2024年3月25日掲載
6.ポーランドとウクライナのカルパティア地方の木造教会群 Дерев’яні церкви в Карпатах Польщі та України
ポーランドとウクライナのカルパティア地方の木造教会群(ポーランドとウクライナのカルパティアちほうのもくぞうきょうかいぐん)は、UNESCOの世界遺産リスト登録物件の一つであり、その名称が示すように、ポーランドのマウォポルスカ県・ポトカルパチェ県とウクライナのリヴィウ州・イヴァーノ=フランキーウシク州・ザカルパッチャ州に点在する木造のツェールクヴァ(Tserkva, 聖堂)16棟が対象となっている。
2013年の第37回世界遺産委員会で登録された。
木造教会(木造聖堂)はポーランドやウクライナ以外にも多く存在し、その代表的なものは世界遺産リストへの登録が進められてきた。
中央ヨーロッパに限っても、マラムレシュの木造聖堂群(ルーマニアの世界遺産、1999年)、マウォポルスカ南部の木造聖堂群(ポーランドの世界遺産、2003年)、カルパティア山脈地域のスロバキア側の木造教会群(スロバキアの世界遺産、2008年)などを挙げることが出来る。
しかし、それらの登録に際し、世界遺産委員会は付帯的な勧告を行い、建築時期や文化的伝統を踏まえて、さらに異なる類型の代表的木造教会を登録していくことが望ましい旨を表明していた。
ポーランドとウクライナにまたがる4つないし5つの地域的類型を代表する木造教会群は、2010年1月28日にウクライナ部分が、翌日にポーランド部分が、相次いで世界遺産の暫定リストに記載された。
これらは2012年1月30日に正式推薦され、翌年には世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) による勧告が出された。
勧告の内容は登録が妥当とするものであり、その勧告に基づいて第37回世界遺産委員会での登録が決まった。
ポーランドもウクライナも、ともに国境を越える世界自然遺産を保有していたが、国境を越える世界文化遺産の登録は初めてとなった。
住所:Solonyi Stavok St, 23, Drohobych, Lviv Oblast, ウクライナ 82100 [地図]
360°写真(St. George’s Church)
登録年: 2013年
登録区分: 文化遺産
営業時間:09:00~17:00、09:00~18:00(月曜日、火曜日、木曜日)、休日(水曜日)
行き方:世界遺産ポーランドとウクライナのカルパティア地方の木造教会群は、ポーランドとウクライナにまたがるカルパティア地方の広い範囲に散らばっています。
効率よく巡るにはツアーに入るのが一番お手軽でしょう。
ただし2つの国にまたがる都合上、1回のツアーですべてを巡るのは難しいかもしれません。
個人で行く場合は公共機関が発達していないところも多いので、レンタカーで巡ることをオススメします。
外務省海外安全ホームページでは退避してください、渡航は止めてください地域です。(2024年2月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:驚きの建築技術!世界遺産ポーランドとウクライナのカルパティア地方の木造教会群をご紹介
ドロホブィチの聖ゲオルギオス聖堂に行って下さい。 Відвідайте Собор Святого Юра в Дрогобичах.
ドロホブィチの聖ゲオルギオス聖堂はどこですか? Де Базиліка Святого Юра в Дрогобичах?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
7.ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域 Стародавнє місто Херсонес Таврійський і його сільськогосподарський район
ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域(ケルソネソス・タウリケのこだいとしとそののうぎょうりょういき)は、ウクライナのクリミア半島セヴァストポリ近郊(2014年以降はロシアが実効支配)に残る古代都市遺跡と周辺の農業遺跡を対象とするUNESCOの世界遺産リスト登録物件である。
「ウクライナのポンペイ」とも呼ばれ、かつてウクライナの紙幣の図案にも採用されたケルソネソスの考古遺跡は、黒海周辺に植民した古代ギリシアのポリスと、それを支えた農業領域の姿を伝えている点などが評価され、2013年の第37回世界遺産委員会で登録された。
ケルソネソス・タウリケ (Chersonēsos Taurikē)は、クリミア半島の古称「タウリカ半島」のことであるとともに、その中心都市の名前にもなっていた。
現在のセヴァストポリ近郊に存在していた中心都市は、単にケルソネソス(ヘルソネソス)とも呼ばれる(以下、都市についてはケルソネソスと表記)。
ケルソネソスの歴史は、ドーリア人系の植民都市ヘラクレイアがその地に進出し、植民都市を建設した紀元前5世紀後半に始まる。
ボスポロス王国が勢力を伸ばす中、紀元前4世紀に入ったころに農業基盤を整え始めたケルソネソスは、世紀半ば以降、北西クリミア地域へとその農業領域を拡大し、ボスポロスとともにクリミアを二分する勢力へと成長した。
ケルソネソスは交易上の重要な中継地点であり、ロシアの河川や北方の森林からの収穫物も含めた農林水産物や塩、コハクなどと、地中海世界の手工業製品とを交換していたことが、都市の繁栄を支えていた。
そして紀元前3世紀は農業生産の最盛期でもあったと見なされており、それはケルソネソスの最盛期とも重なっている。
しかし、その時期にはギリシアとスキタイの戦争が長期化しており、これが交易にも悪影響を及ぼしたことで、ケルソネソスの繁栄に翳りが見られるようになった。
他方で、ケルソネソスはその後も一定の自治を保つことには成功している。
4世紀以降にキリスト教が伝わると、ケルソネソスはそれを受け入れた。
住所:Davnya St, 1, Sevastopol [地図]
360°写真(ケルソネソス)
登録年: 2013年
登録区分: 文化遺産
電話番号:+7 978 110 26 21
ウェブサイト:
行き方:ケルソネソスはセヴァストーポリ市の郊外にあり、セヴァストーポリには空港があります。
セヴァストーポリ市内からケルソネソスまでは、バスかタクシーを利用します。
外務省海外安全ホームページでは退避してください、渡航は止めてください地域です。(2024年2月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:ウクライナの世界遺産「タウリカの古代都市ケルソネソスとその領域」
ケルソネソスに行って下さい。 Поїхати в Херсонес.
ケルソネソスはどこですか? Де Херсонес?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
8.オデーサ歴史地区 Історичний район Одеси
オデッサ(ウクライナ語: Одеса [oˈdɛsɐ])は、ウクライナ南部、ドニエストル河口から北に約30km、黒海に面した港湾都市である。
オデッサ州の州庁所在地で、首都キーウから約443km南に位置する。
2021年現在の人口は約101万人、ウクライナで3番目に大きな都市となっている。
面積は約160km2。
オデッサはウクライナ最大の港湾を備えた同国を代表する工業都市であると共に、リゾート地、文学都市としても知られている。
黒海に面するオデッサはロシア帝国の時代より、ロシア帝国と外国の経済・文化の交流の拠点となっていた。
1920年代以降になると数多くの作家がオデッサに現れ、文学が盛んな地であることから、ユネスコの創造都市の文学部門に認定されている(「文化」の項に後述)。
20世紀のオデッサ出身の作家レフ・スラーヴィンはオデッサの人間の気質について「何かを理解するためにはどんなものでも手でじかに触り、歯で噛んでみなければ気のすまない」と説明している。
オデッサ歴史地区、またはオデッサ中心部は、ウクライナのオデッサにある市内中心部であり世界遺産です。
2023 年に登録されましたが、現在はロシアのウクライナ侵攻のため、危険にさらされている世界遺産のリストに載っています。
住所:Odesa, Odesa Oblast, ウクライナ 65000 [地図]
360°写真(ポチョムキンの階段)
登録年: 2023年
登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業
行き方:キーウから特急電車インテルシチで7時間か夜行列車9時間や、リヴィウから夜行列車などで12.5時間。
外務省海外安全ホームページでは退避してください、渡航は止めてください地域です。(2024年2月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:2023年ウクライナ世界遺産全8件と候補一覧/行き方と地図/動画・写真・評価
オデッサ歴史地区に行って下さい。 Їдьте в історичний район Одеси.
オデッサ歴史地区はどこですか? Де знаходиться історичний центр Одеси?