2024年3月21日掲載

乙女の塔

乙女の塔

1.コブスタンの岩絵の文化的景観 Kobustan qaya sənəti mədəni mənzərəsi

ゴブスタン国立保護区(ゴブスタンこくりつほごく)は、アゼルバイジャン・ゴブスタン(Qobustan)の西部にある1966年に設定された保護区。

この年に、アゼルバイジャンは、この地の古代の彫刻物群や泥火山を守るために、国定史跡に設定したのである。

首都バクー中心部からは40マイル南西にある。

2007年にユネスコの世界遺産に登録された(登録名は「ゴブスタンの岩絵の文化的景観」)。

ゴブスタン国立保護区は考古学的な記念碑類が多く残っており、岩絵は60万点を超えている。

岩絵に描かれているのは、太古の人類や動物、戦い、宗教的な舞踏、闘牛、武装した漕ぎ手の乗る小舟、槍を携えた戦士、ラクダの隊商、太陽や星々など多彩で、平均して5000年から20000年遡ると考えられている

今日のゴブスタンは、アゼルバイジャンで一番人気のある国立保護区で、この国にとってかけがえのない宝庫になっている。

住所:496H+H9C, Qobustan, アゼルバイジャン [地図]



登録年: 2007年

登録区分: 文化遺産
営業時間:10:00~17:00、09:00~17:00(土曜日、日曜日)
電話番号:+994 12 544 66 27
ウェブサイト

行き方:アゼルバイジャンのバクーから南西へ約60km、車で約1時間の場所に位置しているコブスタン国立保護区へは、バクーからバスやタクシーでアクセスすることができます。

バクーからコブスタンへはまず、124番または88番のバスでラウンドアバウトまで行き、そこから195番のバスでコブスタンへ行きます。

コブスタンでバスを降りたら、徒歩またはタクシーで国立保護区へと向かいます。

外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年2月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:アゼルバイジャンの世界遺産 ゴブスタンの岩絵の文化的景観

コブスタン国立保護区に行って下さい。Kobustan Milli Qoruğuna gedin.

コブスタン国立保護区はどこですか?Kobustan Milli Qoruğu haradadır?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2.城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔 Bakının divarlı şəhəri, Şirvanşahlar sarayı və Qız qalası

城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔(じょうへきとしバクー シルヴァンシャーきゅうでん およびおとめのとう)は、アゼルバイジャンの首都バクーの歴史的建造物に設定されたユネスコの世界遺産(文化遺産)である。

アゼルバイジャンにおいて国内最初の世界遺産。

この世界遺産が設定されているのは、カスピ海沿岸の都市バクーの旧市街である。

城壁内は一般にイチェリ・シェヘル(アゼルバイジャン語で「内城」の意)と呼ばれている。

バクーの町は5世紀頃からあったとされるが、その存在が確認されるのは10世紀以降である。

バクーは伝統的に現在のアゼルバイジャン共和国東部にあたるシルヴァン地方の主要都市で、もともとペルシア人のゾロアスター教徒の多い街であったが、アラブ人とともにイスラム教が到来し、さらに現在のアゼルバイジャン人の直接の先祖となるテュルク系の遊牧民が侵入した。

1538年までは、土着の王朝シルヴァン朝が首都としていたが、南のアーゼルバーイジャーン地方(現在のイラン領アゼルバイジャン)に興ったサファヴィー朝の支配を受け、さらに1585年にはオスマン帝国によって征服された。

まもなく17世紀にはサファヴィー朝の支配下に戻るなど、イランとトルコの政権の間で争奪が続いたが、1806年にはカスピ海西岸を南下してきたロシア帝国によって占領され、ロシア人主導で近代都市が建設された。

さまざまな民族の支配を受けたことにより、バクーはアゼルバイジャン固有の文化はもとより、アラブ、イラン、ロシアなどの影響と文化が共存する独自の景観を持つようになった。

住所:9R8M+CCX, Bakı, アゼルバイジャン [地図]



登録年: 2000年

登録区分: 文化遺産
営業時間:10:00~19:00、10:00~18:00(金曜日、土曜日、日曜日)
電話番号:+994 12 492 10 73
ウェブサイト

日本からアゼルバイジャンへは直行便がないため、乗り継ぎが必要です。

ドーハ乗継ぎのカタール航空やモスクワ乗継ぎのアエロフロートロシア航空、またはその他の中東都市を乗り継いでヘイダル・アリエフ国際空港から入国してください。

空港からバクー市内へは、タクシーまたはエアポートバスがおすすめです。

エアポートバスは24時間運行です。

空港からバクー市内終点までは約30分ほどで到着です。

外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年2月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:カスピ海の世界遺産!城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔

シルヴァンシャー宮殿に行って下さい。Şirvanşahlar sarayına gedin.

シルヴァンシャー宮殿はどこですか?Şirvanşahlar sarayı haradadır?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

3.シャキの歴史地区とハーンの宮殿 Şəkinin tarixi mərkəzi və Xan sarayı

シャキ(アゼルバイジャン語: Şəki、レズギ語: Шаки)は、アゼルバイジャン北西部の都市。

首都のバクーからは325kmの距離にある。

シャキには2700年以上前の大規模な居住跡が残されている。

彼らはイラン系で、紀元前7世紀頃、黒海の北岸からデルベントを通り、南コーカサスそしてアナトリアへと流浪していた。

彼らは「Sakasena」と呼ばれる南コーカサスの肥沃な土地を占有した。そのエリアの一地域がシャキである。

1世紀頃、シャキはカフカス・アルバニア王国で最大の都市の一つであった。

古代アルバニア人の寺院がここにあった。

その後、シャキ王国は11の行政エリアに分けられ、アラブ人が侵略してくるまで、シャキは政治的、経済的に重要な都市の一つであった。

しかしアラブ人による侵略の結果、シャキは他の首長国に併合されてしまった。

アラブ系のイスラム帝国が弱体化した時、シャキは独立した公国となった。

その後、モンゴル軍が侵攻し、この地を支配した。

14世紀にフレグによる支配が崩壊した後、シャキは独立した。

しかし1551年にサファビー朝のタフマースブ1世により、シャキはサファビー朝に併合された。

1578年から1603年までと、1724年から1735年までの短い間、オスマン帝国の支配も受けた。

1743年にシャキ・ハーン国が設立し、コーカサスのハーン国の中で最も強い封建制度を持った国であった。

1772年の土石流により旧町は破壊され後、シャキの町は旧町の東側の谷の高台に再建された

1805年のクラクチャイ条約により、シャキ・ハーン国はロシア帝国の属国となった。

1813年のゴレスターン条約により、このエリアは完全にロシアに併合され、1819年にハーンが廃止され、シャキ州が創設された。

シルクロード上に位置するシャキは古代から養蚕および繭、生糸と絹織物の取引が盛んである。

絹の生産と貿易に関連する桑畑、隊商宿、商店、噴水、モスク、公衆浴場、倉庫などの建物が市内に立ち並び、屋根裏で蚕を飼育するために屋根が高く建てられた家も多い。

川や氷河の雪解け水を利用する精緻な用水路のシステムも市内随所に見られる

住所:653X+Q36, Şəki, アゼルバイジャン [地図]



登録年: 2019年

登録区分: 文化遺産
営業時間:09:00~18:00

行き方:バクーからバスで5時間。

外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年2月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:2023年アゼルバイジャン世界遺産全5件と候補一覧/行き方と地図/動画・写真・評価

ハーンの宮殿に行って下さい。Xan sarayına gedin.

ハーンの宮殿はどこですか?Xan sarayı haradadır?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

4.ヒルカニアの森林群 Hyrcanian Meşə Qrupu

カスピ海のヒルカニア森林群は、イランおよびアゼルバイジャンのカスピ海の南岸にある約55,000㎢の地域をカバーする緑豊かな低地と山地の森林地帯で、温帯広葉樹林に属する。

森林の歴史は2,500万年から5,000万年前に遡り、イラン国内では北ホラーサーン州、ゴレスターン州、マーザンダラーン州、ギーラーン州およびアルダビール州の5つの州を跨ぎ、アゼルバイジャン国内ではレンキャラン県とアスタラ県の2つの地域を跨ぐ

古代の地域名であるヒルカニアにちなんで名付けられた。

イランの国土のわずか7%をカバーするにもかかわらず、同国内の維管束植物の種の44%はヒルカニアの森林群で見られる。

ソウゲンワシ、コキジバト、カタシロワシ、ニシブッポウソウ、ハンエリヒタキ、カスピアコガラを含む180種の鳥類およびペルシャヒョウ、パサンを含む58種の哺乳類が森林群で生息している

ゴレスターン州にあるヒルカニア森林の一部はユネスコの生物圏保護区に指定される

住所:FMFV+P43, Shua, アゼルバイジャン [地図]

ヒルカニアの森林群

ヒルカニアの森林群 引用:世界遺産センター

登録年: 2019年
登録区分: 自然遺産
営業時間:24時間営業
電話番号:+994 25 257 60 46

行き方:テヘランから数日間のツアーあり。

外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年2月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:2023年アゼルバイジャン世界遺産全5件と候補一覧/行き方と地図/動画・写真・評価

ヒルカニア森林群まで行って下さい。Hirkan meşəsinə gedin.

ヒルカニア森林群はどこですか?Hirkan Meşəsi haradadır?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

5.キナルグ人の文化的景観と移牧の道 Kinaruq xalqının mədəni mənzərəsi və yayla yolu

アゼルバイジャンの北部、ロシアの国境に近い高地にあるのがキナルグ村。

ここは青銅器時代から人が住んでいたとされ、現在も遊牧民族であるキナルグ人が暮らし、村の建造物は要塞のようであり、無駄のないスペースで設計されています。

人々はこの集落を夏の間だけ利用し、冬になると移牧として麓に暮らすというユニークな生活様式が今でも続けられているのが特徴。

キナリグ人は、アゼルバイジャンのコーカサス山脈の南側にある集落に暮らす遊牧民族のこと。

ここは青銅器時代の4000年前から人が住んでいた跡も残り、海洋に存在する生物の化石も発掘されるほど。

住民はかつてこの地方に存在したカフカス・アルバニア王国(紀元前2世紀〜8世紀ころ)との関連性も見られ、現在のキナルグ人は王国の子孫のシャダグ族というこの地方に古くから住む民族の一派と考えられていて、独自の言語を持っています。

「移牧」とは、季節ごとに放牧のために移動するというもの。

彼らの集落は標高2300mの位置にあり、牧草地と川に囲まれた丘の上に位置していて、家の屋根が隣の家の玄関テラスとなるような段々状の構造になっているのが特徴。

村は夏に暮らすためのもので、冬になると山の麓で暮らすというの伝統的な遊牧生活となっています。

彼らは冬の間は低地で暮らし、家畜に餌を与え、早春になると村へと戻っていくというサイクル。

住所:アゼルバイジャン [地図]



登録年: 2023年

登録区分: 文化遺産

行き方:首都バクーを出発点とし、バスとタクシーを用いたアクセスをご紹介します。
[大まかな流れ↓]
バクー(Baku)→グバ(Quba)→キナルグ(Xinaliq)
〈バクー→グバ〉
①バス ②タクシー
〈グバ→キナルグ〉
③ホテルのピックアップタクシー
④相乗りの専用タクシー

外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年2月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:アゼルバイジャンのキナルグ村への行き方

キナルグ村に行って下さい。Xahiş edirəm Kınarqu kəndinə gedin.

キナルグ村はどこですか?Kınarqu kəndi haradadır?

出典元:アゼルバイジャンの世界遺産「キナルグ人の文化的景観と移牧の道」とは?世界遺産マニアが解説