2024年10月3日掲載
1.エルサレム旧市街とその城壁群 העיר העתיקה בירושלים וחומותיה
エルサレム旧市街(エルサレムきゅうしがい)は、パレスチナ(現在はイスラエル占領下のパレスチナ自治区・東エルサレム地区)、エルサレム市中にある旧市街。
面積は0.9km2で、城壁に囲まれている。
1860年代までは、この旧市街がエルサレムの全体であった。
エルサレムはアブラハム/イブラーヒームの宗教における重要な聖地・史跡を含んでいる。
ユダヤ教徒にとっての神殿の丘と嘆きの壁、キリスト教徒にとっての聖墳墓教会、イスラム教徒(ムスリム)にとってのアル=アクサー・モスクと岩のドームなどである。
これらのランドマークと旧市街全体は、1981年に『エルサレム旧市街とその城壁群』の名称で世界遺産として登録された。
伝統的に、旧市街は19世紀になって導入された4つの区画に分けられている。
ムスリム街区、キリスト教徒街区、ユダヤ人街区、アルメニア人街区である。
また、かつてはシリア人街区もあったが、ユダヤ人街区に編入された。
紀元前11世紀にダビデ王がエルサレムを征服する以前には、この街はエブス人の本拠地だった。
聖書は、この街が堅固な壁に守られた重厚な城塞都市であったと描写している。
ダビデ王が支配したことで「ダビデの町」(ヘブライ語: עיר דוד、ラテン文字表記: Ir David) として知られた当時の街は、現在の糞門外側の旧市街の壁の南東にあったと考えられている。
ダビデの息子のソロモン王は都市の壁を拡大した。
その後、アケメネス朝ペルシャ帝国領時代の紀元前440年頃、ネヘミヤがバビロンから戻り、市壁を再建した。
西暦41年から44年にかけては、ユダヤの王アグリッパ1世が「第三の壁」として知られる壁を建造した。
1219年に、市壁はアイユーブ朝ダマスクスのクルド系アミールのアル=ムアッザム・イーサーによって完全に破壊された。
1229年にはエジプトとの条約によって、エルサレムは神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の手に渡った。
1239年には市壁の再建が始まったが、壁はイーサーの息子でケラクのアミール、アン=ナースィル・ダウドによって再び破壊された。
1243年にエルサレムは再びキリスト教国エルサレム王国の勢力下に入り、市壁も修復された。
しかし、翌年にはホラズムが都市を陥落し、市壁をまたも破壊した(1244年のエルサレム攻囲戦)。
これによって、彼らは都市を無防備に置くという大打撃を与える形になった。
現存する旧市街の市壁は、オスマン帝国の皇帝スレイマン1世によって1538年に建造されたものである。
長さは約4.5 km、高さは5 – 15 m、厚さ3mになる。
全体では、旧市街の市壁は43の見張り塔、11の門(うち7つは現在開放されている)を含んでいる。
住所:Jerusalem [地図]
360°写真(嘆きの壁)
登録年: 1981年
登録区分: 文化遺産
営業時間:24時間営業
電話番号:+972 2 627 1333
ウェブサイト:
行き方:イスラエルの空港があるテルアビブからは、電車、バス、車、タクシー、乗り合いタクシーなどで約1時間ほどでアクセスできます。
バスや電車でエルサレム中央駅に向かい、そこからライトレールやバスでダマスカスゲートへと向かいます。
外務省海外安全ホームページでは渡航中止勧告地域です。(2024年10月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:世界七不思議の一つ!世界遺産エルサレムの旧市街とその城壁群をご紹介!
ダマスカスゲートまで行って下さい。 נא ללכת לשער דמשק.
ダマスカスゲートはどこですか? איפה שער דמשק?