2024年1月28日掲載
6.ザモシチ旧市街 Stare Miasto w Zamościu
ザモシチはポーランド南東部・ルブリン県の、郡と同格の都市である。
郡都ルブリンから90km、ワルシャワから247kmで、ウクライナ国境まで60kmである。
市街地から約20km離れた場所にロストチェ国民公園が位置する。
「ザモシチ旧市街」は、1992年にユネスコの世界遺産に登録された。
ザモシチは、1580年に、ポーランド・リトアニア共和国を構成するポーランド王国の宰相(大法官)にして、陸軍の最高司令官でもあったヤン・ザモイスキが建設した町である。
西ヨーロッパ・北ヨーロッパと黒海を結ぶ結節点にあり、ヨーロッパ各地にバロック建築が流行し始めた時代に、イタリア・パドゥア出身の建築家であるベルナルド・モランドが建築を指示した後期ルネサンス建築が完璧な姿で残っている。
ザモシチは、町自体が大砲が使われ始めた時代を背景に、函館市の五稜郭に似た死角のない要塞都市でもあった。
2010年当時のザモシチ市長マルチン・ザモイスキ(1947年生まれ)は旧マグナート(大貴族)の出身で、その父ヤン・トマツ・ザモイスキはザモシチ最後の第16代オルディナト(大領主)、第二次世界大戦時はポーランド国内軍の戦士でポーランド民主化後はセナト(上院)議員を務めた名士である。
ザモイスキ家の初代は前出の16世紀ポーランドの名宰相かつ大将軍であった。
マルチンはその直系子孫、中東欧で最も高貴な家の一つのザモイスキ本家の当主の長男という生まれでありながら、ワルシャワ大学とルブリンのカトリック大学で学位を取得したのち、カナダに渡ると一般の出稼ぎ労働者に混じって運転手として働き、その後はワルシャワに戻るとポーランド通信社の報道撮影監督と大道具係を18年間務めたという風変わりな経歴を持つ。
1990年から1992年にかけてと、2002年より2014年までの2度にわたり市長職に就いている。
無所属であるが、国政与党の市民プラットフォームより推薦を受けていた。
氏はポーランド共和国全国世界遺産連合会の会長でもあった。
住所:Rynek Wielki 8, 22-400 Zamość, ポーランド [地図]
360°写真(Great Market Square)
登録年: 1992年
登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業
ウェブサイト:
行き方:ポーランドの定番観光地ワルシャワやクラクフから、世界遺産のザモシチ旧市街までは、列車やバスで片道5時間半以上かかります。
また、ルブリンからザモシチまではバスで片道約1時間半~2時間。
日帰り旅行も可能です。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年12月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:ポーランドの世界遺産「ルネサンスの真珠」と呼ばれたザモシチ旧市街
ザモシチ旧市街に行って下さい。 Wybierz się na starówkę Zamościa.
ザモシチ旧市街はどこですか? Gdzie jest Stare Miasto w Zamościu?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
7.マルボルクのドイツ騎士団の城 Zamek Krzyżacki w Malborku
マルボルク城(マルボルクじょう)は、中世にドイツ騎士団がプロイセン( 現ポーランド、マルボルク市、ドイツ名:マリーエンブルク )に建設した城である。
1997年12月に「マルボルクのドイツ騎士団の城」として世界遺産(文化遺産)に登録された。
ノガット川下流の畔に位置する。
1226年、ポーランドのコンラト1世 (マゾフシェ公)は異教徒プルーセン人に対する征討と教化に手を焼いて、クルムラント領有権と引き換えに当時ハンガリーにいたドイツ騎士団を招聘した。
騎士団はプロイセンを征服し教皇とローマ王の両方から承認を得た騎士団は、1230年からプロイセンのキリスト教化を開始、その後プロイセンはドイツ騎士団国となり、騎士団は教皇の名の基にプロイセンを統治した。
マリーエンブルク城(マルボルク城)はこの期間にドイツ騎士団のバルト海沿岸地方征服の拠点として建設され、1274年に第一次建設が終わった。
1308年、騎士団がグダニスクとポメラニアを征服した後、マルボルクは重要なエリアとなった。
エルブロンクから騎士団の事務所が移され、ヴェニスから来た騎士団総長が城の次の建設に着手した。
1309年、騎士団国家の本部をプロイセンのマリーエンブルク城に移した。
騎士の人数増加に伴い城は増築されていった。
住所:Starościńska 1, 82-200 Malbork, ポーランド [地図]
360°写真
登録年: 1997年
登録区分: 文化遺産
営業時間:09:00~15:00、09:00~16:00(月曜日)
電話番号:+48 55 647 09 02
ウェブサイト:
行き方:世界遺産のマルボルクのドイツ騎士団の城へはワルシャワや、マルボルクを訪れる人が拠点とする町グダンスクからのアクセスが可能です。
グダンスクからマルボルクは電車で45分程度。
ワルシャワからマルボルクは、電車で2時間半程度で1時間に1便程度あります。
またワルシャワからグダンスクまでは飛行機も一日5便程度あります。
ワルシャワからのバスは所要時間4時間半~5時間半程度かかるので、列車が便利でしょう。
マルボルクの駅から世界遺産のドイツ騎士団の城は徒歩で15分程度なのでアクセス便利な立地。
とても大きな世界遺産の城なのでグダンスクを拠点としてゆっくりとまわるのがおすすめです。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年12月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:中世ヨーロッパ最大の城!世界遺産・マルボルクのドイツ騎士団の城
マルボルク城に行って下さい。 Udaj się do zamku w Malborku.
マルボルク城はどこですか? Gdzie jest Zamek w Malborku?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
8.中世都市トルン średniowieczne miasto Toruń
トルンは、ポーランド中北部ヴィスワ川のほとりに位置する工業都市で、クヤヴィ=ポモージェ県の県議会所在地。
1998年までは旧トルン県の県都であった。
1997年に旧市街が世界遺産に登録された。
トルンは、中世からプロイセン領内にあった都市。
トルンはブィドゴシュチュからヴィスワ川を遡り東南東に40kmほどのところにある。
2003年にはブィドゴシュチュ医科大学がトルン大学に統合された。
日本語ではトルンの表記の他、トルニと表記されることも多い。
ドイツ騎士団国時代はトルンの名をたいてい「Thorun」と綴り、のちにトルンがポーランド王国領に入ると12世紀にポーランドに導入されたラテン文字での文書には「Thorun」、「Thorunium」、「civitas Thorunensis」、「civitas Torunensis」と記述されるようになった。
その後「Thorn」となり、第二次世界大戦後にポーランド領になると、現代の名称「Toruń」になった。
住所:4,, Podmurna 3, 87-100 Toruń, ポーランド [地図]
360°写真(ドイツ騎士団城跡)
登録年: 1997年
登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業
行き方:中世都市トルンはポーランド北部、ワルシャワの北西約250kmに位置します。
ワルシャワからは列車で約2時間45分、またはバスで3時間〜4時間です。
列車は1日9~10便、運行されていますが、本数が少ない為帰りの時間も確認してください。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年12月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:ポーランドの世界遺産!中世都市トルンはハンザ同盟で栄えた美しい街
トルンに行って下さい。 Proszę pojechać do Torunia.
トルンはどこですか? Gdzie jest Toruń?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
9.カルヴァリア・ゼブジドフスカ : マニエリスム建築と公園が織りなす景観及び巡礼公園 Kalwaria Zebrzydowska: Park krajobrazowo-pielgrzymkowy architektury manierystycznej i parki
カルヴァリア・ゼブジドフスカは、ポーランド南部に位置する町。
2006年時点の人口は4503人、面積は5.5 km2 である。
1772年から1918年まではオーストリア帝国領だった。
1975年から1998年まではビェルスコ=ビャワ県に属していたが、1999年以降はマウォポルスカ県に属している。
町の歴史は、17世紀初頭に地元の有力者ミコワイ・ゼブジドフスキが、この地をキリスト受難の丘であるゴルゴタ(ラテン語名はカルウァリア Calvaria)に見立てて宗教的建造物群を建てたところから始まる。
町の名前もそのことに由来する。
一連の建造物群のある敷地は「カルヴァリア・ゼブジドフスカ公園」として知られており、マニエリスム建築と自然の景観が融合した優れた文化的景観として、1999年にユネスコの世界遺産に登録されている。
住所:ポーランド [地図]
360°写真
登録年: 1999年
登録区分: 文化遺産
営業時間:06:00~21:00
電話番号:+48 33 876 63 04
ウェブサイト:
行き方:カルヴァリア・ゼブジドフスカは、ポーランド第3の都市クラクフから南西に約30kmほどの場所に位置しています。
アクセス方法としてはクラクフから公共交通機関を使用して向かうのがおすすめ。
バスなら所要時間約50分、電車なら約1時間で到着しますが、バスや電車の本数は非常に少ないので帰り時間はしっかり調べておくようにしましょう。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年12月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:エルサレムに見立てたポーランドの世界遺産、カルヴァリア・ゼブジドフスカ
カルヴァリア・ゼブジドフスカ公園に行って下さい。 Idź do Parku Kalwaria Zbrzydowska.
カルヴァリア・ゼブジドフスカ公園はどこですか? Gdzie jest Park Kalwaria Zbrzydowska?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
10.ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群 Kościoły Pokoju w Jaworze i Świdnicy
ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群(ヤヴォルとシフィドニツァのへいわきょうかいぐん)は、ポーランドのドルヌィ・シロンスク県にあるヨーロッパ最大の木造宗教建築物である。
グウォグフにもあったが、1758年に焼失した。
「平和教会」(Friedenskirchen) と名付けられた福音派の教会が、現ポーランド領下のシレジア地方のヤヴォル、シフィドニツァ、グウォグフに建てられた。
ヤヴォルの教会は聖霊の祈りに基づいたもので、シフィドニツァの教会は聖三位一体の祈りに基づいたものであった。
それらは17世紀半ばのヴェストファーレンの平和のあとに起こった宗教論争のときに建てられたものなので、「平和教会」と名付けられたのである。
その物理的・政治的諸条件から、平和教会は信教の自由の模索への証明としての責務を負わされる存在となった。
また、一般的にはハプスブルク家の下でのカトリック教会と結び付けられていたルーテル教会のイデオロギーの稀な発露となることが求められたのである。
シレジアのプロテスタントたちは3つの教会を建てることを許されたが、建設期間は1年以内、石やレンガを使ってはいけない、という命令の為それは木造で、しかも釘を一切使わないものであった。
現存する二つの平和教会はユネスコの世界遺産に登録されている。
2005年には350周年が祝われ、ドイツとポーランドが共同で修復に当たった。
住所:plac Pokoju 6, 58-100 Świdnica, ポーランド [地図]
360°写真(Church of Peace in Świdnica)
登録年: 2001年
登録区分: 文化遺産
営業時間:09:00~18:00、12:00~18:00(日曜日)
電話番号:+48 603 331 578
ウェブサイト:
行き方:ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群は、それぞれ別々の町にあるのでご注意ください。
ポーランドの主要都市であるヴロツワフ駅からは、ヤヴォル、シフィドニツァともにバスが出ているので、そちらのご利用をおすすめします。
またヤヴォルからシフィドニツァ間もバスが運行していますので、どちらかの町に先に行った後にもう一方の町に向かうこともできて便利です。
なおどちらの町の教会も同日に見学したい場合は、最初はヤヴォル方面へ向かい、その後シフィドニツァへ向かった後にヴロツワフ駅まで戻ってくる方をおすすめ。
ヴロツワフ駅からシフィドニツァまでの往復バスの方が本数が多いため、帰りに本数が多いバスに乗れる方が安心です。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2023年12月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:木造宗教建築物の世界遺産!ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群
シフィドニツァの平和教会に行って下さい。 Idź do Kościoła Pokoju w Świdnicy.
シフィドニツァの平和教会はどこですか? Gdzie jest Kościół Pokoju w Świdnicy?