2024年9月25日掲載
1.ジェンネ旧市街 Vieille ville de Djenné
ジェンネ(フランス語: Djenné)は、マリ共和国モプティ州の都市で、モプティ市からは130km、首都バマコからは574kmのところにある。
ジェンネは遊牧民と定住民の橋渡しとなる都市であり、サハラ交易の要衝となっていた。
商業的に結びついているトンブクトゥからは、川伝いに500km離れており、この二つの都市はかつて「双子の姉妹」と称された。
「ジェンネ」はボゾ語で「水の精霊」の意味である。
2009年の人口は3万2944人。
1988年に世界遺産(文化遺産)登録された。
2016年には保護体制の不備のため危機遺産に登録された。
ジェンネはバニ川(ニジェール川の支流)に浮かぶ88ヘクタールの島に建設された都市で、バニ川沿いの23kmの堤防の周縁に位置している。
バマコとモプティをつなぐ幹線道路に出るには、渡し舟を使う。
ジェンネはサヘル型の気候に属しており、年間降水量は400mmから600mmである。
ジェンネの特徴的な建築物群は、1988年にユネスコの世界遺産に登録された。
もともと「ジェンネ市街」(The City of Djenne / Ville de Djenné) という名称で1979年に申請が行われていたが審議延期となり、1987年に改称の上再申請が行われた。
伝統的な建造物群は泥で出来ており、壁には木の断片「テロン」(terron) が組み込まれている。
建築家アブドゥレ・トゥレ (Abdoulaye Touré) の研究によって、ファサードは、父、母、子といった家族の様々な構成員を表現していることが明らかにされた。
点の数は、子の人数を表している。
住居は一般に2階建てで、トゥクルール様式もしくはモロッコ様式のファサードを備えている。
今日、世界遺産登録によって保護が義務付けられているにもかかわらず、セメント製の住居が増え、古い町並みを変質させつつある。
住所:WC4V+3R8, Djenne, マリ [地図]
360°写真(泥のモスク)
登録年: 1988年
登録区分: 文化遺産
電話番号:+241 06 43 05 37
行き方:マリの首都バマコからジェンネまで長距離バスが出ています。
ただし、600km近い距離があるので、長旅を覚悟しなければなりません。
最寄りの都市モプティからは130kmほどです。
モプティには空港がありますが、バマコからの便は2014年以降途絶えています。
ニジェール川の増水期にはバマコからモプティまでのフェリーも就航しています。
外務省海外安全ホームページでは退避勧告地域です。(2024年8月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:マリの世界遺産ジェンネ旧市街!泥でつくられた巨大建造物群
ジェンネに行って下さい。 Allez à Jenné.
ジェンネはどこですか? Où est Jenné ?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2.
Tombouctouトンブクトゥ(フランス語: Tombouctou)は、西アフリカのマリ共和国内のニジェール川の中流域、川の湾曲部に位置する砂漠の民トゥアレグ族の都市である。
またトンブクトゥ州の州都である。
ティンブクトゥ(Timbuktu)とも呼ばれる。
人口は54,629人(2009年国勢調査)。
マリ帝国、ソンガイ帝国時代に繁栄し西欧では「黄金郷」として知られるほどであった。
アラブ・ムスリムの学者たちも往来し学問研究も盛んであったが、16世紀以降は次第に衰退する。
かつては10万人以上の人口を数えたトンブクトゥも、交易形態の変化や衰退により2000年代には5万人あまりに減少。
かつての規模から比べれば、少し大きな村といった規模となった。
ただし、現在も砂漠地帯の中の物資の集散地点であることは変わらず、岩塩や手工芸品などの取引が行われている。
市内は日干し煉瓦で出来た家々が並び、ひどい貧困に見舞われている状況にある。
また、周囲の砂漠化が進行し、町が砂漠に埋もれる危険性も指摘されている。
近年、周辺が世界遺産に登録されたこと、パリ・ダカール・ラリーの通過地になっていたこと(開催年によってはコースから外れることもあり)から、次第に知名度が高まり、観光客も増えつつあるが、インフラは依然として整っておらず、ホテルのキャパシティも小さい。
住所:QXCQ+JW9, Askia Mohamed Bvd, Timbuktu, マリ [地図]
360°写真(ジンガレー・ベル)
登録年: 1988年
登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業
電話番号:+223 66 63 15 28
行き方:トンブクトゥには空港がありますが、唯一就航していたエール・マリが2012年から休止しているため、現在のところ空路の利用はできません。
マリの首都バマコからは、途中のモプティを経由して陸路で行くことになります。
バマコからモプティまではバスでおよそ8時間ほどです。
モプティからトンブクトゥへは、車をチャーターするのが一番。
そのほか、この地を流れる大河ニジェール川を利用する乗合船があるので、これを利用する方法もあります。
日本からバマコへ向かうのに最も便利なのは、エールフランスでパリを経由するルートです。
日本から1回の乗り継ぎで行けるルートはこれだけです。
外務省海外安全ホームページでは退避勧告地域です。(2024年8月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:西欧にも黄金郷として知られたアフリカの都!マリの世界遺産トンブクトゥ
トンブクトゥに行って下さい。 Allez à Tombouctou.
トンブクトゥはどこですか? Où se trouve Tombouctou ?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
3. バンディアガラの断崖(ドゴン人の地) Falaises de Bandiagara (Terre du peuple Dogon)
バンディアガラの断崖(バンディアガラのだんがい、仏: La falaise de Bandiagara)は、マリ共和国のドゴン族居住地域となっている断崖。
その壮観な自然環境と、マルセル・グリオールの紹介によって広く知られるようになったドゴン族の文化が保持されている地域であることから、ユネスコの世界遺産に登録されている。
この断崖の標高差は500mであり、幅は150kmに及んでいる。
この断崖の所々や、断崖の裾野に、ドゴン族はおよそ700の村落を作り、25万人ほどが暮らしている。
ドゴン族がこの地に定住を始める以前にはテラン族(Tellem)たちの居住地として使われていたが、ドゴン族の流入によって駆逐されテラン族はドゴン族に吸収された。
ドゴン族は独自の神話体系を持ち、キリスト教やイスラームに帰依することなくその神話を強固に保持し続けてきた。
この神話の中には、シリウスに関する非常に高度な知見が含まれているとされ、オーパーツ的な知識として注目されたこともあるが、その後の調査では、ごく一部のドゴン族グループにしかシリウスに関する神話は存在しないことが判明、またそのシリウス神話に関しても、シリウスが連星であることが知られておらず、決して高度な天文知識は含まれていないことが判明している。
このように伝統文化を重んじて集落を営んできたドゴン族だが、都市への人口流出はこの地域にも見られる。
また、観光客が押し寄せることによって、伝統的な儀式の位置づけなども変容しつつあることなどが指摘されている。
一帯は自然も豊かであり、高原、崖、平野および侵食による洞窟、砂丘、岩壁など多様な地形がある。
ドゴン族の伝統医学に用いられる薬用植物でバンディアガラの断崖にしか生息していない固有種のAcridocarpus monodiiが生えているほか、ドゴン族の神聖な儀式に関わるオグロスナギツネ、ジャッカル、ワニも生息している。
住所:マリ [地図]
360°写真(ファレーズ・ド・バンディアガラ)
登録年: 1989年
登録区分: 複合遺産
行き方:バンディアガラの断崖はマリ共和国の中央部に位置しており、首都であるバマコからは約700㎞離れた場所にあります。
しかしながらマリ共和国は公共交通機関がそこまで整備されていませんので、バマコからは陸路で向かわなければいけません。
もし宿泊を伴う観光を計画している場合は、バンディアガラの断崖の近郊都市であるモプティで宿をとることをおすすめします!
なおバンディアガラの断崖までは凹凸の激しい道路も進まなければいけませんので、四輪駆動で訪れるようにしましょう。
外務省海外安全ホームページでは退避勧告地域です。(2024年8月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:ドゴン族の居住地域であるマリの世界遺産、バンディアガラの断崖(ドゴン人の地)
バンディアガラの断崖に行って下さい。 Allez vers les falaises de Bandiagara.
バンディアガラの断崖はどこですか? Où est la falaise de Bandiagara ?
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
4. アスキアの墓 Tombe d’Askia
アスキアの墓は、マリ共和国ガオ州のガオにある15世紀末の遺跡で、ソンガイ帝国最盛期の皇帝アスキア・ムハンマドの墓地と考えられている。
西アフリカのサヘル地帯における伝統的な泥の建造物群の優れた例証として、2004年にユネスコの世界遺産に登録された。
この遺跡には、ピラミッド状の墓、2つのモスク、墓地とその周辺が含まれている。
ピラミッド状の墓は高さ17メートルで、この地方の植民地化以前の建造物群の中では最大を誇る。
また、同時にこの地方に広がっていくこととなるイスラーム建築様式を採り入れた最初のものでもある。
なお、本体にある木の足場はMaerua crassifoliaに由来する。
この一帯は20世紀以降にも手を加えられており、1960年代から1970年代半ばにモスクが拡張されたほか、1999年には一帯を取り囲む壁が建造された。
また、建造物群は泥で出来ていることから、定期的に塗り直しが行われてきた。
2000年代初めには天井の扇風機を回したり、照明・音響器具を使うために電気が引かれた。
「アスキア」の名は一般的にはモスクの名として、そして都市の共有物となっている文化的中心地の名として用いられている。
この遺跡と周辺の緩衝地域は、国と地方の法令によって保護されている。
2012年の第36回世界遺産委員会において、マリ北部の地域紛争を理由として、トンブクトゥとともに、危機にさらされている世界遺産(危機遺産)リストに登録された。
住所:マリ ガオ [地図]
360°写真(アスキアの墓)
登録年: 2004年
登録区分: 文化遺産
行き方:現在マリ共和国は治安の面で非常に危険な国となっています。
アスキア墳墓のあるマリ共和国のガオ州はマリ政府の統治がしっかりと及んでおらず、イスラム勢力によるテロ・誘拐の恐れがあります。
現在外務省の海外安全情報上でもレベル4:退避勧告が出されていますので、マリ共和国への渡航は見合わせましょう。
外務省海外安全ホームページでは退避勧告地域です。(2024年8月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:マリ共和国の世界遺産「アスキア墳墓」ピラミッドを敬するユニークな墓
アスキアの墓に行って下さい。 Allez au Tombeau d’Askia.
アスキアの墓はどこですか? Où est la tombe d’Askia ?