年に国際連合教育科学文化機関 (UNESCO) の世界遺産リストに登録された

住所:マルティニーク 〒97250 サン=ピエール [地図]


登録年: 2022年

登録区分: 自然遺産

行き方: マルティニークへの直行便はありません。

カナダやアメリカで乗り換えするのが一般的。

片道約32時間55分

参考URL:マルティニークへの行き方

プレー山に行って下さい。 S’il vous plaît, allez au mont Prey.

プレー山はどこですか? Où se trouve Prey Mountain ?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

53.テ・ヘヌア・エナタ – マルキーズ諸島  Te Henua Enata – Îles Marquises

マルキーズ諸島(マルキーズしょとう、マルケサス諸島とも、フランス語: îles Marquises、英語: Marquesas Islands)は、南太平洋にあるヌクヒバ島やヒバオア島など12の火山島とひとつの環礁(Motu One)からなる諸島。

フランス領ポリネシアの一部を成し、タヒチ島からは北東に約1,500キロメートルの海域に位置する。

サンゴ礁はほとんどなく、険しい海食崖を示す。

世界のどの大陸からも、最も離れている諸島となっている(アメリカ大陸のカリフォルニアまで5,500キロメートル、ニュージーランドまで5,800キロメートル、日本まで9,800キロメートル)。

先住民はポリネシア系で、先住民の言葉ではこの島々が「人間の土地」、「テ・フェヌア・エナナTe Fenua Enana」(北マルキーズ語)もしくは「テ・フェヌア・エナタTe Fenua Enata」(南マルキーズ語)と呼ばれる。

約4,000年前に台湾島周辺から南下したポリネシア民族の祖先が、メラネシア系の民族から逃れて、約2,000年前にサモアやトンガを出発し、3,000キロメートル以上の航海の後、未踏であったこの諸島を最初に発見したとされる。

その後、ポリネシア人はこのマルキーズ諸島を拠点にして、トゥアモトゥ諸島、ソシエテ諸島、イースター島、ハワイ、そして最後にニュージーランドの2島を発見して、ポリネシア三角圏が出来上がったとされる

1595年7月にスペインの探検家アルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラが西洋人として初めて来航し、当時のペルー副王婦人(「侯爵夫人」=Marquesa)にちなんで「マルケサス諸島」と名付けた(仏語は「Marquise」)

その後、1842年にフランス領となった。

以降、欧米人の捕鯨の漁夫による暴力や、彼らが持ち込んだ病気などにより人口が激減した(19世紀末の約10万人から、1920代には約2,000人まで減少した)

現在は、総面積は約1,240平方キロメートルにして人口は8,064人。

中心地はヌク・ヒバ島のタイオハエと、ヒバ・オア島のアトアナ。

主な経済はコプラ、バニラ、タバコの輸出。

画家ゴーギャンはヒバオア島で没した。

シャンソン歌手のジャック・ブレルはヒバオア島で晩年を過ごし、ポール・ゴーギャンの近くの墓で葬られている。

ハーマン・メルヴィルの小説『タイピー』はヌクヒバ島のタイピー渓谷が舞台である。

住所:6X5R+F7V, Hiva Oa, 仏領ポリネシア [地図]


登録年: 2024年

登録区分: 複合遺産

行き方:マルケサス諸島に行くには時間がかかります。

また島から島への移動にも時間がかかります。

エアタヒチとエアモアナがパペーテからの直行便を週1回運航しています。

飛行時間は3時間20分です。

ヌクヒバ島からヒバオア島へのフライトは50分です。

島と島を結ぶ旅客フェリーもあり、クルーズ船も定期的に立ち寄っています。

参考URL:マルケサス諸島への行き方と島内の移動

ヌクヒバ島に行って下さい。 Allez à Nuku Hiva.

ヌクヒバ島はどこですか? Où se trouve Nuku Hiva ?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』