2024年11月08日更新
5. 大地溝帯にあるケニアの湖沼群 Kenya’s Great Rift Valley Lakes
大地溝帯にあるケニアの湖沼群(だいちこうたいにあるケニアのこしょうぐん)は、ケニアのリフトバレー州にあるエルメンテイタ湖、ナクル湖、ボゴリア湖を対象とするユネスコの世界遺産リスト登録資産である。
大地溝帯にあり、地下でつながる3つの湖とその周辺は、地形や植生が織りなす傑出した自然美と、コフラミンゴなど13種の絶滅危惧種や準絶滅危惧を含む多くの鳥類の生息地となっていることなどが評価されている。
ナクル湖国立公園とボゴリア湖国立保護区が、それぞれ別に1999年に世界遺産の暫定リストに記載された。
2001年にはさらに別に「大地溝帯の生態系」(Great Rift Valley Ecosystem) が暫定リストに記載されていた。
3つの湖は「大地溝帯の湖群保護区」(Rift Valley Lakes Reserve) という名称で2001年に推薦されたが、そのときには、エルメンテイタ湖の法的保護体制の不明確さなどを理由に、「登録延期」と決まった。
前述のように、2010年までにはエルメンテイタ湖にも保護区が設定され、その年に再推薦された。
それに対して、世界遺産委員会の諮問機関である国際自然保護連合(IUCN) が「登録」を勧告し、2011年の第35回世界遺産委員会で正式登録が決まった。
住所:Nakuru, ケニア [地図]
360°写真(レイク・ナクル国立公園)
登録年: 2011年
登録区分: 自然遺産
営業時間:06:00~18:00
電話番号:+254 728 355267
ウェブサイト:
行き方:ナイロビからナクル湖まで移動するには、バスまたは自動車を利用した2つの方法があります。
外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年6月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:ナイロビからナクル湖へ
ナクル湖に行って下さい。 Go to Lake Nakuru.
ナクル湖はどこですか? Where is Lake Nakuru?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
6. モンバサのジーザス要塞 Jesus Fort in Mombasa
ジーザス要塞(英語:Fort Jesus)は、ケニア・モンバサにある要塞である。1593年、スペイン王・フェリペ2世の命令によって建設された。
2011年、UNESCOの世界遺産に登録された。
モンバサは現在のケニア東部の都市で、インド洋に面する港町である。
東アフリカでは最古級の港町であり、1331年にはイブン・バットゥータが訪問したことでも知られる。
東アフリカの交通の要衝であり、アジアやアラビア、東アフリカ各地から物産が集散した。
それゆえに、インド洋の支配を目指したポルトガルはモンバサの支配を計画した。
1500年からの第一次攻撃、1528年からの第二次攻撃、1589年からの第三次攻撃でついに、モンバサはポルトガル(当時はスペイン・ポルトガル同君連合)の手に落ちた。
1593年よりフェリペ2世の命令により、イタリア人のジョヴァンニ・バティスタ・カイラティ(Giovanni Battista Cairati)の指導のもと、ジーザス要塞の建設が開始された。
要塞の形は、「神の完全なる創造物である」人間の形を模したものであり、ルネサンスの時代背景がこの要塞に残っている。
もっとも、ポルトガル海上帝国の覇権は17世紀に入ると、イギリス、オランダといった西ヨーロッパ勢およびオマーン帝国の挑戦を受けることとなり、1678年には、ポルトガルの北東アフリカにおける唯一の拠点となってしまった。
1698年12月には、33ヵ月にわたるジーザス要塞包囲戦の末、ついにポルトガルがジーザス要塞の放棄を決定し、オマーンが支配することとなった。
その後、ポルトガルが1728年に一度のみジーザス要塞を奪還することに成功したが、ポルトガルの奪還は18ヶ月で終わり、再度オマーンが保有することとなった。
オマーンの支配は、イギリスの植民地化が完成する1885年まで続いた。
イギリス統治下のジーザス要塞の用途は牢獄であり、1958年の国立公園化まで継続した。
住所:Fort Jesus, Nkurumah Rd, Mombasa, ケニア [地図]
360°写真(Fort Jesus Museum)
登録年: 2011年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:00~17:30
電話番号:+254 726 520759
ウェブサイト:
行き方:モンバサのジーザス要塞は、ケニアの南東部でインド洋に面した都市モンバサに位置している世界遺産です。
ケニアの首都ナイロビからの距離は約500㎞と離れた場所ですが、ケニア鉄道がナイロビを経由してウガンダのカンパラまで通じていたり、高速道路がナイロビやタンザニアのダルエスサラームまで通じていることもあり、そこまでアクセスに不便が感じません。
またモンバサにはモイ国際空港がありますので、飛行機で向かうのもおすすめです。
ナイロビにあるジョモ・ケニヤッタ国際空港からは約45分で移動できます。
なおモンバサのジーザス要塞へは、電車でモンバサ・トレイン駅まで向かうか、バスでKanisani停留所まで向かってから徒歩もしくはタクシーで訪れることが可能です。
外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年6月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:美しい風景とデザインを楽しむケニアの世界遺産、モンバサのジーザス要塞
ジーザス要塞に行って下さい。 Go to Jesus Fort.
ジーザス要塞はどこですか? Where is Jesus Fort?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
7. ティムリカ・オヒンガ考古遺跡 Timurika Ohinga Archaeological Site
ティムリカ・オヒンガ(Thimlich Ohinga)は、東アフリカ・ケニアのニャンザ州ミゴリ郡にある石造りの遺跡群を示す。
ケニアのビクトリア湖地域周辺に建設された521の石造りの建造物を含む138か所の中で最大のものである。
これらの遺跡は高度に密集化している。
ティムリカ・オヒンガの主な囲いには、厚さ1〜3m、高さ1〜4.2mの壁がある。
構造物は、モルタルなしで所定の位置に設置された無処理のブロック、岩、石などから構築されている。
密集した石が絡み合っており、この遺跡は550年以上前のものと考えられている。
ティムリカ・オヒンガは、ミゴリ郡キスムの南181km、マカルダー鉱山近くのミゴリ町の北西46kmのなだらかな丘の上にある。
それに似ている他の137か所は、カルング、カデム-カンヤムカゴ、グワッシ、カクシンギリ湖岬、カニドト、カニャムワの地域に集中している。
住所:485G+H33, Ouma’s, ケニア [地図]
360°写真(ティムリカ・オヒンガ)
登録年: 2018年
登録区分: 文化遺産
電話番号:+254 710 236164
行き方:日本からナイロビまでは、ヨーロッパ経由で約20時間です。
ナイロビからミゴリまではバスで約9時間、ミゴリの街からティムリカ・オヒンガまでは、ビクトリア湖方面へ車で約1時間30分です。
外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年6月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:ティムリカ・オヒンガの考古遺跡
ティムリカ・オヒンガ考古遺跡に行って下さい。 Visit the Timurika Ohinga archaeological site.
ティムリカ・オヒンガ考古遺跡はどこですか? Where is Timurika Ohinga Archaeological Site?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
8. ゲディの歴史地区と考古遺跡 Historical and archaeological site of Gedi
海岸線から離れた、海岸沿いの残存林に囲まれた廃墟都市ゲディは、10 世紀から 17 世紀にかけて東アフリカ沿岸で最も重要なスワヒリ都市の 1 つでした。
この時代、ゲディはインド洋を横断する複雑で国際的な貿易および文化交流ネットワークの一部であり、アフリカ沿岸の中心地とペルシャおよびその他の地域を結びました。
この豪華な集落は壁で明確に区切られており、住宅、宗教、公共建築の遺跡と洗練された水管理システムが特徴です。
サンゴのぼろ布、サンゴと土のモルタル、木材などの材料を使用して、スワヒリ建築と都市計画の特徴を強く表しています。
住所:Off Watamu Road, Gede, Gede Watamu Rd, ケニア [地図]
360°写真(ジディ・ルインズ)
登録年: 2024年
登録区分: 文化遺産
営業時間:07:00~18:00
ウェブサイト:
行き方:ケニア南部にある都市遺跡。
インド洋岸の港町マリンディの南西約15キロメートルに位置する。
外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2024年9月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:ゲディの旧市街と考古遺跡とは?遺跡の歴史と世界遺産としての価値
ゲディ遺跡に行って下さい。 Go to the Gedi Ruins.
ゲディ遺跡はどこですか? Where is Gedi Ruins?