2022年10月20日更新
31.ヴィッラ・アドリアーナ (ティヴォリ) Villa Adriana (Tivoli)
ヴィッラ・アドリアーナは、イタリアのティヴォリにあるユネスコの世界遺産。
ティヴォリは、ローマの東約30kmにある丘陵の上にある、穏やかな気候に恵まれ、豊かな森に囲まれた街。
ここは古代ローマ時代から上層階級の保養地であった。
ハドリアヌス帝は、118年よりティヴォリの麓で広大な別荘(ヴィッラ・アドリアーナ)の建設に着手した。
121年に最初にローマ帝国の巡察旅行に出かける前のことである。
煉瓦の刻印を分析することによって、この別荘は2段階で建造され、完成したのは133年であることが判明している。
ギリシャのアテナイのアゴラにあった彩色柱廊(ストア・ポイキレ)を模したポイキレ、エジプトのアレクサンドリアとカノポスを結ぶ運河を模したカノポスなど、皇帝が巡察旅行で魅了された建物や風景を偲ばせる建造物を建設させたといわれている。
別荘の建物の数は30を超え、敷地の面積は、1.2km2に及ぶ。
ハドリアヌス逝去後、後続のローマ皇帝たちがこの別荘をどのように使ったのかはあまり記録されていない。
しかし、この別荘の改造は3世紀までつづけられたことが判明している。
そのあと、蛮族の石切り場と化し、廃墟となった。
15世紀ごろから、美術品を求めて、ピッロ・リゴーリオなどがこの別荘を発掘しはじめた。ピッロ・リゴーリオは、ティヴォリ丘陵の上にエステ家の別荘の設計をした人物である。
住所:Largo Marguerite Yourcenar, 1, 00010 Tivoli RM, イタリア [地図]
360°写真
登録年: 1999年
登録区分: 文化遺産
行き方:ローマから地下鉄B線でポンテ・マンモーロ駅まで行き、ポンテ・マンモーロ駅からはバスに乗ってティヴォリに所要時間1時間30分で到着。
ティヴォリでバス降りたら、ヴィッラ・アドリアーナは徒歩だと1時間くらいかかるので、バスを乗り換えて行けば、ヴィッラ・アドリアーナの正面玄関の前に10分くらいで到着する。
参考URL:2020年版ティヴォリ・ヴィッラ・アドリアーナへバスでアクセス
ヴィッラ・アドリアーナに行って下さい。 Vai a Villa Adriana.
ヴィッラ・アドリアーナはどこですか? Dov’è Villa Adriana?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
32.ティヴォリのエステ家別荘 Villa d’Este a Tivoli
ティヴォリのエステ家別荘(ティヴォリのエステけべっそう)は、イタリアのティヴォリにあるエステ家による別邸であり、2001年ユネスコの世界遺産登録物件名。
4.5haという広大な敷地の庭園内には、オルガンの噴水、エフェソスのアルテミス(多産の女神)、百噴水など使われているモチーフがギリシャ・ローマ時代の噴水500ほど、築かれている。
後期ルネッサンス期の代表的な庭園であり、イタリア一美しい噴水庭園として称えられ、現在に伝わっている。
フランツ・リストのピアノ曲集「巡礼の年第3年」には、この庭園をモチーフに作曲された曲が3曲収められており、中でも《エステ荘の噴水》は壮麗に吹き上げる噴水を表題とした曲として知られている。
ティヴォリは、ローマの東約30kmにある丘陵にある町。穏やかな気候と豊かな森に囲まれ古代ローマ時代から上流階級の保養地であった。
16世紀半ば、ランゴバルド人の血統のエステ家の枢機卿イッポーリト2世・デステはローマ教皇の座を巡る争いに敗れて、1550年9月にティヴォリの隠匿生活を決めた。
イッポーリト2世は、ベネディクト会の修道院だった建物を住居として、その周囲に大規模な庭園を作らせた。
設計は、ピーロ・リゴーリオで、彼は考古学にも造詣のある人物であった。
まず1563年から1565年に斜面をならし、アニオ川から地下水道を別荘内に引き込む工事を行った。
1565年ごろから本格的な建築物の工事が始まったが、1572年にイッポーリトが死去した時点でも完成はまだ先のことであった。
その後、イッポーリトの甥にあたるルイージ・デステにより別荘は引き継がれるが、彼の財力では別荘の維持が精一杯であった。
1605年に、アレッサンドロ・デステの所有となり、レイアウトの変更など大規模な改修が行われた。
1641年以降はモデナの公爵家のもとので続けられた。
18世紀に入ると別荘邸宅は放棄され、荒れ放題となったが、1920年から1930年の間、修復運動が行われるようになった。
しかし、1944年の爆撃でさらなる破損を被った。
住所:P.za Trento, 5, 00019 Tivoli RM, イタリア [地図]
360°写真
登録年: 2001年
登録区分: 文化遺産
行き方:駅のバスターミナルからティボリ行きのバスに乗車し「ラルゴ・ナツオーニ・ウニテ」で降車。
ローマからの所要時間は約1時間半です。
車で訪れる場合には、ローマ中心部から有料道路使用で約35km、45分程で到着。
ティヴォリのエステ家別荘に行って下さい。 Vai a Villa d’Este a Tivoli.
ティヴォリのエステ家別荘はどこですか? Dov’è Villa d’Este a Tivoli?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
33.アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群 Assisi, Basilica di Francesco e relative strutture monastiche
アッシジは、イタリア中部のスバジオ山の斜面に広がる人口2万人強の小さな町であるが、フランシスコ会の創立者アッシジのフランチェスコが生まれたことで有名で、カトリック教会の巡礼地として人気がある。
また、町の建物は、ここで掘り出される薄いピンク色をした石材からつくられ、町を彩っている。
アッシジはローマ帝国時代からあった古い都市であった。
台地の上に現在の北東部分から西へと伸びる形で街が建設され、当時は長さ約2300mの城壁で囲まれていた。
紀元前89年にローマ帝国の自治都市として指定され、政治や経済的な重要地でもあった。
紀元前1世紀ごろに建築された「ミネルバ神殿」などの遺構は現在でも残っている。
ローマ帝国時代から11世紀までの間のアッシジの大きな変化を示す遺構は見つかっていないが、11世紀から12世紀にかけて商人たちが、アッシジの渓谷を開拓し、貴族たちなどの手により教会などの建築を行った。
このころの建造物にはウンブリアの様式を取り入れたものがある。
また人口の増加にともない城砦は、1260と1316年に拡張がなされた。
サン・フランチェスコ聖堂やサンタ・キァーラ修道院もこのころ作られた。
14世紀に入り、城壁が再度拡張整備された。
14世紀から15世紀にかけてはペルージャとの戦争などにより、アッシジの治安は不安定であった。
しかし15世紀後半には、サン・フランチェスコ聖堂前に公共広場が作られた。
17世紀から18世紀もアッシジは発展を続け、多くの貴族たちはバロック様式の宮殿を建てた。
1818年、サン・フランチェスコ大聖堂地下より、納骨堂が発掘される。
1954年に、保全計画が策定され、アッシジは保全地域に指定された。
住所:Piazza Inferiore di S. Francesco, 2, 06081 Assisi PG, イタリア [地図]
360°写真
登録年: 2000年
登録区分: 文化遺産
営業時間:06:00〜20:00、06:00〜18:45(水曜日)
電話番号:+39 075 819001
ウェブサイト:
主な構造物(下記の外部リンクはGoogleマップを示しています。)
行き方:アッシジへは電車が便利。
ローマやフィレンツェからは直通電車も出ており、フォリーニョ(Foligno)、ペルージャ (Perugia)、スポレート(Spoleto)といった中部イタリアの古都で途中下車するのも楽しい。
アッシジ国鉄駅の駅前から、アッシジの町行きのバス(Line C)が出ている。
参考URL:アッシジへの行き方
サン・フランチェスコ大聖堂に行って下さい。 Vai alla Cattedrale di San Francesco.
サン・フランチェスコ大聖堂はどこですか? Dov’è Cattedrale di San Francesco?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
34.ヴェローナ市街 Città di Verona
ヴェローナ市街は、イタリアにあるユネスコの世界遺産(文化遺産)。
イタリア北東部の都市ヴェローナはローマ時代の遺跡や中世の街並みがよく残されている。
ヴェローナはイタリアの北東部、アルプス山脈の麓にある街である。
現在はヴェローナ県の県庁都市であるが、ミラノ、ヴェネツィア、ローマの各方面への道の交差する場所で古くから交通の要衝の地であった。
このため多くの国の支配下に置かれた。
街の最盛期は、13世紀から14世紀、デッラ・スカラ家の統治時代に迎える。
その後、ミラノのヴィスコンティ家の支配下に入り、15世紀初めからはヴェネツィア共和国に属した。
またシェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』や『ヴェローナの二紳士』の舞台になったことでも有名である。
2月から3月に行われるニョッキ祭でも有名。
[地図]
360°写真
登録年: 2000年
登録区分: 文化遺産
主な構造物(下記の外部リンクはGoogleマップを示しています。)
行き方:ヴェローナは、ミラノ-ヴェネツィア間(東西)とボローニャ-ブレンナー間(南北)の鉄道路線の交差点に位置し、1時間に1本の頻度で列車が発車している。
参考URL:ヴェローナへのアクセス
アレーナ・ディ・ヴェローナに行って下さい。 Vai all’Arena di Verona.
アレーナ・ディ・ヴェローナはどこですか? Dov’è l’Arena di Verona?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
35.エオリア諸島 Isole Eolie
エオリア諸島 または エオリエ諸島は、シチリア島北方、ティレニア海南部にY字型に連なる火山性の諸島である。
リーパリ島など主要7島で構成される諸島全体には約1万3000人の人々が暮らしており、行政上はシチリア州メッシーナ県に属する。
いまなお活発な火山活動を行っているストロンボリ島(ストロンボリ火山)からは「ストロンボリ式噴火」の用語が生まれ、ヴルカーノ島(ヴルカーノ火山)が「ブルカノ式噴火」の用語が生まれるなど、火山学の発展に大きく影響した。
これらの島々は、 2000年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。
住所:イタリア 〒98050 メッシナ リーパリ [地図]
360°写真
登録年: 2000年
登録区分: 自然遺産
行き方:シチリア島の北東、エオリエ諸島にあるリパリ島へ行くには、エオリエ諸島の対岸にある、ミラッツォという町の港からアクセスするのが、最もポピュラーな行き方。
参考URL:リパリ島への行き方!
リパリ島に行って下さい。 Per favore, vai all’isola di Lipari.
リパリ島はどこですか? Dov’è Isola di Lipari?