2024年6月14日掲載
4.アルビールの城塞 قلعة اربيل
アルビールの城塞(クルド語: قهڵای ههولێر Qelay Hewlêr; アラビア語: قلعة أربيل)はイラク、クルディスタン地域のアルビールにある遺丘、城塞である。
何千年にも渡りアルビールの街の中心となってきた歴史があり、2014年の6月21日にユネスコの世界遺産リストに登録された。
アルビールの城塞を誰が作ったのかはわかっていない。
新石器時代の陶器の破片が遺丘から見つかっているが、よりはっきりした証拠としては銅器時代の陶器の破片が挙げられている。
この陶器はウバイド文化、ウルク文化に見られるものとの類似性が指摘されており、アルビールには少なくとも紀元前5千年紀から人が暮らしていたと考えられている。
このことからアルビールは継続的に人が居住し続けている最も古い街と形容されることがある。
紀元前2300年頃のエブラ・タブレットにてアルビールの城塞が触れられており、これが文献に残るものとしては最も早いものとなる。
その後様々な勢力の支配を受けながら新アッシリア帝国の時代までには重要な都市として位置づけられるようになった。
アッシュールバニパル王は少なくともその治世の一期間にアルビールに宮殿を置いていたようである。
そしてローマの時代にはキリスト教の中心地のひとつとなっている。
しかし7世紀以降はイスラム教の勢力圏に組み込まれ、1258年に6ヵ月に及ぶ籠城の末にモンゴル帝国に城塞を攻め落とされて後はアルビールは都市としての重要性を低下させていった。
20世紀に入ると都市構造が劇的に変化し、古い街並みや公共施設が次々と破壊されていった。
城塞の外の街が発展し、裕福な者はモダンで庭付きの家を求めてそちらへ移り住み、城塞内の人口も減っていった。
2007年にはアルビールを活性化させるための委員会(High Commission for Erbil Citadel Revitalization、HCECR)が組織され城塞の保存、再生に取り組んだ。
同年、城塞の再生プロジェクトの一環として1家族を除くすべての住人が城塞から立ち退かされた。
1家族が立ち退きを免れたのは8000年にわたり人が住み続けている都市というタイトルを守るための措置である。
それ以降は再生事業と平行して、様々な国際的な組織と地元の専門家たちによる考古学調査も進んだ。
城塞の再生が終わった時には50家族を住まわせる計画が政府により立てられている。
住所:Erbil, Erbil Governorate, 44001 イラク [地図]
360°写真(シタデル・オブ・アルビール)
登録年: 2014年
登録区分: 文化遺産
営業時間:臨時休業
ウェブサイト:
行き方:アルビル市街のすぐ外側に、アルビル国際空港があります。
多くの外国企業が進出してきていることから国際便の就航数も増えていますが、日本からの直行便はありません。
イスタンブールやドバイ、アブダビなどを経由しましょう。
空港からアルビル市内へはタクシーで移動します。
アルビル城塞は名実ともにアルビルの中心なので、迷うこともないでしょう。
外務省海外安全ホームページでは不要不急の渡航中止地域です。(2024年4月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:イラクの復興を担う「第2のドバイ」の世界遺産アルビル城塞!
アルビル城塞まで行って下さい。 الذهاب إلى قلعة أربيل.
アルビル城塞はどこですか? أين تقع قلعة أربيل؟
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
5.イラク南部のアフワル:生物多様性保護区とメソポタミア都市群の残存景観 الأهوار في جنوب العراق: محمية للتنوع البيولوجي والمناظر الطبيعية المتبقية لمدن بلاد ما بين النهرين
アフワール(اَلْأَهْوَار, al-Ahwār, アル=アフワール)はイラク南部からイラン南西部にかけて広がる湿地帯。
古代メソポタミアのシュメール文明が栄えた地であったことからイラク南部の同地域では複数の考古遺跡が見つかっている。
2016年には国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)によって3つの遺跡と4つの湿地帯を含む同エリアが世界遺産に登録された。
2016年に、「イラク南部の湿原地域 : 生物多様性の保護地とメソポタミア都市群の残存する景観」として、ユネスコの世界複合遺産に指定された。
アドベで造られたウルク、ウル、エリドゥの3つの古代都市遺跡があるが、これらはシュメール人の痕跡だと考えられている。
4つの湿地帯は世界的にも規模が大きく、「イラク湖沼地帯」とも呼ばれるという。
アフワールのように、乾燥していてかつ高温である地域に形成された湿地帯は、世界でも他に例がなく、そういった意味でも極めて貴重なものとなっている。
4つの湿地帯とは高温乾燥気候のユーフラテス川とティグリス川下流域一帯の内陸デルタに位置する中央湿原、東ハンマール湿原、西ハンマール湿原、ならびにイランとの国境にあるハウィーゼ湿原である。
湿地はカモ、渉禽類などの多くの渡り鳥の休憩地、採餌場または越冬地であり、ペルシャ湾からの回遊魚やエビも見られる。
ヨシが多く生える湿地にはバスラオオヨシキリ、カラフトワシ、ウスユキガモ、イラクヤブチメドリ、カイツブリ、ムナグロシャコ、ズキンガラス、アフリカヘビウ、アフリカクロトキ、オニアオサギなどの鳥類、メソポタミアハナスッポン、イランハリユビヤモリなどの爬虫類およびビロードカワウソ、アカオニネズミ、メソポタミアアレチネズミ、ユーフラテスイツユビトビネズミなどの哺乳類が生息している。
水域にはMesopotamichthys sharpeyiという魚類も見られるが、現在は外来種のジルティラピアが優占種となっている。
住所:X464+92R, Mahatt Ur, Dhi Qar Governorate, イラク [地図]
登録年: 2016年
登録区分: 複合遺産
行き方:イラクは治安が不安定なため、渡航については引き続き禁止されています。
外務省海外安全ホームページでは渡航中止勧告地域です。(2024年4月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:【メソポタミア文明】イラクの世界遺産一覧!|古代文明の足跡とは?
アフワールまで行って下さい。 اذهب إلى أحور.
アフワールはどこですか? أين تقع أهوار؟
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
6.バビロン بابل
バビロン(Babylon)は、メソポタミア地方の古代都市。
市域はバグダードの南方約90kmの地点にユーフラテス川をまたいで広がる。
ハンムラビ法典で有名なハンムラビ王(在位前1792年 – 前1750年)が最初の黄金時代を築いてからは、アッシリア、バビロニアなど、支配者は次々と変わり、紀元7世紀にイスラムの時代に入って以降、衰退した。
その遺跡は、2019年にUNESCOの世界遺産リストに登録された。
2009年5月、バビール州政府は観光客向けに遺跡の開放を再開し、2017年には35,000人以上の観光客が訪れた。
石油パイプラインが、都市の外壁を貫通している。
2019年7月5日には、バビロンの遺跡はユネスコの世界遺産に登録された。
何千人もの人々がバビロンで、古代の外側の城壁周辺に住んでいる。
そしてその周辺のコミュニティは、「建設を制限する法律があるにもかかわらず、コンパクトで密集した集落から広大な郊外へと急速に発展している」。
現代の村には、西ズウェア(Zwair West)、シンジャー村(Sinjar Village)、クワレシュ(Qwaresh)、アル・ジムジマー(Al-Jimjmah)があり、そのうち最初の2つが経済的に豊かである。
ほとんどの住民は、主に毎日の賃金収入に依存しているか、アル・ヒッラー(Al-Hillah)で政府の仕事に就いている。
ごくわずかにナツメヤシ、柑橘類、イチジク、家畜用の飼料、限られた換金作物を栽培している人がいるが、耕作物からの収入だけでは家族を養うことはできない。
シーア派とスンニ派、両方のイスラム教徒がシンジャー村に住んでいて、両派のモスクがある。
SBAH(The State Board of Antiquities and Heritage:イラク国立考古学遺産委員会)は、考古学的遺跡の保護を担当する主要機関である。
彼らは考古学遺産警察の支援を受け、そこに常駐している。
ワールド・モニュメント財団も研究と保全に関わっている。
SBAHの州監察本部は、東側の古代の内城壁の境界内にあり、数人の職員とその家族がこの地域の補助金付きの住宅に住んでいる。
住所:XFGP+4XM, Dour as Shirka, Babylon Governorate, イラク [地図]
登録年: 2019年
登録区分: 文化遺産
行き方:古代都市バビロンの遺跡。首都バグダッドから、南へ約85キロの場所にある。
外務省海外安全ホームページでは退避勧告地域です。(2024年4月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:進め!中東探検隊
バビロン遺跡まで行って下さい。 الذهاب إلى أنقاض بابل.
バビロン遺跡はどこですか? أين توجد آثار بابل؟