2024年9月8日更新
1.イチャン・カラ Ichan Kara
イチャン・カラとは、中央アジア、西アジアの都市に見られる市街地の形態である。
城壁に囲われた市街地で、日本語に直訳すると「内城」となる。
城壁の外に発展した郊外の区域は「デシャン・カラ(ディシャン・カラ、外城)」と呼ばれる。
1990年にユネスコの世界遺産に登録されたウズベキスタン共和国のヒヴァの旧市街地が特に有名であり、この項目では、ヒヴァのイチャン・カラについて記述する。
中央アジアと西アジアの各都市に存在する内城のうち、無傷の状態で保たれているのはヒヴァのイチャン・カラのみであり、封建的・イスラーム的都市国家を知る上で一級の資料となっている。
イチャン・カラは東西約450m、南北約650mに広がり、やや東に傾いた長方形をしている。
城壁の高さは7-8m、基部の厚さは5-6m、全長2.2km、面積は26ヘクタールに及び、周囲を外壁のデシャン・カラに守られている。
かつてヒヴァには城壁に死者を埋葬する旧習があり、埋葬された人骨の一部は城壁の表面に露出している。
イチャン・カラの建築物は大きくアルク(城郭)、マドラサ(神学校)、モスク(寺院)、マスジッド(霊廟)に大別される。
20のモスク(寺院)と20のマドラサ(神学校)と6基のミナレットなど、50以上の歴史的建造物と250以上の古い住居が残る。
ヒヴァの町の始まりとなったという伝承が残されているヘイワクの泉は、パフラヴァン・マフムード廟の中庭に存在する。
1740年にイランのナーディル・シャーの攻撃によってイチャン・カラの建造物の多くが破壊されたが、これらの建築物はおよそ18世紀から19世紀にかけて再建された。
1969年にイチャン・カラ全体が、博物館都市に指定される。
1983年に大規模な旧市街地の改修工事が実施され、歴史記念物地区の建物は保存・改修され、老朽化が進んだ一部の建物が取り壊された。
周辺の居住区では古い家屋の撤去と建て替えが行われ、街区の様相は大きく変化した。
現在は約3,000名の人口を有し、日本人も1名居住している。
住所:А, Болтаева-41, Xiva 220900 ウズベキスタン [地図]
360°写真
登録年: 1990年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:00~22:00
電話番号:+998 62 377 63 40
ウェブサイト:
行き方:首都タシケントからイチャン・カラのあるヒヴァまでは約1000キロメートルあるので、移動手段は飛行機がおすすめです。
タシケント空港からウルゲンチ空港まで約2時間のフライトで到着。
ウルゲンチ空港からヒヴァまではバスかタクシーで約45分です。
また、夜行列車を利用することもできます。
タシケント駅からウルゲンチ駅まで約18時間。
ウルゲンチ駅からヒヴァまではバスかタクシーで約30分です。
但し、外務省海外安全ホームページでは十分注意地域となっています。(2023年9月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:中世イスラムの世界へタイムスリップ!世界遺産イチャン・カラ
参考URL:アジア旅行地ガイド「ヒヴァ」
ヒヴァまで行って下さい。Iltimos, Xivaga boring.
ヒヴァはどこですか?Xiva qayerda?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2.ブハラ歴史地区 Buxoro tarixiy markaz
ブハラは、ウズベキスタンの都市で、ブハラ州の州都。
ザラフシャン川下流域に古代より栄えたオアシス都市で、1993年には、旧市街地がユネスコの世界遺産に登録されている。
人口は約28万人(2020年)。
都市名は、ソグド語では、pwγ’r/puχār と呼ばれていたようで、イスラーム時代以降、アミール国期までこの地域の伝統的な書写言語であった近世ペルシア語・チャガタイ語ではبُخارا (Bukhārā; ブハーラー)と表記される。
諸外国語による表記ではBukharaあるいはBokharaとされることが多く、古くは日本語でもボハラと書かれることがあった。
「ブハーラー」とは元来サンスクリット語で「僧院」を意味する Vihāra ないし Vihāraḥ に由来すると考えられている。
古代からサマルカンドと並ぶいわゆるソグディアナの中心都市であり、イスラーム時代以降、特にサーマーン朝の首都となってからもイラン・中央アジアにおける最も重要な都市のひとつであった。
また近代でも20世紀の初頭までブハラ・アミール国(ブハラ・ハン国)の首都が置かれ、西トルキスタンにおける政治・文化の中心都市であった。
特にサーマーン朝にはじまる近世ペルシア語文学の発信源としてこの都市が残した足跡は大きい。
また、シャイバーニー朝やジャーン朝においてはブハラの宮廷でペルシア語に加え、チャガタイ語文芸運動を隆盛させその中心都市としても発展した。
このような歴史背景から、現在は住民の大多数が民族籍上ウズベク人とされているものの、住民の間ではペルシア語系のタジク語が広く話され、タジク人としてのアイデンティティを有する者も数多く存在する複雑な民族構成をもつ。
住所:9 Khakikat Str., Buxoro, ウズベキスタン [地図]
360°写真(カラーン・ミナレット)
登録年: 1993年
登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業
行き方:ブハラへは首都タシケントからのアクセスが一般的です。
主な移動手段は飛行機かバス。
飛行機はタシケント空港からブハラ空港まで約1時間30分です。
空港から車で約10分でブハラ歴史地区へ到着します。
列車はタシケント駅からブハラ駅まで夜行列車で約10時間、高速列車「シャクール号」で約7時間、「アフロシヨブ号」で約3時間半です。
ブハラ駅からブハラ歴史地区へは車で約20分で到着します。
また、サマルカンドからもアクセス可能です。
タクシー、バス、列車を利用すると約4時間で到着します。
但し、外務省海外安全ホームページでは十分注意地域となっています。(2023年9月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:中世の古い街並みが残っているウズベキスダンのブハラ歴史地区!
参考URL:アジア旅行地ガイド「ブハラ」
ブハラ歴史地区まで行って下さい。Buxoroning tarixiy markaziga boring.
ブハラ歴史地区はどこですか?Buxoroning tarixiy markazi qayerda?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
3.シャフリサブス歴史地区 Shahrisabz tarixiy markaz
シャフリサブスは、ウズベキスタンの都市。
シャフリサーブス、シャフリサーブズとも表記する。
カシュカダリヤ州に属する。
サマルカンドの南約80kmに位置する人口約53,000人の町である。
高度はおよそ622mある。
かつては、中央アジアにおける主要都市だった歴史を誇り、今日では、14世紀にトルキスタンを席巻したティムールが誕生した場所として知られる。
町の名前は、ペルシア語: شهر سبز, シャフレ・サブズ(緑の町の意)に由来する。
語源については諸説存在するが、街を中心に広がるオアシスが緑にあふれていた様子に由来する説が有力である。
2000年に、15世紀のティムール朝時代に建築された建物の現存する地区がユネスコの世界遺産に登録された。
住所:39°03’00.0″N 66°49’60.0″E, O‘zbekiston ko‘chasi, Qarshi, ウズベキスタン [地図]
360°写真(アク・サライ宮)
登録年: 2000年
登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業
行き方:シャフリサブス歴史地区はサマルカンドから車でのアクセスになります。
サマルカンドからはブハラ歴史地区も訪れるツアーが出ているので、ツアーに参加するのもおすすめです。
バスでの移動も可能ですが、途中のキターブという街で乗り換える必要があります。
いずれも所要時間は2時間から2時間半ほどです。
移動途中は標高2000メートル級の峠を越えるため、素晴らしい眺望を楽しむことができます。
但し、外務省海外安全ホームページでは十分注意地域となっています。(2023年9月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:ウズベキスタンの英雄・ティムールの故郷!サフリシャブス歴史地区
シャフリサブス歴史地区まで行って下さい。Shahrisabz tarixiy markaziga boring.
シャフリサブス歴史地区はどこですか?Shahrisabz tarixiy markazi qayerda?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
4.サマルカンド-文化交差路 Samarqand – Madaniy chorraha
サマルカンドは、中央アジア、ウズベキスタンにあるシルクロードのオアシス古都。
アムダリヤ川の支流であるザラフシャン川河岸にあり、機械・化学・綿花・絹・皮革関係の工業が行われる。人口約55万人(2021年)。
ウズベキスタンの初代大統領イスラム・カリモフはこの町の出身。
ステップ気候から地中海性気候への移行部特有の抜けるような青空とモスクのラピスラズリ色から「青の都」と呼ばれる。
14世紀末から15世紀にかけてはティムール朝の首都として繁栄。
市街地の内部にはティムールの墓廟であるグーリ・アミール廟やビビ・ハヌム・モスクなどが、アフラシヤブにはシャーヒ・ズィンダ廟群が築かれ、郊外にはティムール朝の王族やアミール、廷臣らが大小さまざまな庭園や牧場、宿営地などを設けられた。
西域番国志によると、15世紀初頭、明の永楽帝の命を受けた陳誠が、陸路でこの地(「撒馬児罕」と記録されている)を訪れている。
ティムールの孫ウルグ・ベクの時代に天文台が築かれて、その当時の建物を含めて文化交差点としてユネスコの世界遺産(文化遺産)になっている。
住所:Registon ko’chasi, Samarqand, ウズベキスタン [地図]
360°写真(レギスタン広場)
登録年: 2001年
登録区分: 文化遺産
営業時間:068:00~23:00
電話番号:+998 66 235 38 26
ウェブサイト:
行き方:サマルカンドへは首都タシケントからのアクセスが便利です。
タシケントからは飛行機や列車、バスでの移動になります。
飛行機ではタシケント空港からサマルカンド空港までウズベキスタン航空の国内線で約50分。
列車ではタシケント駅からサマルカンド駅まで特急列車「アフラシャブ号」で約2時間半、バスで約5時間。
いずれの交通手段でも乗り換えは不要。
観光客の間では電車での移動が人気です。
但し、外務省海外安全ホームページでは十分注意地域となっています。(2023年9月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:目に焼き付けたいブルーの世界がここに!サマルカンド-文化交差路
参考URL:アジア旅行地ガイド「サマルカンド」
レギスタン広場まで行って下さい。Registon maydoniga boring.
レギスタン広場はどこですか?Registon maydoni qayerda?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
5.西天山 G’arbiy Tenzan
西天山(にしてんざん、にしティエンシャン)は、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスの3か国に共有されているUNESCOの世界遺産リスト登録物件である。
天山山脈西部の複数の自然保護区を内包し、生物多様性についての顕著な普遍的価値を認められて登録された。
中華人民共和国(中国)から中央アジア諸国にまたがる天山山脈では、その中国領内の自然が「新疆天山」として、2013年の第37回世界遺産委員会で登録されていた。
その決議に際し、世界遺産委員会は拡大登録への期待を付帯決議に盛り込んでいた。
ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスの3か国による西天山の推薦は新疆天山の拡大登録ではないが、関連性はあるものと認識されている。
住所:H276+8VF, Chimgon, ウズベキスタン [地図]
360°写真(チムガン)
登録年: 2016年
登録区分: 自然遺産
電話番号:+998 99 888 17 66
行き方:タ シ ケ ント郊 外、 標 高1,650mに位置する高原リゾートとして注目されているチムガン。
スキーリフトで2,100mまで 登ると、 背 後に迫るチャトカル山やグレーター・チムガン山(3,309 m)などの景観を大パノラマで眺めることができます。
天山の山並みと共にチューリップ・カウフマニアなど原種のチューリップを探しながらのフラワーウォッチングが楽しめる。
但し、外務省海外安全ホームページでは十分注意地域となっています。(2023年9月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:魅惑的な青の世界へようこそ!ウズベキスタン5つの世界遺産
チムガンまで行って下さい。Iltimos, Chimyonga boring.
チムガンはどこですか?Chimyon qayerda?