2024年4月20日掲載
1.ポトシ市街 ciudad de potosí
ポトシ(スペイン語: Potosí“シ”にアクセント)は、ボリビアの南部にある都市。
ポトシ県の行政府所在地。
ボリビアの首都ラパスから南東に約 440 km に位置する。
アンデス山脈中の盆地にあり、標高約 4,000 mと人が住む都市としては世界で最も標高が高い都市の一つである。
高山地域のうえ乾燥気候であるために植生には乏しい。
インディオの特徴を強く持つ人が多く、チョリータが多い。
ケチュア語を話す人が多いが、スペイン語を全く解さない人は近年だいぶ少なくなってきた。
スペイン以前の状況は不詳であるが、町は1546年に鉱山町として設立された。
人口も一時は20万人を数えた。
労働力としてアフリカ人奴隷も連れてこられている。
スペイン統治時代に金・銀を多く産出する鉱山が開発され、45,000 t の銀などを産出したが、19世紀にはすっかり枯渇してしまった。
銀の枯渇に加え、19世紀初頭の独立に伴う戦乱で、荒廃が進んだ。
その後、19世紀末からは錫(すず)が大量に採掘されるようになり鉱山の活気も復活したが、現在では錫もほぼ枯渇している。
しかし、現在も主に手掘りで作業を続けている坑夫がいる。
1987年、セロ・リコ銀山を含め、他の構造物とともに世界遺産に登録される。
奴隷制度の象徴として、負の世界遺産にも数えられている。
住所:ボリビア [地図]
360°写真(セロ・リコ)
登録年: 1987年
登録区分: 文化遺産
行き方:ポトシ市街への日本からのアクセスは、まずアメリカの都市での飛行機を乗り継いで首都であるラパスを目指すことになります。
そしてラパスからポトシのアクセスは国内線の飛行機、もしくは長距離バスにてのアクセスとなります。
飛行機の場合は約1時間ほど、長距離バスでのアクセスは約10時間ほどでのアクセスとなります。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2024年3月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:かつて大繁栄した銀鉱山の街、ボリビア山岳地帯の世界遺産の街ポトシ市街
ポトシ市街に行って下さい。 Dirígete a la ciudad de Potosí.
ポトシ市街はどこですか? ¿Dónde está la ciudad de Potosí?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2.チキトスのイエズス会伝道所群 Misiones Jesuíticas de Chiquitos
ボリビアのイエズス会伝道所群は、スペインによる植民地化の過程で、イエズス会によって建造された伝道用の集落群である。
それらは、ボリビア国内でも、特にサンタクルス県北部やベニ県に見られる。
そのうち、サンタクルス県チキトス地方に残る伝道所群は「チキトスのイエズス会伝道所群」として、ユネスコの世界遺産に登録されている。
スペインがボリビアを入植したときには、様々な会派の修道士たちが、12使徒になぞらえうる新大陸の伝道活動に参加した。
彼らが作った建造物・集落群は「ミシオネス」(Misiones) あるいは「レドゥクシオネス」(Reducciones) と呼ばれた。
日本語では「伝道所」「伝道施設」「布教村」などの訳が当てられる。
伝道所の建設に熱心だったのは、イエズス会とフランシスコ会である。
イエズス会士たちによって建てられた施設群は、特にチキトス地方の人々の歴史にとって、逸することの出来ない足跡を残している。
イグナチオ・デ・ロヨラによって創設され、ローマ教皇パウルス3世によって認められたイエズス会は、1540年以降、その伝道施設を新大陸に築き、先住民への宣教を企図した。
その活動のために様々な地を巡った結果、征服者たちの新たな領土の発見に結びついたこともあった。
ボリビアでの宣教は、有名な黄金郷伝説エル・ドラードあるいはパイ・ティティの調査にも大きく影響されていたと考えられている。
聖堂などの建築物が今なお維持されているおかげで、1990年に、チキトス地方のイエズス会伝道所は、ユネスコの世界遺産に登録された。
世界遺産の対象となったのは、チキトスに残る6つの伝道所サン・フランシスコ・ハビエル(サン・ハビエル)、コンセプシオン、サンタ・アナ、サン・ミゲル、サン・ラファエル、サン・ホセである。
それを踏まえて、ボリビア当局と非営利組織は、チキトスでの一大観光プログラム「チキトスのルネサンス・バロック音楽祭」を始動した。
住所:5735+QCC, 34, San José de Chiquitos, ボリビア [地図]
360°写真(Jesuit Church of San José de Chiquitos)
登録年: 1990年
登録区分: 文化遺産
営業時間:09:00~12:00、15:00~18:00(日曜日は15:00~19:00)、休日(月曜日)
行き方:「チキトスのイエズス会伝道施設群」はボリビアの東部にある街サンタクルスからおよそ270km東にあるチキトスの近郊に位置しています。
サンタクルスへは、首都ラパスから空路や、15時間ほどかかりますが、バスで行くことも可能。
ボリビアの首都ラパスは高所に位置しているため、諸外国からの玄関口はサンタクルスが担っています。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2024年3月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:ボリビアが誇る世界遺産!チキトスのイエズス会伝道施設群をご紹介!
チキトスのイエズス会伝道所群に行って下さい。 Visita las misiones jesuíticas de Chiquitos.
チキトスのイエズス会伝道所群はどこですか? ¿Dónde están las misiones jesuíticas de Chiquitos?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
3.古都スクレ antigua ciudad de sucre
スクレ(スペイン語: Sucre)はボリビア多民族国の憲法上の首都(事実上の首都はラパス)である。
建設時はラプラタ(La Plata)、のちにチュキサカ / チャルカス(Chuquisaca / Charcas)と呼ばれていた。
ただし、現在ではスクレには最高裁判所があるだけで、その他の国家機関はほぼラパスに集まっている。
1826年のボリビア建国から1890年まではスクレが名実ともにボリビアの首都であった。
1899年にラパスを拠点とした自由党が「連邦革命」をおこし、スクレを基盤にしていた保守党政権を打倒した。
そして、翌年に自由党政府は議会と政府をスクレからラパスに遷したため、スクレは憲法上ではボリビアの首都のままであったが、首都機能の大半を喪失した。
また、スクレはチュキサカ県の中心都市でもある。
市域は1,820km²。人口は約28万人(2012年国勢調査)と、憲法上の首都ではあるがそれほど多くない。
ボリビア独立時の調印が行なわれた場所で、今も16世紀に建造されて以来蓄積されてきたコロニアル様式の古い町並みが残っている。
白く美しい建物が多いため、「白の街」と呼ばれることもある。
伝統的な民族衣装と祭りで有名なタラブコの町へは、スクレからバスなどで行ける。
住所:Pl. 25 de Mayo esquina, Sucre, ボリビア [地図]
360°写真(Cathedral Basilica of Our Lady of Guadalupe)
登録年: 1991年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:00~12:00(日曜日のみ)
ウェブサイト:
行き方:日本からボリビアまではラパスかサンタ・クルスの空港を利用します。
ラパス、サンタ・クルスからスクレに飛行機で行くにはAerosur、BOA、TAMの3社が運行しています。
毎日いずれかの航空会社の便がありますが定刻前に飛んだり、キャンセルになったりすることもしょっちゅうあるようなどでご注意を。
ラパスからスクレまでは約1時間のフライトです。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2024年3月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:南米の太陽を浴びる白い街!ボリビアの世界遺産の古都スクレをご紹介
スクレに行って下さい。 Por favor ve a Sucre.
スクレはどこですか? ¿Dónde está Sucre?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
4.サマイパタの砦 fuerte de samaipata
サマイパタの砦(サマイパタのとりで、El Fuerte de Samaipata)は、ボリビアのサンタ・クルス県にある遺跡であり、ユネスコの世界遺産である。
ボリビア国内を走るアンデス山脈の東の山麓に位置し、ボリビアの国内外から観光客が訪れる。
サマイパタの砦は近隣のサマイパタの町の人々に使われていた。
砦と呼ばれるが、実際には軍事拠点ではなく、コロンブス到達以前の宗教的な遺跡である。
建造した先住民族は特定されていない。
20世紀以降には『神々の戦車』(邦題『未来への記憶』)で知られる古代宇宙飛行士説の主唱者の一人であるエーリッヒ・フォン・デニケンが、この遺跡は空飛ぶ円盤の発着施設跡であると主張した。
彼によると、遺跡の頂上の岩に刻まれた、傾斜の付いた平行な溝で描かれた円が、その証拠なのだというが、その説は特に検討されていない。
観光客が歩き回ることで岩に刻まれたシンボル群に損傷が見られることから、内部はこれ以上の損傷を避けるために閉鎖されている。
しかし、そのほとんどはまだ見学可能である。
遺跡へのアクセスは容易で、サマイパタの町から連絡バスが何台も出ている。
なお、少額の入場料が徴収されている。
住所:ボリビア Bolivia, サマイパタの砦 [地図]
360°写真(サマイパタの砦)
登録年: 1998年
登録区分: 文化遺産
行き方:日本からボリビアへは、直行便はありません。
まず日本からアメリカの主要都市へ乗り継ぎ、ポリビアの第2都市サンタクルスへ行きます。
サンタクルスからサマイパタの砦へは、乗合タクシーが便利。
タクシーは、人数が揃うと出発します。
サンタクルス市内からサマイパタ村までは、片道約3時間30分。
サマイパタの砦は、サマイパタの村から約9km離れた丘陵にあり、徒歩でも行くことが可能ですが、山道を登らないといけないのでタクシーをおすすめします。
外務省海外安全ホームページでは危険情報はありません。(2024年3月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:ボリビアの世界文化遺産!インカ文明の謎に包まれたサマイパタの砦
サマイパタの砦に行って下さい。 Dirígete al fuerte de Samaipata.
サマイパタの砦はどこですか? ¿Dónde está el fuerte de Samaipata?