2024年7月12日掲載
6.スース旧市街 مدينة سوسة القديمة
スース(フランス語: Sousse)またはスーサ (アラビア語: سوسة Sūsa、フランス語: Soussa)はチュニジアの都市。
チュニスの南約140kmに位置するチュニジア第三の都市で、人口は約43万人。
スース県の県都である。
町は美しく、「サヘルの真珠」といわれる。
旧市街(アラビア語でメディナ)はユネスコ世界遺産に登録されている。
紀元前9世紀頃にフェニキア人によって「ハドルメントゥム(Hadrumentum)」として開かれた。
古代ローマと同盟を結びんでいたため、ポエニ戦争中も含めパックス・ロマーナの700年の間比較的平和で、大きな被害を免れた。
ティトゥス・リウィウスは彼の著作「ローマ建国史」の中で、大スキピオがアフリカに上陸する地として選んだのはハドルメントゥムだったとしている。
ローマ時代の後、ヴァンダル族、その後東ローマ帝国がこの町を占拠し、町の名を「ユスティニアノポリス(Justinianopolis)」と改名した。
7世紀にはアラブ人のイスラム教軍が現在のチュニジアを征服し、「スーサ(Sūsa)」と改名。
その後すぐアグラブ朝の主要港となった。
827年にアグラブ朝がシチリアに侵攻した際、スーサは主要基地となった。
その後ヨーロッパでは技術革新が進みイスラム教に対して優勢に出始め、12世紀にはノルマン人に征服された時期もあり、その後スペインに征服された。
18世紀にはヴェネツィア共和国とフランスに征服され、町の名をフランス風に「スース(Sousse)」と改名した。
その後もアラブ風の町並みは残り、現在ではアラブ人による典型的な海岸の城砦都市として観光客が多く訪れる。
2015年6月26日、海岸沿いの観光ホテルで乱射事件が発生し、37人が殺害された。
その後ISISが犯行声明を出した。
住所:RJHQ+3G7, Sousse, チュニジア [地図]
360°写真(Ribat)
登録年: 1988年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:00~17:00
行き方:スースはチュニジアの首都チュニスの南約140kmのところに位置しています。
チュニスからスースへは、鉄道で行くのが一般的。
世界遺産の旧市街は、スースの駅から歩いてすぐです。
また、スースの南東郊外のモナスティル・ハビーブ・ブルギーバ国際空港を利用する方法もあります。
ただし、ヨーロッパとの間にしか便がなく、首都チュニスからの定期便もないので注意が必要です。
モナスティル空港とスースの間には鉄道が通じています。
外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年5月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:「サヘルの真珠」と呼ばれるチュニジアの世界遺産!スース旧市街
スース旧市街まで行って下さい。 الذهاب إلى مدينة سوسة القديمة.
スース旧市街はどこですか? أين تقع مدينة سوسة القديمة؟
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
7. ケルアン القيروان
ケルアン(アルファベット表記Kairouan, Kairwan, Kayrawan, Al Qayrawan、アラビア語表記では القيروان)はチュニジアの都市で、首都チュニスの南160キロメートルにある。
2003年時点で、15万人が暮らす。
ケルアンは670年頃に建設が始まり、名前は「キャンプ」「キャラバン」「休憩場所」を意味するアラビア語のkairuwân、ペルシア語でのKâravânに由来する。
ケルアン県の県都である。
ケルーアン、カイルーアン、カイルアン、カイロワン、カイラワーンとも表記される。
Kwesi Prah教授による“Towards A Strategic Geopolitic Vision of Afro-Arab Relations” という題の論文では「アラブは670年にはチュニジアを手にし、675年にはケルアンの建設を完了させた。
この都市は北アフリカにおける第一のアラブ拠点になることになる。
中世には、ケルアンはマグリブ地方のイスラームの中心地としての重要性から、イスラム世界でマッカ、マディーナに次ぐ第3の聖都となった。」と述べられている。
ケルアンのスーク(市場)は大変有名である。
壁に囲まれたメディナ(旧市街)の中にあり、その入り口の門は遠くからでも目にできる。
ここで売られている商品には絨毯、壺、革製品がある。
主要なチュニジア都市の商人と同様、ケルアンの商人も収入の多くを観光に頼っている。
この街のもう一つの見所はグランド・モスクで、その大部分は元々の建築材でできていると言われている。
実際、他の部分は地方で作られたものであるが、列柱のほとんどは初期の建築物の遺跡から取ってきたものである。
住所:M4J3+GMV, Rue De La Kasbah, Kairouan, チュニジア [地図]
360°写真(ウクバのモスク)
登録年: 1988年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:00~14:00
電話番号:+216 76 489 133
行き方:北アフリカにおけるイスラムの発祥地である古都ケルアンは、チュニジアの首都であるチュニスから車で約1時間半の場所にあります。
ここはメッカ、メディナ、エルサレムについで4番目に重要なイスラムの聖地として知られています。
外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年5月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:チュニジア・ケルアン
ケルアンまで行って下さい。 من فضلك اذهب إلى القيروان.
ケルアンはどこですか? أين تقع القيروان؟
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
8. ドゥッガ/トゥッガ دقة / توجا
ドゥッガまたはトゥッガは、チュニジア北部にあるローマ時代の遺跡である。
65ヘクタールの広さを持つ。
もともと、ドゥッガは城壁に囲まれたベルベル人の村であり、トゥッガは「牧場」を意味していた。
その後、紀元前2世紀にヌミディア王マシニッサがこの地を所在地とした。
ローマ人は紀元前2世紀後半にこの街を占領した。
ドゥッガは東ローマ帝国の支配地となった後、ヴァンダル人に占有された。
ドゥッガには印象的なローマの遺跡が残っており、1997年にユネスコの世界遺産に登録された。
住所:C6F9+5PH, Dougga, Délégation de, Teboursouk, チュニジア [地図]
360°写真(劇場)
登録年: 1997年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:30~17:30
電話番号:+33 1 45 68 43 78
行き方:世界遺産ドゥッガは、チュニジアの首都チュニス南西の町トゥブルースクの郊外にあります。
トゥブルスークへは、チュニスの北バスステーションからバスが出ています。
トゥブルスークからは、バス停近くの広場から、ルアージュと呼ばれる乗り合いタクシーを利用すると良いでしょう。
トゥブルスークでルアージュを探すときは、広場で「ドゥッガに行きたい」と声をかけると、その方面のルアージュを教えてくれます。
ルアージュは白の車体に赤の線が入ったワンボックスカーで、最大8人乗り。
人数が集まると出発するので、場合によってはしばらく待つことになります。
時間には余裕をもちましょう。
また、トゥブルスークの先のヌーヴェル・ドゥッガまでバスで行き、そこから2kmほど歩いて行くこともできます。
ただし、バスの本数は1時間に1本程度と少ないので、帰りに便の時刻には気を付けてください。
チュニスから日帰りのツアーも出ているので、これに参加するのもおすすめです。
外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年5月現在)
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参考URL:丘の上のローマ遺跡!モザイクの美しいチュニジアの世界遺産ドゥッガ
ドゥッガまで行って下さい。 من فضلك اذهب إلى دقة.
ドゥッガはどこですか? أين دوجا؟
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
9.
جربة: موقع تراثي ينقل نمط الاستيطان في الجزرジェルバ島(アラビア語: جزيرة جربة、Djerba)は、チュニジアの島。
チュニジア南部、ガベス湾内にある北アフリカでもっとも大きな島で、リビアとの国境に近くに浮かぶ。
人口12万人。
中心都市はフーム・スーク(フーミット・エル=スーク)である。
オデュッセウスが上陸した島であるとされる。
紀元前587年頃からカルタゴ人が数度来訪した。
エルサレム神殿破壊後、多くのユダヤ人が島へ避難してきた。
ローマ人が島に都市と商業港を数カ所建設し、農業を発展させた。
キリスト教徒、ヴァンダル族、東ローマ帝国、アラブ人に次々と征服されたジェルバ島は、1960年代以降は人気のある観光地となった。
ジェルバ島はイスラエル建国以後、チュニジア国内で最大のユダヤ教徒コミュニティとなっている。
また、チュニジア国内でも数少ない、ベルベル語が話される地域でもある。
島はガベス湾の南東部に位置し、南東部と南西部の2ヶ所は本土に近接するため、南側はブグララ湾という支湾となる。
島はオオフラミンゴ、ヘラサギ、シロチドリ、イシチドリなどの渡り鳥の生息地であり、南東部のローマ時代遺跡のメニンクス周辺、南西部のアジム周辺および北部のラス・ルマルという砂嘴周辺はラムサール条約登録地である。
本土とは島南西部との間をフェリーが往復し、所要時間は約15分である。
島の南東端は本土と7kmほどしか離れておらず、古代ローマ時代には本土とつながっていた。
現在は島南東のエル・カンタラと本土との間に橋が架かっている。
この水がほとんどない島には9世紀頃の入植者による開発の痕跡があり、低密度の集落と複雑な道路網により、生活様式を過酷な自然環境に適応させた独特な入植形態が見られる。
2023年に国際連合教育科学文化機関 (UNESCO) の世界遺産リストに登録された。チュニジアの世界遺産の新規登録はドゥッガ/トゥッガ(1997年登録)以来となる。
住所:チュニジア [地図]
360°写真(Sidi Jemour Mosque)
登録年: 2023年
登録区分: 文化遺産
行き方:ガベスから島へ、ルアージュやバスで2.5時間。
ローマ時代の道で行く陸路と、フェリー船で15分渡るルートがあります。
マトマタからも行けそう。
外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年5月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:2024年チュニジア世界遺産全9件と候補一覧/行き方と地図/動画・写真・評価
ジェルバ島まで行って下さい。 من فضلك اذهب إلى جزيرة جربة.
ジェルバ島はどこですか? أين تقع جزيرة جربة؟