2024年6月18日掲載

マクペラの洞穴引用:Adobe Stock

マクペラの洞穴
引用:Adobe Stock

1.ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路  كنيسة المهد وطريق الحج ببيت لحم

降誕教会(こうたんきょうかい、アラビア語: كنيسة المهد‎)は、パレスチナベツレヘム県ベツレヘムに位置するキリスト教の教会である。

聖誕教会ともいう。

2012年に国際連合教育科学文化機関により世界文化遺産に登録された。

イエス・キリストが降誕と伝承される洞穴を中心として、その上に立てられている聖堂を、ローマ・カトリック(フランシスコ会)、東方正教会、アルメニア使徒教会が区分所有する。

クリスマスになると、大勢の観光客が訪れる場所でもある。

コンスタンティヌス1世の時代に、イエス・キリストが生まれたとされていた洞穴の上に聖堂の建設が始められ、339年に完成した。

この聖堂は6世紀の火災で失われ、モザイクの床がわずかに現存するのみである。

再建はユスティニアヌス1世の時代に行われ、この6世紀の聖堂が基本的に現存する聖堂に受け継がれている

生誕教会に隣接してローマカトリック教会(フランシスコ会)により聖カテリナ教会St. Catherine’s Church, Bethlehem)が1882年に建てられ、その後モダンな教会堂に改築され、毎年12月25日のクリスマスに、世界へ向けてテレビにて生放送される主日のミサは、そこで行われる

2002年、パレスチナ・ゲリラが立てこもり、イスラエル軍が包囲。包囲は約1か月続き、その間ゲリラを匿った聖職者たちにも、水や食糧の必要物資の供給が十分でなく、国際的な問題となった。

住所:P635+P2C, Bethlehem Territory [地図]


登録年: 2012年
登録区分: 文化遺産

行き方:パレスチナ自治区には現在稼働している空港はないので、まずはイスラエルのベン・グリオン国際空港へ向かいます。

そして空港からエルサレムへ。

電車で約1時間ほどです。

エルサレムからベツレヘムまではバスがあり、こちらも1時間ほどで着きます。

イスラエルからパレスチナ自治区へはパスポートはいりますが、特に問題はありません。

しかしパレスチナ自治区からイスラエルへと出る場合は厳重なチェックがありますが、外国人観光客はすんなりと通ることが多いそうです。

外務省海外安全ホームページでは不要不急の渡航中止地域です。(2024年4月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:パレスチナの世界遺産、イエス生誕の地・ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路

聖誕教会まで行って下さい。  من فضلك اذهب إلى كنيسة المهد.

聖誕教会はどこですか?  أين تقع كنيسة المهد؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2.オリーブとワインの地パレスチナ – エルサレム地方南部バティールの文化的景観  فلسطين أرض الزيتون والنبيذ – المشهد الثقافي في منطقة بتير في منطقة جنوب القدس

バティールBattir, アラビア語: بتير‎)は、エルサレムの南西、ベツレヘムの西6.4キロメートルに位置するヨルダン川西岸地区のパレスチナの町である。

町は古代にはベタル(Betar)の名で知られ、ユダヤのローマに対する戦争であるバル・コクバの乱の最後の戦場となった。

現在の町はヤッファ=エルサレム線の鉄道路線沿いにあり、1949年からイスラエルによって占領された第三次中東戦争の時点まで、イスラエルとヨルダンの間のグリーンライン(1949年停戦ライン)上に位置していた。

また、バティールには2,000年にわたって使用されてきた伝統的な灌漑システムと段々畑が存在する。

2011年のパレスチナのユネスコ加盟後、パレスチナはバティールの文化的景観の世界遺産リスト登録を目指し、「オリーブとワインの地パレスチナ – エルサレム地方南部バティールの文化的景観」の名称で2014年に登録を果たした。

バティールはユダヤ山地を南西に走り、海岸平野まで続くワディ・エル=ジュンディ(Wadi el-Jundi、「兵士の谷」の意)と呼ばれる谷の上の丘に位置し、ベツレヘムからは水平距離で北西へ6.4キロメートルの場所にある。

1883年のパレスチナ探査基金(PEF)による西パレスチナの調査の記録では、天然の要害となっている村の様子について記述されている。

家屋は岩の段丘の上に立ち、北側の岩の多い急斜面の下に谷が存在するために北からの防御には非常に強く、一方で南側は二つの渓谷の先端の間の細い首状の部分が丘と尾根の主要部をつないでいる

標高は海抜約760メートルである

バティールの夏は温暖な気候で、冬には時折弱い降雪がみられる。

年間平均気温は摂氏16度である。

住所:Battir [地図]


登録年: 2014年
登録区分: 文化遺産

行き方:エルサレム市内まではベングリオン空港から直行のシェルート(乗合バス)で向かうことができます。

テル・アビブからはバスターミナルTel Aviv Central Bus Station 、Tel Aviv 2000 Terminalからバスが出ています。

もしくはJerusalem Malha駅まで鉄道で行き、そこからバスに乗り換えて行くこともできます。

ベツレヘムからもバティール村への直行バスが出ています。

外務省海外安全ホームページでは不要不急の渡航中止地域です。(2024年4月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:パレスチナ、オリーブとワインの地-エルサレム南部バティールの文化的景観

バティール村まで行って下さい。  يرجى الذهاب إلى قرية بتيل.

バティール村はどこですか?  أين تقع قرية بتيل؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

3. ヘブロン/アル・ハリル旧市街  الخليل/البلدة القديمة بالخليل

ヘブロン/アル=ハリール旧市街 (ヘブロン/アル=ハリールきゅうしがい、アラビア語: البلدة القديمة في الخليل‎、アル=ハリールの旧市街、ヘブライ語: עיר העתיקה של חברון‎、ヘブロンの旧市街) は、パレスチナのヨルダン川西岸地区にあるアル=ハリール(ヘブロン)の歴史的中心地である。

考古学者たちは、古代のヘブロンは、最初は別の場所である、今日の旧市街から西に約200メートル離れたテル・ルメイダから始まったと考えており、もともとはカナン人の都市であったと考えられている。

現在の旧市街は、ギリシャまたはローマ時代紀元前3世紀から紀元前1世紀)に定住がなされ、アッバース朝(紀元750年開始)の時代にヘブロン地域全体の中心地となった。

2017年にパレスチナ国で3番目の世界遺産に登録された

この旧市街は、イスラエルの軍事占領下にあり、国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) の調査員が候補地を訪れる許可が実効支配しているイスラエルから降りなかったため現地調査が出来ず、ICOMOSは通例の勧告を出さず保留した

ICOMOSの勧告保留は世界遺産条約史上初めてのことだった

しかし、緊急的登録推薦という例外的な方法で推薦及び世界遺産委員会会議での審議が行われ、最後は秘密投票によって文化遺産として登録が可決されると同時に危機遺産入りをした

旧市街は、聖書の族長(父祖)と母祖の伝統的な埋葬地であり、アブラハムの宗教のユダヤ教徒、キリスト教徒、モスリムによって崇敬されている聖所および巡礼地である「族長たちの墓/イブラヒーム・モスク」を取り囲むように建設されている

また同市街は、ヘブロンのイスラエルとパレスチナの紛争においてセンシティブな場所である

住所:G4F6+V7Q, Hebron [地図]


登録年: 2017年
登録区分: 文化遺産
営業時間:04:00~21:00
電話番号:+970 599 777 879

行き方:エルサレムから(乗合タクシー):ダマスカス門の前のアラブ・バス・ターミナルから、乗合タクシー 15 NIS(2008)。

外務省海外安全ホームページでは渡航中止勧告地域です。(2024年4月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:ヘブロンへのアクセス

マクペラ洞穴まで行って下さい。  اذهب إلى مغارة المكفيلة.

マクペラ洞穴はどこですか?  أين تقع مغارة المكفيلة؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

4. 古代エリコ / テル・エッ=スルタン  أريحا القديمة / تل السلطان

エリコイェリコジェリコ、アラビア語ではアリーハー、アラビア語: أريحا)は、パレスチナ東部のエリコ県の県都。2017年の人口は20,907人

死海の北西部にある町。

古代オリエントの中でも古い町で、紀元前8000年紀には周囲を壁で囲った集落が出現した。

世界最古の町と評されることもある。

海抜マイナス258mと、世界で最も標高の低い町でもある。

ヨルダン川河口から北西約15kmにあり、現在はヨルダン川西岸地区に含まれる。

「スルタンの泉」と呼ばれるオアシスがあり、人々が住み着いた。

エリコの名前は『旧約聖書』にも繰り返し現れ、「棕櫚(しゅろ)の町」として知られていた。

エリコには、異なる時代に形成されたいくつかの町があり、古代~『旧約聖書』時代のテル・エッ・スルタン(Tell es-Sultan)、紀元前後のトゥルール・アブー・エル・アラーイク(Tulul Abu el-‘Alayiq)、現在の町があるエル・リハ(er-Riha)に分かれる。

テル・エッ・スルタンは、エル・リハから2kmほど離れたところにあり、トゥルール・アブー・エル・アラーイクはエル・リハから西へ約2kmのところにある。

住所:VC9V+VH9, Ein Al Sultan [地図]


登録年: 2023年
登録区分: 文化遺産

行き方:ヨルダン川河口から北西約15kmにあり、現在はヨルダン川西岸地区に含まれる。

「スルタンの泉」と呼ばれるオアシスがあり、人々が住み着いた。 

エリコの名前は『旧約聖書』にも繰り返し現れ、「棕櫚(しゅろ)の町」として知られていた。

外務省海外安全ホームページでは不要不急の渡航中止地域です。(2024年5月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:エリコ

テル・アッスルターン遺跡まで行って下さい。  اذهب إلى آثار تل السلطان.

テル・アッスルターン遺跡はどこですか?  أين آثار تل السلطان؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』