2024年8月21日更新

ドロットニングホルム宮殿

ドロットニングホルム宮殿

1.ドロットニングホルムの王領地  Kungsgården Drottningholm

ドロットニングホルム宮殿は、スウェーデン・ストックホルム郊外のローベン島にある離宮である

この宮殿は、スウェーデン王カール11世の母后ヘトヴィヒ・エレオノーラの命令によって1662年に建設が始められ、庭園にバロック様式を採用して1686年に完成した。

「ドロットニングホルム」はスウェーデン語で「王妃の小島」を意味する。

「北欧のヴェルサイユ宮殿」の勇名を馳せる。

王家の住居を除いて一般に公開されており、観光地としても有名である。

毎年夏には、観光客用に演劇やオペラが上演される。

この宮殿は、1744年に結婚したホルシュタイン=ゴットルプ家のアドルフ・フレドリクとプロイセン王女ロヴィーサ・ウルリカに結婚祝いとして、当時のスウェーデン国王フレドリク1世からプレゼントされた。

この時、スウェーデン・バロック音楽の作曲家ユーハン・ヘルミク・ルーマンが「ドロットニングホルムの音楽」を作曲し、祝典を盛り上げた。

ロヴィーサ・ウルリカは啓蒙主義思想を持つ優れた才女で、彼女の手によってドロットニングホルム宮殿はさらなる発展を遂げる。

この時代にギャラリーや図書館、劇場が増築され、スウェーデンにおける啓蒙時代を作り上げた。

ロヴィーサ・ウルリカの息子で1771年に国王となったグスタフ3世もドロットニングホルム宮殿を愛し、華やかな文化活動が行われた。

グスタフ3世が毎年この宮殿で演劇や舞踏会などを催した当時のスウェーデンは、「ロココの時代」と呼ばれている。

ドロットニングホルム宮殿はグスタフ3世の死後、次第に使用されることがなくなったが、そのために王領地の自然は保たれた。

1982年には、現国王カール16世グスタフがストックホルム旧市街の王宮から環境のよいこの地に王家の住居を移した。

1991年には、ドロットニングホルム宮殿を含む王領地がユネスコの世界遺産に登録された。

住所:Drottningholms Slott Slottsstallet 11, 178 93 Drottningholm, スウェーデン [地図]


登録年: 1991年
登録区分: 文化遺産
営業時間:10:00~16:00(土曜日、日曜日)、その他は休日
電話番号:+46 8 402 61 00
ウェブサイト

行き方:お勧めは観光フェリーでの上陸です。

4月中旬から10月まで運行しており、ドロットニングホルムの王領地のあるローブ島まで、市庁舎とストックホルム中央駅の間にあるフェリー乗り場から行けます。

こじんまりした船ですが、カフェもあるのでお茶を飲みながらのんびり約50分間のクルーズを楽しめます。

また地下鉄とバスの組み合わせだと最短で、地下鉄「ブロンマプラン」で下車して路線バスで10分程。

ドロットニングホルムの停留所には複数の路線が通りますので、運転手さんに確認してください。

外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:スウェーデンが誇る世界遺産!ドロットニングホルムの王領地に行こう!

ドロットニングホルム宮殿まで行って下さい。  Gå till Drottningholms slott.

ドロットニングホルム宮殿はどこですか?  Var ligger Drottningholms slott?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2.ビルカとホーヴゴーデン  Birka och Hovgarden

ビルカ(Birka)は、現在のスウェーデンの首都ストックホルム西方約29kmのメーラレン湖のビェルケ島にあるヴァイキング時代の都市遺跡である。

ビルカ遺跡が発見されたのは19世紀で、そのころすでに多くの建築部材や壁土など建物の遺構やコインや器などの遺物が発見されている。

発見当時、この遺跡があった地域は黒土化(ビエーン)していることから「ビルカ」と名づけられた。

ビルカについての文字記録はフランク王国の宣教師アンスカルの弟子リンベルトが875年以前に著した『聖アンスカル伝』に登場する。

この中ではビルカはシンクと呼ばれる民会で自治が行われていること。遠くオランダのドーレスタットなどと交易していることを記録している。

またビルカは要塞を有しており外敵からの襲来にたいして備えていることも記されている。

ビルカがどこと交易しているかは遺跡に無数にある墓からの副葬品で窺い知ることができる。

ビルカ周辺の墓は少なくとも2000基程あることが判っており、そのうち1100基が発掘されている。

その副葬品は以下に分けられる。

西ヨーロッパから渡来した品々。

ラインラントの壷や盃、フランクの宝飾品、アイルランドの青銅製品などがそれである。

またそれを購入するためのビルカ独自のコイン「ビルカコイン」も多数出土している。

これらの発掘は9世紀の墓に集中しており、10世紀の墓からは副葬品自体が少なくなっているが、東方のロシア、ヴォルガ川流域からの物産が見つかっている。

10世紀末にはイングランドのエセルレッド王のコインがゲルマンコインがスカンディナヴィアで広く流通しているが、ビルカからは発見されていない。

そのため980年以前にはビルカは消滅したものと考えられる。

住所:5, 178 92 Adelsö, スウェーデン [地図]



登録年: 1993年
登録区分: 文化遺産
電話番号:+46 8 120 040 00
ウェブサイト

行き方:世界遺産のビルカとホーヴゴーデンへは、ストックホルムの市役所近くから船が出ています。

所要時間は往復で約4時間半。

利用する際は、席を予約することをおすすめします。

船着き場からは、どちらの遺跡も歩いてすぐなので心配はいりません。

ただし、帰りの船を逃すことのないよう、気をつけましょう。

日本からストックホルムまでの直行便は今のところないので、どこかで乗り継ぐ必要があります。

外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:ヴァイキング時代の隆盛を語る都市遺跡!ビルカとホーヴゴーデン

ビルカまで行って下さい。  Gå gärna till Birka.

ビルカはどこですか?  Var är Birka?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

3.エンゲルスバーリの製鉄所  Engelsbergs stålverk

エンゲルスバーリの製鉄所とは、スウェーデン・ヴェストマンランド地方のエンゲルスバーリ村にある製鉄所のことである。

1681年、Per Larsson Gyllenhöök(1645年 – 1706年)が建設した製鉄所であり、19世紀まで、現役の製鉄所として活動していた。

1993年、ユネスコの世界遺産に登録された。

エンゲルスバーリを中心としたこの地域で製鉄が始まったのは、早くとも中世のこととされる。

13世紀には、地域の農民が原始的な溶鉱炉を用いて、自らの農具のために、鉄の生産を行ったとされる

16世紀には、スウェーデンで初めて、棒鋼の生産が開始され、17世紀にも生産は継続された

中世のスウェーデンのエンゲルスバーリに対する政策は、農民による棒鋼生産を制限すると同時に自治都市の住民による工場建設を推進させるということであった。

1681年の製鉄所建設もその政策を踏襲したものであり、これにより、経済的に豊かな住民層による銑鉄と棒鋼の生産が活発化することとなった

その生産量は、1695年には、135 t だったものが1767年には 264 t にまで伸びた

ベッセマー式の生産工程(ベッセマー法)が1860年代にスウェーデンに紹介されるとスウェーデンのほかの製鉄所は衰退を余儀なくされたが、エンゲルスバーリのみは生き残りに成功した。

しかし、1919年には、施設の老朽化のため、製鉄所は役割を終えた

住所:Snytenvägen 5, 737 90 Ängelsberg, スウェーデン [地図]



登録年: 1993年
登録区分: 文化遺産
ウェブサイト

行き方:世界遺産のエンゲルスベリの製鉄所へのアクセス方法をご紹介します。

日本からスウェーデンへの直行便はないので、ヨーロッパで乗り換えが必要です。

乗り継ぎ時間にも寄りますが、ストックホルムまでは約12~15時間が目安です。

フィンランド航空は、成田、名古屋、関西空港発があります。

日本からヘルシンキまで約10時間。

ヘルシンキからストックホルムまで約1時間です。

世界遺産のエンゲルスバーリの製鉄所に行くには、ストックホルム中央駅より、ファーゲシュタイ行きに乗り、ヴィステロースに乗り換えエンゲルスベリで下車。

その後は約1.5km歩けば、世界遺産のエンゲルスベリの製鉄所に到着します。

外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:スウェーデンの鉄鋼業の歴史を語る世界遺産!エンゲルスバーリの製鉄所

エンゲルスバーリの製鉄所まで行って下さい。  Gå till Engelsbergs stålverk.

エンゲルスバーリの製鉄所はどこですか?  Var ligger Engelsbergs stålverk?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

4.スコーグスシュルコゴーデン(森の墓地)  Skogshurkogården (skogskyrkogården)

スコーグスシュルコゴーデン(Skogskyrkogården, 森の墓地)は、スウェーデンの首都ストックホルム郊外にある共同墓地。

設計コンセプトと造形には、ナショナル・ロマンティシズムから北欧新古典主義を経て、成熟した近代建築へと到達した同国の建築潮流の変遷が反映されている。

スコーグスシュルコゴーデンは、ストックホルム南部のEnskedeを敷地として、1914年から1915年にかけて行われた新しい墓地の設計コンペ「ストックホルム南墓地国際コンペティション」の結果として生まれた。

同国ではじめて火葬を前提とした葬祭場と墓地が計画されたことでも知られている(結果的には、この墓地の火葬場が完成したのは1940年であり、同国初ではない)。

当時まだ無名であった若き建築家グンナール・アスプルンドとシーグルド・レヴェレンツの協同応募案が1等に選ばれ、2人が設計者として指名された。

敷地は、松の木が生い茂った古い砂利の採石場であった。

コンペの結果が発表されてから、この墓地の主要施設である森の火葬場が1940年に竣工するまで、25年間という異例の長期間にわたり設計と施工が続けられた。

彼ら二人の建築家にとって事実上のメジャーデビュー作であり、特に1930年代半ば以降に森の火葬場を1人で担当することになったアスプルンドにとっては、竣工まで見届けた最後の作品となった。

アスプルンドにとってこの墓地はだれもが認める彼の代表作であり、建築家としての生涯をこの作品に捧げた。

アスプルンドの死後はレヴェレンツがランドスケープの設計を引き継いだが、彼らの死後も墓地の工事は現在まで断続的に続けられている。

1994年に、ユネスコの世界遺産に登録された。

20世紀以降の建築作品としては、世界で最も早い登録であった。

Tallum Pavilionでは、墓地に関する展示が見られるほか、これを手がけた2人の建築家についての展示を見ることができる。

住所:Sockenvägen, Stockholm, スウェーデン [地図]



登録年: 1994年
登録区分: 文化遺産
営業時間:11:00~16:00
電話番号:+46 8 508 317 30

行き方:世界遺産のスクーグシュルコゴーデンへのアクセス方法をご紹介します。

日本からスウェーデンへの直行便がないので、ヨーロッパで乗り換えが必要です。

乗り継ぎ時間にもよりますが、ストックホルムまでは約12~15時間が目安。

フィンランド航空は、成田空港や中部国際空港、関西空港発があります。

日本からヘルシンキまでは約10時間、ヘルシンキからストックホルムまで1時間ほど。

ストックホルム中央駅から地下鉄で南に約14分で「Skogskyrkogården」駅に着きます。

そこから徒歩ですぐなので、アクセスが良くわかりやすいです。

外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:「森の墓地」という名の世界遺産!スウェーデンのスクーグシュルコゴーデン

スコーグスシュルコゴーデンまで行って下さい。  Gå gärna till Skogssurkogården.

スコーグスシュルコゴーデンはどこですか?  Var ligger Skogshurkogården?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

5.ターヌムの岩絵群  Tanum hällmålningar

ターヌムの岩絵群(ターヌムのいわえぐん)は、スウェーデン西部の町ターヌムスヘーデ(Tanumshede )周辺に残る岩石線画群で、ユネスコの世界遺産リストに登録されている。

ターヌムスヘーデは、スウェーデン西部のヴェストラ・イェータランド県ブーヒュースレーン地方にある人口1600人の町である。

この町には青銅器時代の岩石線画の刻まれた平面岩としては、スカンジナビア半島で最大級のVitlyckehällがある。

それは1972年にAge Nilsenによって発見されたが、彼はもともと建設工事中で発破を仕掛けようとして偶然発見したのだった。

100枚ほどのパネル画に約3000の岩石線画が描かれている。

集中しているのは青銅器時代にフィヨルドの岸辺にあたっていた25kmほどのライン沿いの地域で、5つの区域に分類ができる。

それらの面積は0.51km2 ほどである。

青銅器時代から鉄器時代にスカンジナビア半島で暮らしていた人々は、洗練された木材加工技術を持ち、舟を使った移動にも長けていた(なお、スカンジナビア半島における青銅器時代はおおよそ紀元前1800年から前600年ころである)。

実際、岩石線画には、Hjortspring boat型の長い舟を描いたものや、荷車の類を描いたものもある。

弓を持った狩人が描かれているものもあれば、狩猟の情景を描いたものもある。

農作業に従事する人を描いたものもあり、2頭の牛に枝状のものを牽かせて耕作している絵もある。

岩石線画は危機遺産に登録されていないものの、環境汚染による侵食のせいで、劣化している。

この事態に対して、観光客に見えやすいようにと赤い染料で塗り直したものもあり、考古学者の狼狽を駆った。

住所:457 93 Tanumshede, スウェーデン [地図]



登録年: 1994年
登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業
電話番号:+46 525 182 00
ウェブサイト

行き方:日本からターヌムの岩絵群へ行くには、まず日本からヘルシンキで乗り継いでヨーテボリまで向かいます。

ヨーテボリからはタヌムまで電車移動したら、駅から5kmほどでターヌムの岩絵群へ到着します。

また、レンタカーならヨーテボリから車で1時間半ほどで行けるのでとても便利です。

外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:スウェーデンの先史時代の生活ぶりを垣間見る!ターヌムの岩絵群

ターヌムの岩絵群まで行って下さい。  Gå till Tanums hällmålningar.

ターヌムの岩絵群はどこですか?  Var är Tanums hällmålningar?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』