2024年8月28日更新

ポン・デュ・ガール

ポン・デュ・ガール

11.サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所までの煎熬塩の生産  Production de sel torréfié du grand moulin à sel de Saran-les-Bains au moulin à sel royal d’Al-Ke-Snan

サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所までの煎熬塩の生産は、製塩業の歴史を物語るとともに、かつて計画された理想都市の面影を含むフランスの産業遺産として、UNESCOの世界遺産リストに登録されている。

1982年にまずアル=ケ=スナンの王立製塩所が単独で登録され、2009年にサラン=レ=バンの大製塩所の拡大登録にともない、現在の名称となった。

かつて食塩は、食料の貯蔵に必須の食品であるとともに、それに課される塩税(ガベル)によって、フランス王国の国庫収入源のひとつとなっていた

それゆえ、古い製塩所は高い壁に囲まれ、塩が盗まれないように設計されることがしばしばであった

サラン=レ=バンの大製塩所は、中世に起源を持つ、そうした古いタイプの製塩施設である。

一方、アル=ケ=スナンの王立製塩所は、シャトー=サランにあった旧来の製塩所の移設計画に端を発するが、建築家クロード=ニコラ・ルドゥーの設計によって、のちの産業建築の先取りとなった建物である。

サラン=レ=バンの大製塩所とアル=ケ=スナンの王立製塩所は、いずれもそうした製塩業と産業建築の歴史を伝えるものとして登録された文化遺産であり、どちらもフランシュ=コンテ地域圏に残っている。

これらはともに煎熬(せんごう。釜で塩水を煮詰めて塩を得ること)による製塩施設である。

住所:Grande Rue, 25610 Arc-et-Senans, フランス [地図]


登録年: 1982年

登録区分: 文化遺産
営業時間:09:00〜19:00
電話番号:+33 3 81 54 45 00
ウェブサイト

登録対象(下記の外部リンクはGoogleマップを示しています。)

1.サラン=レ=バンの大製塩所

2.アル=ケ=スナンの王立製塩所

行き方:<サラン=レ=バン大製塩所へのアクセス>
パリのリヨン駅からTGVに乗ってドール(Dole)駅へ。

その後、電車TERに乗り換えて40分程のムシャール(Mouchard)駅を目指す。

ムシャール駅からサラン=レ=バン大製塩所まではバスでおよそ15分。

バス停を降りたらすぐに建物が見える。

パリからサラン=レ=バン大製塩所までの所要時間は、片道で約3時間です。

<アル=ケ=スナン王立製塩所へのアクセス>
パリのリヨン駅からTGVに乗ってドール(Dole)駅へ行き、TERに乗り換えてアル=ケ=スナン(Arc-et-Senans)駅で下車。

駅から製塩所までは徒歩で約2分。

パリからアル=ケ=スナン王立製塩所までは、片道2時間半の道のりです。

参考URL:フランスの世界遺産・天日製塩施設、サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所まで

アル=ケ=スナン王立製塩所に行って下さい。 Allez au moulin à sel royal d’Al-Ke-Snan.

アル=ケ=スナン王立製塩所はどこですか? Où se trouve le moulin à sel royal d’Al-Ke-Snan ?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

12.サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会  Église rattachée au Monastère de Saint-Savin-sur-Gartamp

サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会は、フランスのヴィエンヌ県の都市サン=サヴァンにある中世以来の教会堂。

保存状態の良好なロマネスク期の壁画36点が現存していることで知られ、ユネスコの世界遺産に登録されている。

なお、当初の登録名は「サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ教会 」だったが、2006年により現在の登録名になった。

ユグノー戦争末期に当たる1598年に修道院の設立憲章は失われてしまったため、正確な設立時期は定かではない。

伝統的には、5世紀にマケドニアでの迫害から逃れてきた2人のキリスト教徒サヴァンとシプリヤンに遡る。

彼らはガルタンプ川沿岸に逃れてきたが、そこで殉教し、現在のサン=サヴァン市の近くに葬られたという(サン=サヴァン・シュル・ガルタンプは「ガルタンプ川沿いの聖サヴァン」の意味)。

この300年ほど後に彼ら2人に殉教地から聖遺物が発見されたことから、カール大帝の秘書官だったバディウスは、この地に聖遺物を納めておくための修道院を作ることを決めたという。

アニャーヌのベネディクトゥスはヌルシアのベネディクトゥスの戒律を適用し、その地に20人ほどの修道士を住まわせた。

1010年にポワトゥー伯領とアキテーヌ伯領を治めていた女性領主オモドは、修道院に対して、現存する付属教会の建造を許可した。

その後、付属教会の建造はオドン、ジェルヴェ両修道院長のもとで、1040年から1090年まで続いた。

13世紀にはフランス王ルイ9世の弟である伯爵アルフォンス・ド・ポワティエが、修道院施設建造のための資金援助を行った。

その後、百年戦争中はイングランド側、フランス側と所有者を変えつつも繁栄した。

ユグノー戦争期には、カトリック、プロテスタント双方が所有をめぐって対立し、1562年と1568年にはプロテスタント側がスタールやオルガンを焼き払ったことで荒廃した。

さらには、修道院施設維持を目的とする収入にしか関心のない非聖職者の修道院長たちが任命されたことで荒廃に拍車がかかった。

17世紀初頭にはそうした修道院長の一人によって、石材として売り飛ばすために一部の施設が破壊された。

こうして、12世紀から13世紀に建てられた施設や回廊の多くが失われた。

1611年には、修道院長アンリ・ド・ヌシェズが修道士たちを追い出し、私物化した。

ただし、彼は1640年にルイ13世の命令で追放された。

こうした長い荒廃の時期は、ヌアイエ=モーペルチュイの修道院から派遣されたサン・モール修道会士たちが落ち着くことで、ひとまずおさまった。

1640年から1692年までの間に付属教会の修復と新施設の建造が行われた。

1世紀のうちには本来の機能を取り戻したが、フランス革命の勃発によって、またも荒らされた。

付属教会は憲兵たちの宿舎になり、中庭の回廊では革命祭が執り行われた。

1792年には付属教会は小教区の教会となり、最後まで残っていた4人の修道士たちも去った。

1833年に、当時の市長がひび割れをふさいだり、壁画を塗り直させようとしていた時に、ちょうど県知事アレクシス・ド・ジュシユーが訪れた結果、史跡巡視官リュドヴィク・ヴィテに警告が発せられ、付属教会の保護が検討された。

1836年に史跡巡視官プロスペル・メリメが喫緊の修復の必要を提起し、1840年には修復に着手されたことで、1849年にはひとまずの救済が成功したと見なされた。

1983年にはユネスコの世界遺産に登録され、1990年には国際壁画センター が創設された。

住所:Pl. de la Libération, 86310 Saint-Savin, フランス [地図]


登録年: 1983年

登録区分: 文化遺産
電話番号:+33 5 49 84 30 00
ウェブサイト

行き方:「サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会」の観光拠点となる街はポワティエです。

日本から行く場合はパリで国内線に乗り換えるか、モンパルナス駅から高速鉄道TGVを利用する。

おすすめは一日に17便運行しているTGV。

所要時間も片道1時間40分程なので、日帰り観光も可能。

サン=サヴァンは、ポワティエから東に約40kmの場所に位置する。

バスで約50分の距離だが、タクシーをチャーターしたりレンタカーでのんびり周るのも良い。

参考URL:有名なフレスコ画があるサン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会

サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院に行って下さい。 Rendez-vous au Monastère de Saint-Savin-sur-Gartamp.

サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院はどこですか? Où se trouve le Monastère de Saint-Savin-sur-Gartamp ?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

13.ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場  Place Stanislas, place de la Carrière et place de l’Alliance à Nancy

ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場は、フランス・ロレーヌ地方の都市ナンシーの中心部にある3つの広場。

整備されたのは18世紀のことであり、古典的な都市計画を偲ばせる広場として、3つまとめてユネスコの世界遺産に登録された。

住所:Pl. Stanislas, 54000 Nancy, フランス [地図]


登録年: 1983年

登録区分: 文化遺産
ウェブサイト

登録広場(下記の外部リンクはGoogleマップを示しています。)

1.スタニスラス広場

2.カリエール広場

3.アリアンス広場

行き方:パリの東駅からTGVで、約1時間40分で、ナンシー駅に到着する。

ナンシー駅からスタニスラス広場までは、スタニスラス通りを歩いて約10分。

広場の一角にある凱旋門を潜ると、そこがカリエール広場です。

スタニスラス広場の数百メートル東にいくとマリアンス広場がある。

参考URL:フランスの世界遺産ナンシーのスタニスラス、カリエール及びアリアンス広場

ナンシーのスタニスラス広場に行って下さい。 Rendez-vous place Stanislas à Nancy.

ナンシーのスタニスラス広場はどこですか? Où se trouve la place Stanislas de Nancy ?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

14.ピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾  Baie de Porto, y compris Karanke de Piana, baie de Girolata et réserve naturelle de Scandora

ポルト湾は、フランスのコルシカ島西部、カルヴィとアジャクシオの間にある湾。

この湾の北側のスカンドーラ半島は、コルシカ地方自然公園の一部、スカンドーラ自然保護区となっている。

この保護区や湾に面した町ピアナは奇岩群の存在で知られている。

これらの独特の景観は1983年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。

なお、当初の登録名は「コルシカのジロラータ岬、ポルト岬、スカンドーラ自然保護区、ピアナ・カランシュ」だったが、2006年に現在の名称「ピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾」に改称された。

住所:20115 Piana, フランス [地図]


登録年: 1983年

登録区分: 自然遺産

行き方:日本からコルシカ島までの直行便はないため、ヨーロッパの各地経由でコルシカ島まで行く必要がある。

各地からは空路と海路でコルシカ島へアクセスできる。

空路:フランス・パリ(オルセーは便が多め、シャルル・ド・ゴールからは便が少ない)、ニース、マルセイユより定期運航便、フランス、イギリス、ドイツ、オランダ、ルクセンブルク、スイスより季節運航便。

参考URL:ポルト湾:ピアナのカランケ、ジロラッタ湾、スカンドラ保護区の紹介!

ピアナのカランケに行って下さい。 Allez au Karanque de Piana.

ピアナのカランケはどこですか? Où est le Karanque de Piana ?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

15.ポン・デュ・ガール  Pont du Gard

ポン・デュ・ガールあるいはガール橋はフランス南部・ガール県のガルドン川に架かる水道橋である。

ユゼスからニームへ水を運ぶための水路の途中にあり、古代ローマ時代、西暦50年頃建設された。

  • ニームへの導水路は全長約50km、平均斜度は1kmあたり24.6cmで、ポン・デュ・ガール上流でもっとも大きくなっている。それはこの橋の高さを出来る限り低くしようとしたためであった。流水量は1日約2万立方mであった
  • 3層のアーケードは上に行くほど幅が狭くなっている。全体の高さはガルドン川の最低水位から49mである
    • 下層は6つのアーチから成り、長さ142m、幅6m、高さ22mである。
    • 中層は11のアーチから成り、長さ242m、幅4m、高さ20mである。
    • 導水路がある上層は35のアーチから成り、長さ275m、幅3m、高さ7mである
  • 19世紀にナポレオン3世の命令で改修されている
  • この驚異的な光景をうたいあげた作家・芸術家・考古学者は数知れない。
  • 同様のローマ時代の水道橋はスペインのセゴビア、トルコのイスタンブールにも見られる。

住所:400 Rte du Pont du Gard, 30210 Vers-Pont-du-Gard, フランス [地図]


登録年: 1985年

登録区分: 文化遺産
営業時間:09:00〜18:30
電話番号:+33 4 66 37 50 99
ウェブサイト

行き方:アヴィニョン(Avignon)、ニーム(Nîmes)を基点にバスで行くか、現地ツアーに参加するかになる。

バスは朝数便、昼一便、夕方数便と非常に本数が少ない。

所要時間は片道40~50分です。

現地ツアーは、アヴィニョン発が多く、アルル(Arles)発、マルセイユ (Marseille) 発などがあり、料金は70€弱~になる。

タクシーの場合は、所要時間 30分強、料金は約50€~のようです。

参考URL:世界遺産 ポン・デュ・ガール(Pont du Gard)への行き方・観光ポイントを詳しく解説【フランス】

ポン・デュ・ガールに行って下さい。 Aller au Pont du Gard.

ポン・デュ・ガールはどこですか? Où se trouve le Pont du Gard ?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』