2024年6月8日掲載

ジャームのミナレット

ジャームのミナレット 引用:Wikipedia

1.ジャームのミナレットと考古遺跡群 د جام منارونه او لرغون پېژندنې ځایونه

ジャームのミナレットはアフガニスタンのゴール州、ハリー川とその支流ジャーム川の合流点のほとりにあるミナレット(尖塔)。

ゴール朝(グール朝)のスルターン、ギヤースッディーン・ムハンマド(在位:1163年 – 1202年)が築いたとされる。

このミナレットは八角形の土台の上に60mの高さを持ち、褐色の煉瓦と、青色のタイル装飾、ブハラで発展を遂げた幾何学模様、クーフィー体アラビア文字の刻印などを特徴とする。

このミナレットはゴール朝の最盛期であり、滅亡寸前でもあった12世紀末頃に建てられており、ゴール朝における建築技術の最高峰とも言われる。

これは後に元ゴール朝の将軍でデリー・スルターン朝の奴隷王朝を開いたクトゥブッディーン・アイバクによって建設されたミナレット、クトゥブ・ミーナール(インド)に影響を与えたと言われる。

ちなみに、このミナレットの建設の目的は明らかではなく、「凱旋記念碑である」、「昔あったモスクの残骸」など様々な説が唱えられている。

住所:9GW8+H69، Dżam アフガニスタン [地図]

ジャームのミナレット

ジャームのミナレット 引用:Wikipedia

登録年: 2002年
登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業
電話番号:+98 903 682 2392

行き方:「ジャムのミナレットと考古遺跡群」は交通の便が良くないため、アクセスすることが難しいです。

成田から北京を経由し、イスラマバードまで飛行機を利用します。

約12時間のフライトです。

イスラマバードでまた乗り継ぎをして、約1時間のフライトでアフガニスタンの首都カブールまで向かいます。

首都カブールに到着後、ジャムまでレンタカーを利用すると約9時間のアクセスです。

または西部の中心都市ヘラートからヘリコプターでというルートでアクセスすることもできます。

所要時間は約1時間です。

その後は装甲車に乗り継ぎ、標高1900メートルの山間の舗装になっていない道路を約1時間走行して、ようやく「ジャムのミナレットと考古遺跡群」に到着します。

外務省海外安全ホームページでは退避勧告地域です。(2024年4月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:謎の美しい尖塔!世界遺産「ジャムのミナレットと考古遺跡群」

ジャムのミナレットに行って下さい。د جام منار ته لاړ شه.

ジャムのミナレットはどこですか?د جام منار چیرته دی؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2.バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群 د بامیان دره کلتوري منظرې او لرغوني کنډوالې

バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群(バーミヤンけいこくのぶんかてきけいかんとこだいいせきぐん)は、アフガニスタンの首都カーブルの北西230kmの山岳地帯に位置するバーミヤン渓谷(バーミヤーン渓谷)に設定されたユネスコの世界文化遺産(危機遺産指定中)。

バーミヤン渓谷は古代以来の都市であるバーミヤーン(バーミヤン)の町を中心とするヒンドゥークシュ山脈山中の渓谷地帯で、標高2500mほどの高地に位置する。

古代から存続する都市バーミヤーンの近郊には、1世紀からバクトリアによって石窟仏教寺院が開削され始めた。

石窟の数は1000以上にものぼり、グレコ・バクトリア様式の流れを汲む仏教美術の優れた遺産である。

5世紀から6世紀頃には高さ55m(西大仏)と38m(東大仏)の2体の大仏をはじめとする多くの巨大な仏像が彫られ、石窟内にはグプタ朝のインド美術やサーサーン朝のペルシア美術の影響を受けた壁画が描かれた。

バーミヤーンの仏教文化は繁栄をきわめ、630年に唐の仏僧玄奘がこの地を訪れたときにも依然として大仏は美しく装飾されて金色に光り輝き、僧院には数千人の僧が居住していたという。

19世紀以降、アフガニスタンが国際社会に組み込まれ、西洋人や日本人が山岳地帯の奥深くまで探検に訪れるようになると、バーミヤーン遺跡は大仏を始め多くの仏教美術が残されていたことから俄然注目を集めることとなった。

20世紀には多くの学術調査が実施されてその価値は高く評価され、一躍アフガニスタンの誇る世界的な文化遺産とみなされるに至る。

しかし、1979年のソビエト連邦のアフガニスタン侵攻以来アフガニスタンで続いてきたアフガン紛争によって大きな被害を受けた。

2001年には当時のアフガニスタンを支配していたターリバーン政権の手により爆破され、遺跡は壊滅的な被害を受けた。

紛争終結後の調査により、一連の混乱と破壊により大仏のみならず、石窟の壁面に描かれた仏教画のおよそ8割が失われたと報告されている。

日本では当時ユネスコ親善大使だった平山郁夫はこれに抗議して危機に瀕する文化財を文化難民として保護することを提案し、流出文化財保護日本委員会を創設した。2002年以来、日本が181万ドルを拠出する仏龕の修復事業をはじめ、国際支援による修復が進められている。

2015年6月15日には中国の研究チームが3Dでの大仏の復元を行った

2021年8月、ターリバーンがアフガニスタン全土を再び制圧、バーミヤンの古代遺跡も再びターリバーンの管理下に置かれた

住所:RRJG+RPC, Bamyan, アフガニスタン [地図]


登録年: 2003年
登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業

行き方:日本から首都カーブルまでの直行便は運航していないことから、インドの首都デリーやトルコの最大都市イスタンブールなどで乗り継ぎをする必要があります。

首都カーブルからバーミヤン渓谷までは300km前後、車で3時間から3時間半でアクセスすることが可能です。

しかし現在のアフガニスタンではテロや誘拐など政情不安定なため、アフガニスタンへの渡航は禁止されています。

外務省海外安全ホームページでは退避勧告地域です。(2024年4月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:巨大な仏像があった、バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

バーミヤンの古代遺跡に行って下さい。د بامیان له لرغونو کنډوالو څخه لیدنه وکړئ.

バーミヤンの古代遺跡はどこですか?د بامیانو لرغوني اثار چیرته دي؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』