2024年5月16日掲載
1.パナマのカリブ海沿岸の要塞群:ポルトベロとサンロレンソ Fortificaciones en la costa caribeña de Panamá: Portobelo y San Lorenzo
パナマのカリブ海沿岸の要塞群は、パナマにあるユネスコの世界遺産登録物件の一つで、パナマの世界遺産の中では最初に登録されたものである。
ポルトベロに残る5つの要塞跡と、サン・ロレンソ要塞の遺構が登録対象となっている。
スペインの植民地だった時代のポルトベロは、銀の積出港として栄えた港町であった。
当時はその経済的重要性から略奪行為などの標的になることもしばしばで、港町の防衛施設群を整えることが要請された。
その結果、17世紀前半に、湾の入り口に2つ(サン・フェリペ・トド・フィエロ要塞とサンティアゴ・デ・ラ・グロリア要塞)と湾内に2つ(サン・クリストバル要塞とサン・フェルナンド要塞)の要塞が配置され、さらに湾の最奥部の港町自体にもサン・ヘロニモ要塞が置かれた。
これら5つの要塞群がポルトベロの防衛を担ったのである。
しかし、この要塞群は難攻不落とは行かず、1668年にはヘンリー・モーガンの私掠船団によって、1739年のエドワード・ヴァーノンの艦隊によって、それぞれ大規模な占領や掠奪に遭った。
現在残る要塞群は1750年代以降に改修されたもので、国立歴史公園として保存されている。
このポルトベロから南西に60 km ほどいったチャグレス川河口付近の小高い丘の上に建設されたのが、サン・ロレンソ要塞である。
こちらの要塞は17世紀の建造以降大きく損壊することがなかったため、当時の姿を良好にとどめている。
これらの遺跡群は、かつてスペインが植民地で築いた軍事施設の建築水準を今に伝える優れた例証となっていることなどから、世界遺産に登録された。
保存面での不備などから、2012年の世界遺産委員会において、危機にさらされている世界遺産(危機遺産)リストに登録された。
住所:H83V+XR3, Provincia de Colón, パナマ [地図]
360°写真(パナマのカリブ海側の要塞群)
登録年: 1980年
登録区分: 文化遺産
行き方:ポルトベロとサン・ロレンソはパナマ運河を挟んで東西に離れていますが、どちらもパナマ第2の都市コロンを経由して行くことになります。
日本からは、まず首都のパナマシティを目指しましょう。
直行便は飛んでいないので、アメリカの各都市やメキシコシティで乗り継ぎます。
パナマシティからコロン市までは、バスか鉄道を利用します。
ともに所要時間は1~2時間程度。
またサン・ロレンソ要塞とポルトベーロも、コロンのバスターミナルからそれぞれバスで1時間くらいです。
コロンは香港に次いで世界第2の規模を誇る自由貿易港ですが、以前は「中米一治安の悪い都市」としても有名だったところ。
近年治安は回復傾向にあるとはいわれているのですが、観光地というわけでもないので、あくまで世界遺産への中継点として足早に移動するのが無難です。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2024年4月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:パナマ初の世界遺産!カリブ海沿岸の要塞群:ポルトベロとサン・ロレンソ
サン・ロレンソ要塞に行って下さい。 Dirígete al Fuerte San Lorenzo.
サン・ロレンソ要塞はどこですか? ¿Dónde está Fuerte San Lorenzo?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2.ダリエン国立公園 Parque Nacional Darién
ダリエン国立公園は、パナマのダリエン県にある、ユネスコの世界遺産にも登録されている国立公園である。
コロンビアとの国境付近に広がっており、国境の向い側にはコロンビアの世界遺産であるロス・カティオス国立公園が広がっている。
ダリエン県のサンタ・フェとサン・ミゲル湾の東側にある。
1980年に国立公園が設定され、1983年には生物圏保護区に指定された。
背景にあったのは、当時建設が進められていたパンアメリカンハイウェイの建設工事が、国境付近の環境の悪化につながることが懸念されたことである。
国立公園が設定された結果、この縦断道路はパナマのヤビーサ付近で一度途切れることになった。
住所:パナマ [地図]
登録年: 1981年
登録区分: 自然遺産
電話番号:+507 6392 5977
ウェブサイト:
行き方:パナマシティから国内線に乗り換えて、ダリエン国立公園に一番近い町エル・レアル(El Real)まで行きます。
現地慣れしている人、もしくは地元文化に深く触れたい人はパナマシティからレンタカーでヤビサ(Yaviza)まで行き、そこからエル・レアルまでボートで行くことも可能です。
エル・レアルには「ANAM」というダリエン国立公園を管理するために設立された自然保護機関と観光客用のロッジがいくつかあります。
世界遺産観光地とはいえ、未開部分の多いエリアでもあるので、パナマシティから出ているガイド付きツアーに参加するのが安全の面でも宿泊予約の面でも安心です。
外務省海外安全ホームページでは渡航中止勧告地域です。(2024年4月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:アクティビティとエンベラ族文化が魅力のダリエン国立公園!
ダリエン国立公園に行って下さい。 Dirígete al Parque Nacional Darién.
ダリエン国立公園はどこですか? ¿Dónde está el Parque Nacional Darién?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
3.タラマンカ山脈=ラ・アミスター保護区群とラ・アミスター国立公園 Montañas de Talamanca – Reservas La Amister y Parque Nacional La Amister
タラマンカ山脈=ラ・アミスター保護区群とラ・アミスター国立公園(タラマンカさんみゃく ラ・アミスターほごくぐんとラ・アミスターこくりつこうえん)は、コスタリカとパナマにまたがる世界遺産である。
1983年にコスタリカの世界遺産として、7つの国立公園や自然保護区がまとめて「タラマンカ山脈=ラ・アミスター保護区群」として登録された後、1990年にパナマのラ・アミスター国立公園が加えられた。
ラ・アミスター国立公園は、1988年にパナマとコスタリカが共同管理する国際平和公園であるラ・アミスター国際公園の一部になっている。
この一帯は世界遺産になるよりも早い1982年に生物圏保護区に指定されている(コスタリカ領内のみ。パナマ領内は2000年に新規指定)。
そのときにパナマ、コスタリカをまたぐ指定を受けていたことが、後の世界遺産の登録拡大にも関係した。
一帯の動物相や植物相の特色についてはタラマンカ山脈を参照のこと。
住所:654H+RJC, Las Delicias, パナマ [地図]
360°写真(インテルナシオナル・ラ・アミスター公園)
登録年: 1983年
登録区分: 自然遺産
営業時間:00:00〜23:59
行き方:【パナマから入る場合】
パナマシティからバスまたは飛行機を利用してダビまで行き、そこからバスを利用してセロ・プンタまで移動します。
セロ・プンタからラス・ヌベスまで再びバスを利用。
ラス・ヌベス行きのバスは本数が少ないため、セロ・プンタからはタクシーの方が便利です。
帰りのバスの本数も少ないので、あらかじめタクシーを手配しておきましょう。
また、ダビからラス・ヌベスまでレンタカーを利用すると約1時間半で到着します。
【コスタリカから入る場合】
コスタリカの首都サンホセからバスを利用してサンヘラルド村まで移動します。
サンヘラルド村からサン・ビトまで再びバスを利用。
サン・ビトからラ・アミスター国立公園へは4WDのタクシーでもアクセスすることが可能です。
また、サンホセからサン・ビトまでレンタカーを利用すると約5時間かかります。
ツアーも出ているのでぜひ参加してみてください。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2024年4月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:タラマンカ地方-ラ・アミスター保護区群とラ・アミスター国立公園の魅力
ラ・アミスター国立公園に行って下さい。 Dirígete al Parque Nacional La Amister.
ラ・アミスター国立公園はどこですか? ¿Dónde está el Parque Nacional La Amister?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
4.パナマ・ビエホとパナマ歴史地区 Panamá Viejo y Centro Histórico de Panamá
パナマ・ビエホとパナマ歴史地区は、中米の国、パナマの首都であるパナマ市の東に位置している世界遺産に登録されている文化財として貴重な建造物群である。
2003年の第27回ユネスコ世界遺産委員会パリ会議において、文化遺産に登録される。
–同じパナマ市内にあるカスコ・ビエホが1997年に文化遺産として登録されたことを受け、あわせて再登録された経緯をもつ。
パナマの町が成立したのは、1513年に若きスペイン人探検家バスコ・ヌーニェス・デ・バルボアが現在のパナマ東部ダリエン地域からパナマ地峡を横断し、現在のダリエン県都ラ・パルマがあるサン・ミゲル湾で太平洋を「発見」したことに端を発する。
一説によると、その後1515年に現代のパナマ・ビエホ地区を訪れたアントニオ・グスマンという探険家が、砂浜で出会った青年漁師に地名を問うたところ「パナマ」と答えたことからその沿岸地域一帯をスペイン領パナマと命名した。
後になってパナマとは現地インディヘナの言葉で「海産物が豊かに取れる場所」という意味であることが分かっている。
その後1519年8月15日にスペイン王室からパナマ地方の総監兼総督に任命されたペドロ・アリアス・デ・アビラ によって、現在のパナマ・ビエホに太平洋沿岸で最初のスペイン植民都市が成立したのである。
16世紀初頭は300人程度のスペイン人のみを抱える都市として始まったが、17世紀後半の海賊襲撃時には人口は12,000人にも膨れ上がっていた。
当時から友好的なインディヘナたちをキリスト教化しながら、また一方ではスペイン人統治に反対する者には黄金輸送などの強制労働などを課した。
混血も早い時期から進み、町の人口増加に拍車をかけた。
パナマの町は、成立初期はバルボアの部下としてパナマにやってきたフランシスコ・ピサロが、現地インディヘナたちの情報を元にパナマから3艘の船に乗って南米のインカ帝国を滅亡させるなど、政治的にもより多くの黄金獲得と植民都市成立のために中米や南米諸国に探検家たちを旅立たせる拠点としての役割も担ってきた。
そしてその後、南米からの大量の黄金やボリビアのポトシ銀山の銀を海路で、また陸路でカリブ海へ運ぶ中継地点として栄えてきた。
1671年1月28日、町に侵入したイギリスの海賊ヘンリー・モーガン一味は、当時黄金交易でにぎわっていたパナマの町に火を放って(パナマの総督が、逃げ失せるために自ら町に火を放ったという説もある)、黄金を略奪した。
海岸線に建物がひしめき合うように立地するパナマの町は、ほとんど防御施設を持たなかったために、2月24日まで(現地をみた他の海賊の証言では4週間以上)町全体が火に包まれたとの記録が残っている。
その後、町は復興されることなく、2年後に高台で以前から移転計画のあった西に約11km離れた現在のカスコ・ビエホ地区に町の機能をすべて移転させた。
このときに焼け残った公共建物や宗教施設で使用されていた石材が持ち運びだされ、再利用されている。
現在でも見られるものとして、西端に位置するメルセー教会正面の彫刻が施された化粧石、大聖堂の正面壁面の石材などがある。
町の再建が断念された理由としては海賊の襲撃が致命的であったこともある。
しかしそれ以前の1621年にパナマを襲った地震の被害が甚大であり、復旧を援助してもらうためにスペイン王室に費用負担を申し出る書類が確認されている。
総合的に被害状況が関係者にとって予想以上だったとの見解が数年来、各種論文で指摘されている。
一方、発掘調査で確認される植民地時代の建物のレンガ敷き床面が略奪によるもの以上に破損している状況が看過されるからも同様の結果が推察できるようである。
再建が断念されたかつての町は、後に各宗派が新しい町での施設再建のために残存建物から建築部材を切り出す作業に従事するインディヘナたちの居住地となった。
危険を伴う作業であったために解体石材の下敷きになる事故が多発した。
切り出された部材は満潮時に近くの海岸から筏に乗せられて運ばれた。
一連の工事が終了した後は、パナマ建国までのおよそ300年間、省みられる事も無くスペイン人がやってくる前の状態に戻っていった。
住所:2G47+MV5, Vía Cincuentenario, Panamá, Provincia de Panamá, パナマ [地図]
360°写真(パナマ・ビエホ)
登録年: 1997年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:30~16:30、休日(月曜日)
電話番号:+507 226 8915
ウェブサイト:
行き方:日本からパナマへの直行便は運航していないため、アメリカかメキシコの主要都市を経由することになります。
乗り継ぎ時間などを考えると、アメリカ経由の方が利便性が良いのでおすすめです。
ワシントンかニューヨークを経由すると1回の乗り換ぎでパナマに行くことができます。
どのルートでも所要時間は約20時間です。
パナマの空港からパナマ歴史地区までは車で約30分で到着します。
外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年4月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:パナマの歴史を今に伝える世界遺産、パナマ・ビエホとパナマ歴史地区
パナマ・ビエホに行って下さい。 Vaya a Panamá Viejo.
パナマ・ビエホはどこですか? ¿Dónde está Panamá Viejo?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
5.コイバ国立公園とその海洋特別保護地域 Parque Nacional Coiba y su Área Marina Especialmente Protegida
コイバ島(Coiba)は中央アメリカ最大の島で、パナマのベラグアス県の太平洋岸沖合いにある。
周辺の豊かな海洋生態系に特色があり、国立公園になっていると同時に、ユネスコの世界遺産リストにも登録されている。
コイバ島がパナマ本土から切り離されたのは、海面が上昇した18000年前から12000年前頃のことであった。
新しい島の動植物は、本土の集団から切り離されてしまい、外見的にも性質の面でも、本土の動植物とは分岐していった。
その結果、コイバ島はコイバホエザル(Alouatta coibensis)、コイバアグーチ(Dasyprocta coibae)、コイバアカオカマドドリ(Cranioleuca dissita)などの固有種の宝庫になっている。
コイバ島ではアメリカ先住民のカシケ(Coiba Cacique)たちが1560年頃まで暮らしていたが、スペイン人たちに征服され、奴隷にされた。
1919年には島に流刑地としての施設群が建設された。
オマル・トリホスやマヌエル・ノリエガの独裁政権時代には、コイバの監獄は残忍な境遇、酷い拷問、政治犯の処刑といった悪評によって、パナマ人の恐怖の的だった。
この時期にどれだけの人間が犠牲になったのかは正確には分からないが、資料などからは300人前後だったと考えられている。
このため、パナマ本土の住民には「悪魔の島」(La Isla del Diablo)として忌避され、監獄閉鎖後も全く開発されなかった。
コイバ島は1992年に国立公園になった。
監獄島として機能していたために開発からは取り残されたが、2004年の監獄閉鎖後は、かえって理想的な自然保護区となった。
コイバ島は、中央アメリカでは数少ない、コンゴウインコの野生種の大群が見られる場所になっている。
また、ヒメオウギワシなども生息している。
島の75%は熱帯太平洋地域の湿潤林で、そこには原始林も多く含まれている。
この島には、ここでしか見られない稀少な植物種も生育しており、パナマ本土では森林破壊や過剰伐採で姿を消してしまった3種の植物も残っている。
コイバ島周辺の海域は南北アメリカ州の太平洋沿岸で最大級のサンゴ礁に囲まれており、遠海魚、海洋哺乳類などの多くの海洋生物を育んでいる。
チリキ湾を流れる海流は、独特の海中環境を生み出していて、その暖流はサンゴ礁と太平洋の熱帯性の海洋生物を育んでいる。
熱帯性の海洋生物は、通常のアメリカ大陸太平洋岸では予期しないものである。
暖流に乗って、ザトウクジラ、シャチなどの鯨類、ジンベイザメなどのサメ等の比較的大型の魚類や海洋哺乳類、そしてウミガメもやってくる。
コイバ島周辺の海洋環境は、ココス海嶺でココ島(コスタリカ)やガラパゴス諸島(エクアドル)周辺の海洋環境とも繋がっている。
2005年6月にはユネスコの世界遺産リストに登録された。
登録総面積は430,825 haである。
内訳はコイバ国立公園 270,125 ha(うち海域 216,500 ha)、海洋保護特別地域 160,700 ha である。
住所:パナマ [地図]
360°写真(コイバ島)
登録年: 2005年
登録区分: 自然遺産
行き方:コイバ島へはサンタ・カタリーナからのツアーに参加しましょう。
パナマ・シティに到着後、バスを利用してソナに向かいます。
その際の所要時間は4時間半。
ソナに到着したら別のバスに乗り換えてサンタ・カリーナへ移動します。
所要時間は約1時間半です。
なお、サンタ・カリーナ行きのバスはソナからしか運行していません。
さらにお昼(12時)と夕方(16時)のみの運行なので注意してください。
パナマ・シティを10時半に出るバスに乗ると、16時の便にうまく接続できます。
パナマ・シティからソナ行きのバスが見つからなかった場合は、サンティアゴ経由でソナに行くことも可能です。
ソナからサンタ・カタリーナまではタクシーの移動もできますが、値段が高いためあまりおすすめできません。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2024年4月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:人気のダイビングスポット!コイバ国立公園とその海洋保護特別地帯
コイバ島に行って下さい。 Por favor dirígete a la isla Coiba.
コイバ島はどこですか? ¿Dónde está la isla de Coiba?