2023年12月12日更新
11.シエーナ歴史地区 Siena Distretto Storico
シエーナ歴史地区は、イタリアの古都シエーナにあるユネスコの世界遺産。
中世の町並みが残され、国際ゴシック、ルネサンス、バロックの芸術作品を見ることができる。
シエーナの起源は明確にはわかっておらず、古いローマの都市であるとする伝説もあるが、根拠はない。
シエーナが歴史の表舞台に立つのは、東ゴート王国が滅び、東ローマ帝国による短い統治があった後、イタリア半島北部にランゴバルト王国が成立してからである。
イタリア半島の統治が困難になったとは言え、アドリア海での東ローマ帝国の勢力は依然として大きく、ランゴバルト王国は物資の運搬路をフランス街道に移さざるを得なかった。
シエーナはこの街道の中継基地として、主に金融業によって発展した。
西ヨーロッパ全体の経済活動が活発になり、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアといった港湾都市は、貿易によって巨万の富を得るようになった。
シエーナも、これらの都市との金融取引によって潤沢な資金を得、13世紀までに西ヨーロッパ最大の金融街として栄えた。
11世紀まで、現在のカステルヴェッキオ一帯にしか広がっていなかった市街地は、13世紀中期には現在の市街地にほぼ匹敵する大きさにまで拡張している。
他の中世イタリアの都市と同じく、シエーナも12世紀にはコムーネが組織され、都市機能は自治共同体によって運営された。
金融業によって急速に力を得たシエーナは、やはり金融業によって勃興したフィレンツェとトスカーナの覇権をめぐって衝突することになる。
これにグエルフィ(教皇党)とギッベリーニ(皇帝党)という政治的思惑もからみ、13世紀になると、熾烈な武力衝突を繰り返した。
1260年のモンタペルティの戦いでシエーナはフィレンツェを破り、トスカーナの覇権を握ったが、わずか5年の後、ローマ教皇の誘いに応じて南下したフランス王国がグエルフィ同盟を結成、ギッベリーニ(皇帝派)を標榜するシエーナは孤立した。
1269年、シエーナはフィレンツェとフランスの連合軍に決定的敗北を喫し、次第にシエーナの経済活動はフィレンツェに遅れをとりはじめた。
フィレンツェに覇権を奪われたとは言え、ノーヴェ体制を有するシエーナの経済活動はなお盛んであった。
シエーナの芸術活動が最も盛んになるのは、この13世紀末から14世紀中期までの時期である。
しかし、1350年頃からはじまり、一説では人口の半分が犠牲になったとされる黒死病の流行により、シエーナの全ての活動は停止する。
以後、芸術活動は続けられるものの、そのきらめきを取り戻すことはなかった。
住所:Piazza del Duomo, 8, 53100 Siena SI, イタリア [地図]
360°写真
登録年: 1995年
登録区分: 文化遺産
営業時間:10:30〜17:00、13:30〜17:00(日曜日)
TEL:+39 0577 286300
主な建築物(下記の外部リンクはGoogleマップを示しています。)
行き方:フィレンツェからシエナへは列車でも行けるが、駅はシエナ歴史地区から離れているのでバスが便利。
フィレンツェから、特急の直行バスだと約70分、各駅停車のバスでも90分ほどで行ける。
Siena Mobilita`社のバスが運行していてフィレンツェからは1310番がシエナ直行便。
参考URL:世界一美しい広場を訪ねよう!イタリアの世界遺産シエナ歴史地区
シエーナ大聖堂に行って下さい。 Vai al Duomo di Siena.
シエーナ大聖堂はどこですか? Dov’è Duomo di Siena?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
12.ナポリ歴史地区 Centro Storico di Napoli
ナポリ歴史地区は、イタリアのナポリのユネスコ世界遺産。
ナポリの起源は紀元前470年頃にギリシアの植民都市として建設されたことにさかのぼる。
当時の町の名前は新しい都市という意味でネアポリスと呼ばれ、碁盤の目のように整然とした都市計画のもとに整備されていたと考えられている。
紀元前4世紀頃に古代ローマの支配下に入る。
西暦62年と西暦79年に地震が起こり、深刻なダメージをナポリにあたえたが、復興をとげた。
11世紀にノルマン人のオートヴィル家が侵入してナポリを支配し、その後ホーエンシュタウフェン家の支配に入った。
13世紀に入ってアンジュー家がこの地でナポリ王国を興し、ナポリは繁栄を迎える。
16世紀前半にアンジュー家が衰えると、ナポリはスペインの支配下に入った。
18世紀以降はブルボン家による支配を受けたが、1860年にイタリア王国へ併合され、その後は他の都市と比べて近代化が遅れ、衰退した。
住所:Via Duomo, 147, 80138 Napoli NA, イタリア [地図]
360°写真
登録年: 1995年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:00〜14:00、14:30〜19:30、16:30〜19:30(日曜日)
TEL:+39 081 449097
主な建築物(下記の外部リンクはGoogleマップを示しています。)
行き方:ナポリ歴史地区へは、ローマから鉄道で行ける。
高速列車アルタ・ヴェロチタ利用でローマ・テルミニ駅からナポリ中央駅まで約1時間20分、ユーロスター利用で約1時間50分、インターシティ利用で約2時間です。
ナポリ大聖堂に行って下さい。 Vai al Duomo di Napoli.
ナポリ大聖堂はどこですか? Dov’è Duomo di Napoli?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
13.フェラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯 Ferrara: città rinascimentale e delta del Po
ポー川流域の浅瀬近くに位置するフェラーラは1995年に世界遺産に登録された。
フェラーラは、14~16世紀のエステ家統治下時代、ルネッサンス文化の中心地となった。
街には、初期ルネッサンス様式であるテラコッタ装飾が施された優美な邸宅や宮殿が数多く残されている。
特に有名なのがエステンセ城で、14世紀後半にエステ家により建築された。
エステンセ城はレンガ造りで、周囲を堀で囲む堅牢な城。
16世紀後半に改築され、現在はその一部が市庁舎になっている。
ほかにも、白い大理石で覆われたディアマンテ館やスキファノイア宮殿、大聖堂などが有名。
1999年には、ポー川デルタ地帯も世界遺産に追加登録された。
市街の北側にあるポー川流域には広大なデルタ地帯が広がり、湿地帯のほか、松林や塩田など自然豊かな景観が楽しめる。
住所:L.go Castello, 1, 44121 Ferrara FE, イタリア [地図]
360°写真
登録年: 1995年
登録区分: 文化遺産
営業時間:10:00〜18:00、休日(火曜日)
TEL:+39 0532 419180
ウェブサイト:
行き方:フェラーラには空港がない。
空路でフェラーラに入る場合は、隣のボローニャ空港を利用する。
又フェラーラは鉄道でアクセスできるが、鉄道駅から中心部の旧市街までは2㎞ほどの距離がある。
鉄道駅から出て、すぐ正面のバス停から、エステンセ城方面に向かう市バスが出ている。
エステンセ城に行って下さい。 Vai al Castello Estense.
エステンセ城はどこですか? Dov’è il Castello Estense?
14.アルベロベッロのトゥルッリ I Trulli di Alberobello
アルベロベッロのトゥルッリは、イタリア南部のアルベロベッロにあるユネスコの世界遺産。
「トゥルッリ」と呼ばれるこの地方の伝統家屋群が対象である。
南イタリアのプッリャ州の町アルベロベッロにある2つの地区(アイア・ピッコラ地区とモンティ地区)が世界遺産登録地区となっており、両地区に合わせて1500軒あまりのトゥルッリが存在する。
白壁に円錐形の石積み屋根を載せた「トゥルッロ」(複数形が「トゥルッリ」)が多数集まった景観を有する。
アルベロベッロのトゥルッリは、開拓農民によって16世紀の半ばからの約100年間に建設された。
トゥルッリは、かつてこの地方で広く見られたが、アルベロベッロには多数のトゥルッリが現存して市街を形成し、住居や店舗として実用されており、貴重な景観を維持している。
[地図]
360°写真
登録年: 1996年
登録区分: 文化遺産
行き方:アルベロベッロは、南イタリアのアドリア海側(イタリア半島西海岸)のプーリア州にある。
南イタリアは、アドリア海側とティレニア海側を、短時間でつないでいる路線がない。
そのため、ティレニア海側(イタリア半島東海岸)にある都市、ナポリやローマなどからアルベロベッロへ行くには、地図で見た印象より時間がかかる。
公共交通機関を使ってアルベロベッロに行く場合は、まずは鉄道でプーリア州の州都であるバーリ駅へ行く。
バーリ駅で、アルベロベッロ行きの私鉄、スド・エスト線に乗り換えるのが、最も一般的な行き方。
参考URL:アルベロベッロへの行き方
アルベロベッロに行って下さい。 Vai ad Alberobello.
アルベロベッロはどこですか? Dove si trova Alberobello?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
15.カステル・デル・モンテ Castel del Monte
カステル・デル・モンテは、イタリアの南部、プッリャ州アンドリアの郊外にある中世の城。
13世紀にローマ皇帝フリードリヒ2世によって建築された。
八角形を象徴的に取り入れた設計になっており、ユネスコの世界遺産に登録されている。
アンドリア市街から南へ約20km、サンタ・マリア・デル・モンテの集落の近くに位置する。
付近一帯はアルタムルジャ国立公園として指定されている。
建造者であるフリードリヒ2世のイスラム教への理解を示すかのごとく、築城の位置は当時のキリスト教の拠点であるシャルトルとイスラムの中心メッカとの2点を結ぶ直線上の地点に立地している。
丘の上にぽつんと立つ美しい城で、フリードリヒ2世の数学へ造詣を表す黄金比を用いた八角形を象徴的に取り入れており、全体が八角形の平面で構成され、中央に八角形の中庭を内包し、8つのコーナーにはそれぞれ八角形の小塔がそびえる。
小塔の中心にはそれぞれ螺旋階段がある。
1ユーロセント硬貨の裏面にもなっている。
この城は軍事上でも居城でもなく別荘または客をもてなすために使用されたと考えられている。
[地図]
360°写真
登録年: 1996年
登録区分: 文化遺産
行き方:バーリから私鉄ノルド・バレーゼ線の列車に乗り、アンドリア(Andria)にて下車(所要時間約1時間)。
その後、アンドリア駅周辺から発着する現地ASA社バス6番へ乗車(カステル・デル・モンテ行き)。 所要時間は約40分。
カステル・デル・モンテに行って下さい。 Vai a Castel del Monte.
カステル・デル・モンテはどこですか? Dov’è Castel del Monte?