2024年1月26日掲載
1.ヴィエリチカとボフニアの王立岩塩坑群 Królewskie Kopalnie Soli w Wieliczce i Bochni
ヴィエリチカ岩塩坑(ヴィエリチカがんえんこう)は、ポーランド共和国マウォポルスカ県にある岩塩の採掘坑。
クラクフ首都圏内の都市ヴィエリチカで13世紀以来稼働していたが、コストの問題と坑内で洪水が起きる危険性があることから1996年に商業採掘は中止され、現在は観光地となっている。
1044年の創業(ポーランド王国のクラクフへの遷都は1038年)。
「キンガ妃の指輪事件」がきっかけとなり国営企業となったのは1250年。
廃坑になっていない岩塩坑としては世界最古で、同時に世界最古の製塩企業でもある。
深さは地下 327 m 、全長は 300 km 以上に及ぶ(廃坑になっているものも含めると世界最古の岩塩坑は同じくポーランド共和国マウォポルスカ県にあるボフニャ岩塩坑。
また現在操業中の岩塩坑でポーランド最大規模のものはヴィエルコポルスカ県クウォダヴァ町にあるクウォダヴァ岩塩坑。
特筆すべきは、観光客向けの 3.5 km の坑道で、歴史上や神話上の様々なモチーフを象った彫像が並んでいる。
その全ては、坑夫たちが信仰のために岩塩を彫り上げたものである。
さらには屈曲した部屋や礼拝堂が岩塩で形成され、岩塩採掘史の展示までがなされている。
さながらそこは岩塩製の地下大聖堂のごとき景観を呈しているのである。
この岩塩坑には年間110万人もの観光客が訪れる。
長い歴史においてこの岩塩坑を訪れた有名人には、ニコラウス・コペルニクス、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、アレクサンダー・フォン・フンボルト、ドミトリ・メンデレーエフ、イグナツィ・パデレフスキ、ロバート・ベーデン=パウエル、カロル・ヴォイティワ(後のヨハネ・パウロ2世)、ビル・クリントンなどがいる。
第二次世界大戦中には、この岩塩坑を占領したドイツ軍がその一部を軍需物資の製造拠点として使用した。
住所:Daniłowicza 10, 32-020 Wieliczka, ポーランド [地図]
360°写真
登録年: 1978年
登録区分: 文化遺産
営業時間:09:00~17:00
電話番号:+48 12 278 73 02
ウェブサイト:
行き方:1、クラクフ中央駅よりヴィエリチカ・リネク(WIELICZKA RYNEK KOPALNIA)までは電車で30分ほどです。
その後、ヴィエリチカ岩塩抗までは徒歩で約5分です。
2、クラクフ中央駅前のGaleria 前より市バスが出ています。
最寄りの停留所はWIELICZKA KOPALNIA SOILです。
バスのほうが電車より本数が多いのですが、終点ではないのでご注意下さい。
約40分で到着します。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年12月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:地下100mの塩の芸術、ヴィエリチカ・ボフニア王立岩塩抗
ヴィエリチカ岩塩抗に行って下さい。 Jedź do Kopalni Soli w Wieliczce.
ヴィエリチカ岩塩抗はどこですか? Gdzie jest Kopalnia Soli w Wieliczce?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2.クラクフ歴史地区 Historyczne Centrum Krakowa
クラクフは、ポーランド南部にある都市で、マウォポルスカ県の県都。
英語ではCracowとも表記される。
ポーランドで最も歴史ある都市の一つであり、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがポーランド王国の首都であった。
ポーランドの工業、文化の主要な中心地でもある。
ヴィスワ川の上流に位置し、市街地はヴァヴェル城を中心として川の両岸に広がっている。
1038年から1569年まではポーランド王国、1569年から1596年までポーランド・リトアニア共和国であった。
1794年からオーストリア帝国領となり、1846年から1918年までオーストリアのクラクフ大公国であった。
人口は774,839人で、これはワルシャワ、ウッチに続く第3の規模。
住所:Wawel 5, 31-001 Kraków, ポーランド [地図]
360°写真(ヴァヴェル城)
登録年: 1978年
登録区分: 文化遺産
営業時間:09:30~17:00、09:30~13:00(月曜日)、09:30~14:00(火曜日)
電話番号:+48 12 422 51 55
ウェブサイト:
行き方:クラクフまでの直行便がないので、ワルシャワから行くか、近隣諸国からクラクフに乗り継ぐようになります。
ワルシャワから世界遺産のクラクフ歴史地区へは飛行機、鉄道、バスともにアクセス良好。
ワルシャワからクラクフまでの飛行機は一日数便あります。
クラクフの空港は市街から約18kmの所にあり、空港からクラクフの中央駅までは鉄道で20分程度。
鉄道の場合は、ワルシャワからクラクフへは1~2時間に一便あり、所要時間は2時間半から3時間程度です。
バスは1~2時間に一便、所要時間5時間程度なので、スケジュールに合わせて選べます。
また、日本からポーランドのワルシャワまで直行便が2016年より就航したので、以前よりポーランドが近くなり、世界遺産のクラクフ歴史地区へも訪れやすい。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年12月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:世界遺産登録第一号の一つ!ポーランドの美しい古都クラクフ歴史地区
クラクフ歴史地区に行って下さい。 Wybierz się do historycznego centrum Krakowa.
クラクフ歴史地区はどこですか? Gdzie jest historyczne centrum Krakowa?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
3.アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年-1945年) Obóz zagłady Auschwitz-Birkenau nazistowskich Niemiec (1940-1945)
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(アウシュヴィッツ ビルケナウ きょうせいしゅうようじょ)は、ドイツが第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所である。
収容者の90%がユダヤ人(アシュケナジム)であった。
アウシュヴィッツ第一強制収容所は、ドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)に作られた。
周辺には同様の施設が多数建設されている。
ユネスコの世界遺産委員会は、二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1979年に世界遺産リストに登録した。
公式な分類ではないが、日本ではいわゆる「負の世界遺産」に分類されることがしばしばである。
一部現存する施設は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」が管理・公開している。
アドルフ・ヒトラー率いるドイツが行ったホロコーストの象徴と言われる「アウシュヴィッツ強制収容所」とは、1940年から1945年にかけてドイツが占領下においた現在のポーランド南部オシフィエンチム市郊外に作られた、強制的な収容が可能な施設群の総称である。
ソ連への領土拡張をも視野に入れた「東部ヨーロッパ地域の植民計画」を推し進め、併せて占領地での労働力確保および民族浄化のモデル施設として建設、その規模を拡大させていった。
収容されたのは、ユダヤ人をはじめ、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者、エホバの証人、さらにはこれらを匿った者など。
その出身国は28に及ぶ。
ドイツ本国の強制収容所閉鎖による流入や、1941年を境にして顕著になった強引な労働力確保(強制連行)により規模を拡大。
ピーク時の1943年にはアウシュヴィッツ全体で14万人が収容されている。
住所:Więźniów Oświęcimia 20, 32-603 Oświęcim, ポーランド [地図]
360°写真
登録年: 1979年
登録区分: 文化遺産
営業時間:07:30~18:00
電話番号:+48 33 844 80 00
ウェブサイト:
行き方:オシフィエンチムは、クラクフの西75kmほどのところにあり、クラクフ中心部からバスで1時間~1時間半ほどです。
見学時間は最低でも3時間半、セキュリティチェックなどの時間を入れるとアウシュヴィッツ強制収容所への訪問には1日必要です。
また時期によっては、ガイドツアーに参加しないと入場できないため、予めツアーで参加されることをおすすめします。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年12月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:ポーランドの世界遺産「アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所」
アウシュヴィッツ強制収容所に行って下さい。 Jedź do obozu koncentracyjnego w Oświęcimiu.
アウシュヴィッツ強制収容所はどこですか? Gdzie jest obóz koncentracyjny Auschwitz?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
4.ビャウォヴィエジャの森 Puszcza Białowieska
ビャウォヴィエジャの森(ビャウォヴィエジャのもり)は、ポーランドとベラルーシの国境にまたがる原生林。
ヨーロッパに残された最後の原生林と言われる。
貴重なヨーロッパバイソンの棲息地としても知られる。
ポーランド側は1979年、ベラルーシ側は1992年に、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。
寒帯と温帯、そして東欧の針葉樹林と西ヨーロッパの広葉混交樹林の移行域に位置する原生混合林である。
ポーランドとベラルーシを跨ぐ地域にあり、ポーランド側はビャウォヴィエスキ国立公園、ベラルーシ側はベロヴェジュスカヤ・プシュチャ国立公園として両国の国立公園にそれぞれ登録されている。
森林の主な樹種はオーク、シナノキ属、シデであり、一帯はオウシュウトウヒの北部生息地の南限とフユナラの分布の北東限である。
森の中には他の生物の微生育地となる大量の枯れ木があるため、生物多様性は非常に高く、真菌類と無脊椎動物の新種は毎年のように発見される。
動物相も豊富で、オオアカゲラ、ミユビゲラなどの多くのキツツキ科の森林性の鳥類、ヨーロッパバイソンなどの有蹄類、そしてオオヤマネコ、タイリクオオカミ、カワウソなどが生息している。
北東部のベラルーシ領内には森林に覆われる島々が点在するフェンがあり、一帯にはヒメツルスゲ、ヤチスゲなどのスゲ属の植物が生え、ハシボソヨシキリ、ヨーロッパバイソンなどが生息している。
住所:ポーランド [地図]
360°写真
登録年: 1979年
登録区分: 自然遺産
行き方:ビャウォヴィエジャの森へのアクセス方法としてはバスがおすすめです。
ワルシャワから出ているバスでは約4時間半もの時間を要してしまいますが、直行ですので便利です。
またビャウィストクからもバスが出ていますので、自分の観光スケジュールと照らし合わせて選択してください。
なおビャウォヴィエジャの森内にも2つの宿泊施設があり、近くの村には民宿やペンションなども揃っていますので、ロングステイなどを楽しむことができるのも魅力です。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年12月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:ヨーロッパ最後の原生林といわれる世界遺産、ビャウォヴィエジャの森
ビャウォヴィエジャの森に行って下さい。 Jedź do Puszczy Białowieskiej.
ビャウォヴィエジャの森はどこですか? Gdzie jest Puszcza Białowieska?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
5.ワルシャワ歴史地区 Historyczne Centrum Warszawy
ワルシャワ歴史地区(ワルシャワれきしちく)は第二次世界大戦後に再建された歴史地区である。
この地区は、ヴィスワ川沿いのWybrzeże Gdańskie通り、およびGrodzka通り、Mostowa通り、Podwale通りに沿って位置する。
ワルシャワ市の最も古い地区であり、同市における最も傑出した旅行者向け観光地の一つである。
エリアの中心は旧市街マーケットプレイス(市場広場)で、レストラン、カフェ、商店がある。
通りを囲むように、再現された中世の建造物がある。
城壁、城楼(barbican)および聖ヨハネ大聖堂(St. John’s Cathedral)などがある。
ワルシャワの旧市街は13世紀に建設された。
当初は土塁で囲まれていたが、1339年までに煉瓦の城壁による城郭都市とされた。
市街は、マゾフシェ公の城(後にポーランド王の城となる)の周りで独自に発展していった。
市場広場 (Rynek Starego Miasta) は13世紀末から14世紀初頭には、城とワルシャワ新市街(Warsaw New Town)をつなげる、北へとのびる主要な通り沿いに建設されたと思われる。
1429年、市庁舎が建設された。
1701年には広場がドイツ人のドイツのティルマンによって再建され、1817年には市庁舎は取り壊された。
19世紀以来、市場広場の四隅は、それぞれの角にかつて住んだ特筆すべきポーランド人の名前で呼ばれてきた。
すなわち、南側がIgnacy Zakrzewskiであり、西側がHugo Kołłątajであり、北側がJan Dekertであり、そして東側がFranciszek Barssである。
19世紀のワルシャワの急速な成長の時期、旧市街は、商業および行政の重要な中心としての地位を失った。
旧市街の殆どは無視され、ワルシャワっ子のうちでも貧困層が集まるようになった。
第一次世界大戦後にポーランドが独立を得るまで、地元当局はこの町のこの地区のために注意を払うことをしようとしなかった。
1918年にワルシャワ王宮は再びポーランドの最上級の権威者、すなわちポーランド大統領やその首相の執務地になった。
1930年代後半、Stefan Starzyński市政下、市当局は旧市街の一新を開始し、かつての栄光を復元しようとした。
城楼と旧市街のマーケット・プレイスは部分的に修復された。
しかし、これらの努力は 第二次世界大戦の勃発によって終わりへと追い込まれた。
ポーランド侵攻の間、旧市街地区の殆どがドイツ空軍によってひどいダメージを受けた。
ドイツ空軍は、恐怖爆撃の際、街の王宮地区および歴史的ランドマークを標的に絞った。
ワルシャワの戦いの後、旧市街の一部が再建されたが、1944年の8月から10月までのワルシャワ蜂起ののち再び、ドイツ陸軍によって計画的に爆破された。
暴動を記念する彫像”the Little Insurgent” は現在旧市街の中世の城壁に建設されている。
住所:Rynek Starego Miasta, 00-272 Warszawa, ポーランド [地図]
360°写真(Old Town Market Square)
登録年: 1980年
登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業
ウェブサイト:
行き方:日本からポーランドへは直行便が運航されておらず、ヨーロッパや中東の主要空港で乗り継ぐのが一般的です。
近隣諸国から国際列車で入国することもできます。
飛行機では、トルコのイスタンブールやフィンランドのヘルシンキ、アラブ首長国連邦のドバイ経由などでワルシャワに行くことが可能。
また鉄道では、ドイツのベルリンから約5時間30分、チェコのプラハから約8時間、オーストリアのウィーン約8時間20分でワルシャワに着くことができます。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年12月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:「不屈の熱意」で復元された世界遺産!ポーランドのワルシャワ歴史地区
ワルシャワ歴史地区に行って下さい。 Wybierz się do historycznego centrum Warszawy.
ワルシャワ歴史地区はどこですか? Gdzie jest historyczne centrum Warszawy?