PCR検査できる病院の検索サイト

2023年9月5日掲載

ハロン湾

ハロン湾

1.フエの建造物群  di tích Huế

フエ市は、ベトナム中部の都市で、トゥアティエン=フエ省の省都である。

19世紀から20世紀にかけて存在していた阮朝の都に定められていた。

一部の歴史的建造物がユネスコの世界遺産(文化遺産)に、また宮廷芸能であるニャーニャック(雅楽)が無形文化遺産に登録されている。

紀元前111年に前漢によって設置された日南郡の首府は、現在のフエ近郊に位置すると推定されている

2世紀末に建国された林邑の都カンダプルプラもフエ付近に存在したと推定されている

林邑時代のフエはインドシナ半島内陸部の物品を中国に出荷する積出港として機能していた

漢文史料に現れるチャンパの地名「烏麗」「烏里」はフエに比定され、烏里には多くのチャム族が住んでいた

制氏、潘氏といった烏里のチャム貴族は土里人と呼ばれ、フエがキン族化された後も北部からの流民らを荘園に取り込むなどして、名門の地位を保ち続けた

1307年に陳朝大越とチャンパの間に結ばれた協定によって、烏里は大越に割譲されて化州と改称された。

1401年から1402年にかけて、胡朝は北部・紅河デルタ地帯の流民を化州に移住させた

1407年に胡朝を滅ぼした明が安南を支配下に置いた後、陳朝皇族の生き残りは陳朝に忠誠を誓う土里人土豪に依拠して、1413年まで明に抵抗を続けた

1558年の阮潢(グエン・ホアン)の入城までに土里人を含むフエ住民のキン族化はほぼ完了していた

15世紀末までのフエは大越とチャンパの国境に位置する都市に過ぎなかったが、16世紀から始まる南北抗争時代にフエは広南阮氏の本拠地とされ、1636年に富春(フースアン)都城が完成する。

広南阮氏の時代の富春は南シナ海貿易の中心地として繁栄していた

西山党の乱の時代、1774年に鄭氏、1786年に西山朝の阮恵(阮文恵)が富春を占領した。

富春を本拠地とした阮恵は北平王を称し、広平から海雲峠に至る地域を支配した

1801年に阮朝の創始者である嘉隆帝(ザーロン帝、在位:1802年 – 1819年)は富春を制圧し、阮朝の都に定めた。

嘉隆帝はヴォーバン様式に基づいた星型の城郭を持つ皇城の建設を計画し嘉定に置かれていた太和殿が1805年に順化に移されて皇宮の建設が開始された

阮朝時代の順化は、中国の影響を受けたキン族文化にチャム文化を取り入れて発展していった

第4代皇帝嗣徳帝(トゥドゥク帝、在位:1847年 – 1883年)は広南阮氏の正史『大南寔録』正編を編纂させたことで知られるが、建築事業も大々的に行い、現存する市内の王宮及び郊外の帝陵は嗣徳年間に整備された。

1883年に順化はフランスによって占領され、この地で条約が締結された。

第二次フエ条約(パトノートル条約)によって大南がフランスの保護国とされた後も、阮朝の皇帝は第二次世界大戦末期まで順化の宮殿に住み続けた

1945年8月24日に皇帝保大帝(バオダイ帝、在位:1925年 – 1945年)は退位を宣言して順化を去り、阮朝は滅亡した(ベトナム八月革命)。

1963年、民主化・伝統的仏教への弾圧を行うゴ・ディン・ジエム政権に抗議してティエンムー寺のティック・クアン・ドック、トゥーダム寺のティック・ティウ・ディウらの僧侶が焼身自殺を行った

1968年のテト攻勢では1月31日から2月24日にかけてフエで戦闘が展開され、街は多大な被害を被った

テト包囲戦の中で、およそ2,800人の官吏、警官、教師、学生が南ベトナム解放民族戦線の兵士によって殺害された(フエ虐殺

住所:FH9H+9CP, Phú Hậu, Tp. Huế, Thừa Thiên Huế, ベトナム [地図]

登録年: 1993年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:00~17:00

行き方:日本からフエ行きの直行便はないため、ベトナムの主要都市を経由して向かいます。

飛行機を乗り継ぐ場合は、ハノイもしくはホーチミンを経由するのが便利で一番早く到着します。

また、バスや鉄道も走っており、どちらもハノイから13時間ほどで到着します。

参考URL:ベトナムの世界遺産フエの建造物群!ベトナム最後の王朝があった都を知る旅

参考URL:アジア旅行地ガイド「フエ」

阮朝王宮まで行って下さい。 Đến Hoàng cung triều Nguyễn.

阮朝王宮はどこですか? Hoàng cung triều Nguyễn ở đâu?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2.ハロン湾  Vịnh Hạ Long

ハロン湾は、ベトナム北部、トンキン湾北西部にある湾。

漢字表記は下龍湾。

クアンニン省のハロン市の南に位置し、カットバー島のほか、石灰岩のカルスト地形からなる大小3,000もの奇岩、島々が存在する。

伝承では、中国がベトナムに侵攻してきた時、竜の親子が現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になったと伝えられている。

カットバー島以外の島々は現在は無人だが、約7,000年前の新石器時代にはわずかに人が住んでいた。

また、数世紀前までは海賊の隠れ家として利用され、モンゴル帝国のベトナム侵攻の際には軍事的に利用された。

彫刻作品のような島々の景観は、太陽の位置によって輝きが変化し、雨や霧によってまた趣のある雰囲気を醸し出す。

地質学的には北は桂林(中国広西チワン族自治区)から、南はニンビンまでの広大な石灰岩台地の一角である。

石灰岩台地が沈降し、侵食作用が進んで、現在の姿となった。

また、島々の生物相も豊富で、カットバー島には固有種のカットバラングールが住んでいるほか、絶滅の危機に瀕しているタイマイ、タツノオトシゴなども生息している

一帯は湿潤熱帯モンスーン気候で、雨季と乾季がはっきりと分かれている。

ベトナムの海岸を襲う台風の28%がこの地域に現れるなど、台風の頻度も高い

住所:Tuần Châu, Thành phố Hạ Long, Quảng Ninh, ベトナム [地図]

登録年: 1994年
登録区分: 自然遺産

行き方: ハノイ・ノイバイ国際空港に到着後、ハノイ市街地のミーディングバスターミナルを目指しましょう。

タクシーに乗る際の注意点は、トラブルを避けるため必ず空港のタクシー乗り場に並んでいる正規のタクシーに乗車すること。

また、乗車したらメーターを作動させたか確認することも大切です。

ハノイ市街地からハロン湾は150kmほど離れています。

ミーディングバスターミナルからは、ハロン湾方面行きのバスが多く出ているので、チケット売り場でバイチャイバスターミナル行きのチケットを購入し、いざバスに乗り込みましょう。

バイチャイバスターミナルに到着したら、そこからまたバスを乗り継ぐか、タクシーを利用してトゥアンチャウ島の舟置き場に移動し、そこから船に乗ってハロン湾へ向かいます。

このように、乗り継ぎも多くハロン湾への道のりはなかなか大変なものになってきます。

所要時間も4時間程度と長時間の移動で疲れてしまうので、できれば送迎や観光ガイドなどがセットになったツアーの利用をおすすめします。

ツアー利用の方が効率的ですし、料金も安く済みます。

また当地の言語に不安のある方や日本語での解説を求めるのであれば、事前に日本の旅行代理店から申し込んでおくと良いでしょう。

参考URL:奇岩が生み出す不思議な風景!ベトナムが誇る自然世界遺産ハロン湾

参考URL:アジア旅行地ガイド「ハノイ近郊の観光(ハロン湾・古都ホアルー・タムコック他)」

トゥアンチャウ島の舟置き場まで行って下さい。 Hãy đến bến thuyền trên đảo Tuần Châu.

トゥアンチャウ島の舟置き場はどこですか? Bến du thuyền trên đảo Tuần Châu ở đâu?

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』