2024年8月15日更新
1.エスファハーンのイマーム広場 میدان امام اصفهان
イマーム広場(イマームひろば)はイランのエスファハーンにある広場。
まわりを青を基調とした精密なアラベスク模様のタイルで覆われた荘厳なモスクや宮殿によって囲まれていることから、かつては「ここには世界の半分がある」とも言われた。
ユネスコの世界遺産に登録されている。
このイマーム広場は、かつて「メイダーネ・シャー ميدان شاه Meydān-e Shāh 」(王の広場)と呼ばれ、正式名称は「メイダーネ・ナクシェ・ジャハーン میدان نقش جهان Meydān-e naqsh-e jahān」(世界の肖像の広場)である。
1598年、首都をイスファハンへ移したサファヴィー朝のシャー・アッバース1世は、大規模な都市計画にもとづいて新しい市街を旧市街の西南方に建設しはじめた。
その中核となったのが、広場である。
この広場は南北512m、東西159mという広大な長方形で、周囲を整然たる2層のアーケードで取り囲み、四辺にそれぞれ1件ずつモニュメンタルな建築が配置されている。
まず、南辺中央には大寺院イマーム・モスクのイーワーン状の門が位置する。
このモスクは、イランの近世イスラーム建築を代表する傑作として名高く、チャハール・イーワーン形式(四イーワーン形式)をとっている。
東の小寺院シェイフ・ロトフォッラー・モスクは、王族のための専用礼拝堂であった。
規模こそ小さいが、壁面やドームを覆う彩色タイルのアラベスクが格別に美しく、サファヴィー朝建築の白眉といえる。
北にはバザールの門ダールワーザ・イ・カイセリーヤ、西には王宮の門、アリ・カプ宮殿が位置する。
この広場は、16世紀末から少なくとも2段階の整備、改築過程を経て、1617年頃までに現在見られるような姿が完成した。
特に、19世紀後半以降大規模な改変を被ったが、今日も基本的な構造は創建当時の姿をとどめている。
1960年代には、イタリア中東研究所による「イマーム広場」周辺の修復工事が開始され、それに伴う考古学的発掘成果が次々と発表された。
現在、広場は池などを設けて公園化されているが、本来は一面砂敷きの平坦なグランドで、各種の儀式や競技がここで催された。
また、広場を囲む長大なアーケードは、上下2層のうち下層だけが店舗として活用され、アーチ1単位ごとに区分し、商人や手工業者に貸与されていた。
現在は数多くのクラフトショップが並んで、バザールとともにショッピングのメッカとなっている。
モスクのドームや壁面のタイルのアラベスクは、イラン芸術の最高美と賞賛されている。
住所:MM4G+VM9, Isfahan, Isfahan Province, イラン [地図]
360°写真
登録年: 1979年
登録区分: 文化遺産
営業時間:09:00~13:00、16:00~20:00
電話番号:+98 31 3222 2173
行き方:2018年現在日本からイランへの直行便はなく、中東ドバイやドーハ、イスタンブール乗り継ぎなどが比較的便利です。
テヘランからイスファハーンまでは長距離バスで約5時間。
イラン国内の移動は長距離バスがリーズナブルな上に快適でオススメです。
外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2023年11月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:世界の半分がここに!世界遺産イランの古都イスファハーンのイマーム広場
イマーム広場まで行って下さい。 لطفا به میدان امام بروید.
イマーム広場はどこですか? میدان امام کجاست؟
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2.ペルセポリス پرسپولیس
ペルセポリスは、アケメネス朝ペルシア帝国の都であった。
ダレイオス1世(ダーラヤーウ1世)が建設した宮殿群であった。
遺跡はイランのファールス州(当時の地名はパールサ地方)にある。
ペルセポリスの名はギリシャ語の記録に由来し、意味は「ペルシア人の都」である。
現代ペルシャ語ではタフテ・ジャムシード(takht-e jamshid、تخت جمشید、「ジャムシードの玉座」の意)と呼ばれている。
ダレイオス1世がペルセポリスの建設に着手したのは紀元前520年のことであった。
これはダレイオス1世即位時の大反乱の鎮圧直後のことであり、当初帝国の中心として構想された都市であったといわれている。
ペルセポリスはクーヒ・ラハマト(慈悲の丘)の山裾に自然の岩盤を利用して建設された。
クセノフォンの記録によればアケメネス朝の王は春3か月間をスサ、夏2か月間をエクバタナ、冬7か月間をバビロンで過ごしたとあり、ペルセポリスは儀式用の都市であったのではないかという説もある。
しかし、少なくとも創建当初にはペルセポリスで実際に行政活動が行われていたことは宮殿跡から発見されたエラム語の文書でわかる。
エラム語の行政文書は、少なくとも紀元前509年から紀元前457年までの物が発見されている。
住所:Fars Province, Shiraz, Shiraz – Persepolis, イラン [地図]
360°写真
登録年: 1979年
登録区分: 文化遺産
行き方:世界遺産ペルセポリスへ行くには、最寄りの大都市シーラーズを拠点とするとよいでしょう。
シーラーズ国際空港へは、テヘランやドーハ、ドバイなどからの飛行機が就航しています。
また、バスでテヘランからからエスファファーン経由で行く方法もあります。
シーラーズからはミニバスでマルヴダシュト行きのバスで終点まで。
そこから乗り合いタクシーでペルセポリス遺跡前まで行くのが一般的です。
タクシーやミニバスに乗る際には、料金交渉が必要です。
ペルセポリス遺跡の目の前にはリゾートホテルもあるので、ゆっくり数日滞在してじっくりペルセポリス観光とバカンスを楽しむこともできます。
外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2023年11月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:壮麗な宮殿跡が残るペルシャ帝国の都!イランの世界遺産ペルセポリス
ペルセポリスまで行って下さい。 لطفا به پرسپولیس بروید.
ペルセポリスはどこですか? پرسپولیس کجاست؟
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
3.チョガ・ザンビール چوگا زامبیر
チョガ・ザンビールとは、古代エラム人が現在のイラン・フーゼスターン州に作った複合遺跡である。
メソポタミア地方以外では数少ないジッグラトが存在する。
デズフールのおよそ25km西、スーサの45km南方に位置する。
1979年に、ユネスコの世界遺産に登録された。
チョガ・ザンビールは、紀元前1250年ごろに、Untash-Napirishaの手によって、Inshushinak神への崇敬の意を込めて建設された。
もともとの名前は、「ウンターシュの街」を意味するDur Untashであった。
しかしながら、この古代都市は、祭司を除いてはそれほど人が居住したとは考えられていない。
チョガ・ザンビールは、三層の連結した壁で保護されており、壁によって、メインエリアは「街」と定義される。
住所:2G5C+JJG, Khamat, Khuzestan Province, イラン [地図]
360°写真
登録年: 1979年
登録区分: 文化遺産
営業時間:07:30~19:00
電話番号:+98 61 4286 7213
行き方:チョガ・ザンビールは数ある世界遺産の中でもトップクラスのアクセスの不便さとなっていますのでご注意ください。
チョガ・ザンビールの最寄りの町はスーサですが、そこにはホテルやレストランなどもあまりありませんので、もう少し離れていますがホテルや交通の便も良いアフヴァーズという都市を拠点にすることをおすすめします。
アフヴァーズからスーサまではバスで約2時間ほどの移動時間を要し、さらにスーサからチョガ・ザンビールまでは約1時間ほどかかります。
アフヴァーズから直接チョガ・ザンビールまでタクシーで向かうか、スーサまでバスで向かい、そこからタクシーで向かうことをおすすめします。
なおアクセスの不便さから、帰りの交通手段を確保しておくことを忘れないようにしましょう。
外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2023年11月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:世界的に貴重な聖塔があるイラン初の世界遺産チョガ・ザンビール
チョガ・ザンビールまで行って下さい。 لطفا به چغازمبیر بروید.
チョガ・ザンビールはどこですか? چوگا زامبیر کجاست؟
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
4.タフテ・ソレイマーン تخت سلیمان
タフテ・ソレイマーンは、イラン・西アーザルバーイジャーン州のタカブの近郊にあるゾロアスター教及びサーサーン朝の聖地。
2003年7月3日、ユネスコの世界遺産に登録された。
名称はペルシア語で「ソロモンの玉座」を意味する。
タフテ・ソレイマーンは、渓谷の中にある史跡であり、テヘランの西400km離れた沃野の真ん中にある。
遺構は直径約100メートル、水深約100メートルの活動を停止した火口湖を中心に建てられており、主にサーサーン朝時代に建造された宗教施設群やフレグ・ウルス時代に建造された宮殿遺跡群も含む。
(『集史』などにアバカ時代に夏営地として宮殿が建設された記録がある) サーサーン朝はゾロアスター教を国教と定めていたが、特に王朝後期に国家的な拝火壇がイラン南西部のファールス地方から西北部のアーゼルバーイジャーン地方へ移されたようで、アッバース朝時代の歴史家タバリーが『諸使徒と諸王の歴史』で述べる宗教都市シーズ、後代のゾロアスター教文書に言及されるサーサーン朝の国家的最重要拝火壇のひとつ「アードゥル・グシュナスプ聖火」が、このタフテ・ソレイマーン遺跡であった可能性が高いと考えられている。
フィールーザーバードのようなイランの多くの遺跡と同様に、ゾロアスター教の寺院、宮殿、レイアウトなどは、イスラーム建築の発展に大きな影響を与えた。
住所:West Azerbaijan Province, Tazekand-e Nosratabad، تکاب – تخت سلیمان، J63M+VW8 イラン [地図]
360°写真
登録年: 2003年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:00~19:30
行き方:タフテ・ソレイマーンはイランの首都テヘランの西約400kmに位置している世界遺産です。
この世界遺産を観光する際には、タフテ・ソレイマーンの南西およそ40kmほどの町タカブを拠点にするのが一般的です。
タカーブからはタフテ・ソレイマーンへ向かうバスが運行しているので、それを利用するかタクシーで訪ねましょう。
ただし、タカーブまではテヘランからハマダーン、サナンダージ、ビザールなどと乗り換えを繰り返してかなりの時間を要します。
確実に訪ねるには、テヘランかハマダーンからツアーに申し込んだ方が良いでしょう。
外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2023年11月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:ゾロアスター教とササン朝ペルシャの聖地!世界遺産「タフテ・ソレイマーン」
タフテ・ソレイマーンまで行って下さい。 لطفا به تخت سلیمان بروید.
タフテ・ソレイマーンはどこですか? تخت سلیمان کجاست؟
出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
5.バムとその文化的景観 بم و منظر فرهنگی آن
アルゲ・バム(ارگ بم, Arg-e Bam)は、イランのケルマーン州にある要塞都市の遺跡。
近代都市バムの近郊に位置し、「アルゲ・バム」とは「バムの城」を意味する。
遺跡の大きな特徴はオアシス地帯におけるアドベとカナートの使用であり、周辺の緩衝地域にはヤシの木立もある。
城はパルティア時代に遡ると推定されているが、サーサーン朝ペルシア期に最初の都市が作られ、サファヴィー朝期(16-17世紀)に現在見られる城壁が完成したが、アフガン人(パシュトゥーン人)の攻撃があった1722年以降に放棄され、廃墟となった。
- 2003年12月26日のバム地震で大きく損傷を受ける。
- 2004年7月に『バムとその文化的景観』としてユネスコの世界遺産に登録されると同時に「危機にさらされている世界遺産」リストに登録された。
- 2013年6月に遺跡の修復・保全活動が評価され危機遺産リストから除外された。
住所:4979+XPX, Bam, Kerman Province, イラン [地図]
360°写真
登録年: 2004年
登録区分: 文化遺産
営業時間:07:00~17:30
電話番号:+98 34 4431 4520
行き方:世界遺産があるバムへは、イランの各主要都市から運行しているバスを利用することをおすすめします。
ケルマーン州の中心部からバムまではバスで約2時間半、シーラーズからは約9時間、ヤズドからは約6時半と移動時間が長いため、スケジュールは余裕をもって計画しましょう。
なお、イランまでの直行便は運航していません。
また、バムから北東近郊にあるアルゲ・バムまでは約20分の徒歩で訪れることができます。
その道中もバムの町の雰囲気を感じることができたり、マーケットに立ち寄ることもできたりして面白いです。
外務省海外安全ホームページでは不要不急の渡航中止地域です。(2023年11月現在)
現地に行く時は、最新情報を確認してください。
参考URL:地震による甚大な被害を乗り越えた世界遺産、バムとその文化的景観
アルゲ・バムまで行って下さい。 لطفا به الغ بام بروید.
アルゲ・バムはどこですか? ارگه بام کجاست؟