2023年7月13日掲載
1.レブカの歴史的港町 The historic port city of Levuka
レブカの歴史的港町は、フィジー、オバラウ島の港町レブカの沿岸部に残る歴史地区を対象とする国際連合教育科学文化機関 (UNESCO) の世界遺産リスト登録物件である。
コロニアル建築が見られる街並みは、オセアニアとヨーロッパの文化交流や植民都市の歴史を伝えている。
最初のフィジーの世界遺産であるとともに、街並みとして世界遺産となったのはオセアニアで初である。
レブカ歴史地区の発展は4期に分けることができる。
第1期は、ベシュ=ド=メール交易の拠点として発達し始めた1820年代から1850年までを指す。
もともと存在していたヴィトガ村 (Vitoga) の遺跡などが、この時期の様子を伝えている。
第2期は1850年から1874年で、当時フィジーにあった王国のひとつの王となったザコンバウがレブカを拠点としていた。
この時期にはヨーロッパ人の入植者も増え、メソジストの教会など、キリスト教関連の建造物も建てられた。
第3期は1874年から始まる。1871年にイギリスからフィジー王に認められたザコンバウは、1874年にフィジーをイギリスの保護領とすることに同意した。
実質的な植民地となったフィジーで最初の首都となったのがレブカであった。
この時期がレブカの最盛期に当たるが、沿岸部に細長く展開する一方、後背地がすぐ山になっている地形的制約によって、1882年にはビチレブ島のスバに遷都された。
第3期はこの1874年から1882年のわずか8年ほどの期間を指す。しかし、短期間で遷都されたことは、オセアニアに多く残る港町、ことにサモアの首都アピアと異なる特色をレブカにもたらした。
アピアとレブカは植民地時代に首都だったことがある港町で、オセアニアの他の港町とは一線を画するが、アピアは今もなお首都であるがゆえに、かつての発展段階を伝える建造物群が十分には残っていない。
これに対し、短期間だけ首都となった後にゆるやかに衰退したレブカには、それぞれの時期を伝える建造物群が良好に残る。これは世界遺産登録にあたっても評価された点である。
第4期は首都でなくなった後の1882年から1930年代である。1895年のサイクロンはレブカに甚大な被害をもたらしており、この時期の建造物群には、そのときに再建されたものを含んでいる。
住所:8R8M+WPM, Levuka, フィジー [地図]
360°写真(フィジー・ミュージアム)
登録年: 2013年
登録区分: 文化遺産
行き方: 日本からフィジーまでの直行便はありません。
パプアニューギニアや香港、韓国、オーストラリアなどを経由し、フィジーのナンディ国際空港まで行きます。
所要時間は15時間ほどです。
次にナンディ国際空港から首都スバまでバスで移動します。
空港とスバの間は200kmほどあり、車でも3~5時間かかります。
さらに、スバでバスを乗り換えて、北のナトビという街まで2時間ほど。
ここからフェリーでレブカまで1~2時間です。
スバでは、レブカまでのフェリーとバスがセットになったチケットが販売されています。
少しわかりづらいのですが、フィジーの人はとっても親切!迷ってしまったら迷わず周りの人に聞きましょう。
参考URL:太平洋の楽園!フィジー共和国唯一の世界遺産「レブカの歴史的港町」
レブカに行って下さい。 Please go to Levuka.
レブカはどこですか? Where is levuka?