2024年5月16日掲載

シタデル

シタデル

1.シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園  Citadelle, Château de Sans Souci, Parc Historique National de la Ramière

シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園は、ユネスコの世界遺産登録物件の一つである。

2019年の第43回世界遺産委員会終了時点では、ハイチ唯一の世界遺産でもある。

登録名が表すように、国立歴史公園内に残る、シタデル、サン=スーシ城と、その他の遺跡群が対象となっている。

シタデル

シタデルは、1805年から1817年にかけて標高 970 m のラフェリエール山の頂に建造された、巨大な要塞である。

アンリ・クリストフ(のちのハイチ国王アンリ1世)が中心となって建造された要塞で、独立まもないハイチを再び支配下に置こうと旧宗主国のフランス軍が侵攻してくることを想定したものであった。

365門の砲台と数万単位の砲弾、さらに巨大な食料庫と貯水槽も設置され、長期に及ぶ籠城戦にも堪えられるように準備されていたが、実際にフランス軍が攻めてくることはなかった。

20万人を駆使して建造させた当のアンリ・クリストフは、国内の不満の高まりを受け、完成した3年後に自殺に追い込まれた。

彼が自殺したのは近隣のサン=スーシ城であったが、亡骸はシタデルに葬られた。

サン=スーシ城

サン=スーシ城(Palais Sans-Souci, サン=スーシ宮)はハイチのアンリ・クリストフが居城とした建物である。

現在の北県のミロにある。

建設は1807年に始まり、1813年に完成した。

サン=スーシはフランス語で「憂いなし」を意味する。

サン=スーシ城のモデルになったのはヴェルサイユ宮殿であり、建造にあたってバロック様式がとり入れられた。

内装も高級木材や大理石などを使った豪奢なもので、フランスやイタリアから取り寄せられた建材や装飾品も用いられた。

ハイチで国王アンリ1世として君臨したアンリ・クリストフはこの城を居城としていたが、国内の不満の高まりを受けて、1820年10月8日にこの城の庭園で自殺した。

ハイチの伝説では、彼は銀の小銃で黄金の弾丸を撃ちこんだという

アンリの亡骸はシタデルに葬られたが、自殺に関連してサン=スーシ城の遺跡では亡霊が出るとうわさされた。

彼の息子で王太子だったジャック=ヴィクトル・アンリ(Jacques-Victor Henry)も、同じ年の10月18日に革命派によって銃剣で刺され、この城で歿した。

1842年にカパイシャン一帯を襲った地震で、この城も大きな損害を受けたが、再建されることはなかった。

国立歴史公園

ラミエールの丘には、ラテンアメリカで初の独立国となったハイチの、独立当初の建造物群が多く残っている。

シタデルやサン=スーシ城はその代表的なものである。

ラミエールの丘とその周辺は1978年に国立歴史公園に指定された。

この地区は同時にIUCNの分類では景観保護区とされている

住所:JQ3J+VCM, Milot, ハイチ [地図]



登録年: 1982年
登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業

行き方:これらの世界遺産があるのは、ハイチ北部のミロー村です。

ハイチには鉄道はなく、道路状況も良くないので、最寄りの都市カパイシャンまで首都ポルトープランスから飛行機で行くことをおすすめします。

カパイシャンからは、タプタプという小型バスを改造した乗り合いバスか、タクシーに乗っていくことになります。

とくにサン・スーシからシタデルまでは何もない山道が10kmほど続くので、ミローでガイドを雇い、ラバに乗っていくのが一般的です。

外務省海外安全ホームページでは退避勧告地域です。(2024年4月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:ハイチ唯一の世界遺産!国立歴史公園-シタデル、サン・スーシ、ラミエ

ラミエール国立歴史公園に行って下さい。 Allez au parc historique national de la Ramière.

ラミエール国立歴史公園はどこですか? Où se trouve Parc historique national de la Ramière ?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』