2023年12月15日掲載

シューシュタル

シューシュタル 引用:スカイチケット

6.パサルガダエ پاسارگاد

パサルガダエは、アケメネス朝のキュロス2世によって建設された、当時のペルシャ帝国の首都で、キュロス2世の墓が存在する。

今日では、ユネスコの世界遺産に登録されている。

パサルガダエはペルセポリスの北東87キロメートルに位置し、現在のファールス州にある。

パサルガダエは、ペルシャ帝国の最初の首都であり、紀元前546年に、キュロス2世の手によって建設が開始された。

しかし、その建設は途上に終わった。

というのも、紀元前530年前後の遊牧民マッサゲタイとの戦争中に、キュロス自身が戦死したからである。

ダレイオス1世がスーサに遷都するまで、パサルガダエは、ペルシャ帝国の首都として機能した。

パサルガダエ考古遺跡は、1.6平方キロメートルの広さであり、キュロス2世の墓と伝えられる建造物、丘の近くにそびえるタレ・タフト要塞と2つの王室の庭園から構成される。

パサルガダエに残る庭園は、イランで最初の四分法に基づいて建設されたペルシャ式庭園である。

庭園部分は、パサルガダエ考古遺跡とは別に、2011年、UNESCOの世界遺産に登録された。

住所:652H+34M, Madarsoleyman, Fars Province, イラン [地図]


登録年: 2004年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:00~18:00、08:00~20:00(金曜日)
電話番号:+98 71 4358 2790
ウェブサイト

行き方:パサルガダエはイランの中でも有名な世界遺産であるペルシアの神殿跡、ペルセポリスから約87kmの場所にあるファールス州に位置しています。

パサルガダエに観光に訪れる際は、イラン南西部の都市であるシーラーズを起点にするのがおすすめ。

シーラーズからはパサルガダエを含めた観光ツアーが開催されていますので、ぜひご参加ください。

なおパサルガダエは広大な土地にいくつもの見学スポットが点在していますので、車での移動が楽です。

外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:世界最古の大帝国、古代ペルシアの世界遺産パサルガダエ考古遺跡

パサルガダエまで行って下さい。 برو پاسارگاد

パサルガダエはどこですか? پاسارگاد کجاست؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

7.ソルターニーイェ سلطانیه

ソルターニーイェは、イルハン朝第8代君主オルジェイトゥの命によって建設された都市遺跡である。

テヘランの北西240kmのザンジャーン州東部にあり、かつて14世紀には、フレグ・ウルスの都であった。

ソルターニーヤ(スルターニーヤ)とはアラビア語で「スルターンに関わるもの」の意味し、このスルターンとはオルジェイトゥ(・スルターン・ムハンマド・フダーバンダ)のことであり、スルターンの御座所、すなわち首都ほどの意味になる。

2005年、ユネスコの世界遺産に登録された。

ソルターニーイェの遺跡群の中核は、1302年から1312年にかけて建設されたオルジェイトゥ廟である。

8基のミナレットを備えるこの廟は、青タイルで覆われた高さ約50mの2重構造のドームを持ち、これは世界最古のものである。

イスラーム世界におけるこの廟の重要性は、ブルネレスキの屋根建築と比較される。

ソルターニーイェの建築は後のイスラーム建築に大きな影響を与えた。

ソルターニーイェの影響を受けた建築物としては、カザフスタンのホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟やインドのタージ・マハルがある。

廟の外装のほとんどが失われてしまったが、しかし、内部のモザイク、彩色陶器、壁画は残っている。

住所:ザンジャーン イラン [地図]



登録年: 2005年
登録区分: 文化遺産

行き方:ザンジャーン州は、面積がおよそ3万6300平方キロメートル、州の総人口はおよそ170万人で、中心都市ザンジャーン市をはじめとする8つの行政区に分かれています。

この州はイランの産業の中心の1つでもあり、テヘランからおよそ300キロ西北西にあります。

特にザンジャーン市にはテヘランからの高速道路が通っていることから、立地条件がよい。

ドームを含めた一連の遺跡は、ザンジャーン市の北西35キロほどのところにあり、14世紀のモンゴル系王朝・イルハン朝時代の「ソルターニーイェの都市遺跡」として、2005年にユネスコの世界遺産に指定されました。

外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:イラン北西部のソルターニーイェの都市遺跡とその周辺の伝統工芸

ソルターニーイェの遺跡まで行って下さい。 به خرابه های سلطانیه بروید.

ソルターニーイェの遺跡はどこですか? خرابه های سلطانیه کجاست؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

8.ベヒストゥン بیستون

ベヒストゥン碑文は、アケメネス朝(ハカーマニシュ朝)の王ダレイオス1世(ダーラヤワウ1世)が、自らの即位の経緯とその正統性を主張する文章とレリーフを刻んだ巨大な磨崖碑。

イラン西部のケルマーンシャー州にある。

ダレイオス1世の碑文は地上100m以上の高い場所にあり、高さ3m・幅 5.5m の浮き彫りの周辺に、同じ内容の長文のテキストが、エラム語、古代ペルシア語、アッカド語(新バビロニア語)という3つの異なった言語で書かれている。

当初はエラム語の碑文のみであったが、壁画像を追加する段階でアッカド語と古代ペルシア語の碑文も増補されたと見られている。

エラム語は2箇所にほぼ同じ内容のものが書かれ、第1のものは323行、第2のものは260行からなる。アッカド語は112行からなる。

古代ペルシア語は合計414行からなる

ベヒストゥン碑文は古代ペルシア語の現存する最古の碑文である

また、浮き彫りの余白部分にも数多くの小碑文が掘られており、その大部分は浮き彫りで描かれた人物の説明である

碑文と同じ内容が記されたものがエジプトのエレファンティネ島出土のパピルス文書群から発見されている

このエレファンティネ島の文書から発見されたベヒストゥン碑文の写しは、アッカド語版を底本にアラム語に翻訳されたものであり、断簡ではあるが重要な資料である

またバビロニアからアッカド語版の断簡が発見されている

住所:9CRP+59W, Kermanshah, イラン [地図]



登録年: 2006年
登録区分: 文化遺産
営業時間:08:00~19:00

行き方:この世界遺産ベヒストゥン碑文のある崖はイラクとの国境に面するケルマンシャー州にあります。

この地方には旧石器時代から人が住んでいた跡があり、様々な時代の遺跡が残っています。

イランの首都テヘランから西へ500キロ以上と、イラン国内移動を考えても簡単にはいけない場所にはあるので、覚悟して訪れる必要があります。

外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:悠久の歴史を持つシルクロードの中継地、イランの世界遺産をご紹介

ベヒストゥンまで行って下さい。 لطفا به بیستون بروید.

ベヒストゥンはどこですか? بیستون کجاست؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

9.イランのアルメニア人修道院建造物群 بناهای رهبانی ارامنه در ایران

イランのアルメニア人修道院建造物群(イランのアルメニアじんしゅうどういんけんぞうぶつぐん)とは、2008年にUNESCOの世界遺産に登録された。

聖タデウス修道院(西アーザルバーイジャーン州)、聖ステファノス修道院(東アーザルバーイジャーン州)、生神女マリア聖堂から構成されている。

イラン北西部(いわゆる古代アルメニアの地域)に位置するこの地域は、キリスト教の揺籃期より、キリスト教(アルメニア使徒教会)を受容してきた地域である。

アルメニア人は、キリスト教を世界で最初に国教としたことで知られており、その信仰の中心地として、修道院が建設されてきた。

しかし、地質学的に地震が多い地域であることから、世界遺産に登録されている3つの物件は、大地震のあとに再建されたものである。

聖ステファノス修道院の再建は、15世紀に実施されている。

当時のイランを統治していたサファヴィー朝はアーザルバーイジャーン地方やアルメニアをめぐって、オスマン帝国と覇権を争っており、サファヴィー朝はアルメニア教会を保護する目的もあり、再建を支援した。

また、聖タデウス修道院の再建は1814年のガージャール朝の王子であるアッバース・ミールザーの手によって行われた。

ロシア帝国に圧迫されたガージャール朝もまた、アルメニア教会を保護する目的もあり、再建を支援した。

住所:West Azerbaijan Province, Qareh Kelīsā، St. Thaddeus، 3GRV+WP9 イラン [地図]



登録年: 2008年
登録区分: 文化遺産

行き方:イランのアルメニア人修道院建造物群は、イランからアルメニア方面北西部の国境付近に位置します。

日本からのツアーはないため、現地での手配が必要。

イランのアルメニア人修道院建造物群は、西アーザルバーイジャーン州にある聖タデウス修道院と、東アーザルバーイジャーン州にある聖ステファノス修道院、ゾルゾルの聖マリア礼拝堂それぞれ別々の場所にあるため、ツアーで訪れることをおすすめします。

外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:アルメニア文化の継承!世界遺産イランのアルメニア人修道院建造物群

タデウス修道院まで行って下さい。 به صومعه تادئوس بروید.

タデウス修道院はどこですか? صومعه تادئوس کجاست؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

10.シューシュタルの歴史的水利施設 تاسیسات آبی تاریخی شوشتر

シューシュタル (شوشتر) は、イラン・フーゼスターン州にある古代以来の要塞都市である。

州都アフヴァーズより北に約 92 km 離れたところに位置しており、2005年現在の人口は約9万人である。

シューシュタルは、アケメネス朝時代には Šurkutir と呼ばれていた。

この名前は、アケメネス朝の首都であったスーサにも関連しており、スーサよりも立派な都市を意味する。

サーサーン朝時代になると、シューシュタルはカルン川に浮かぶ中州となり、サーサーン朝における夏の首都に選ばれた。

カルン川は、シューシュタルを囲む堀の役割を果たし、東・西・南の三方にシューシュタルの町へ渡ることが可能な橋がかけられた。

シューシュタルのそばを流れる幾筋の河川がシューシュタル周辺の農業の発展に貢献した。

そこでは、サトウキビや主要農産物が生産された。

サーサーン朝のシャーであるシャープール1世は、ローマ帝国皇帝ウァレリアヌスを打ち破った際に、ローマ人捕虜を用いて、カエサルの橋と呼ばれる 550 m の長さに及ぶ巨大な橋梁・ダムを建設させている。

シューシュタルの周辺に張り巡らされた水利網を Ghanat と呼び、河川とため池や建物とを結び、シューシュタルの町に水を供給した。

戦時には、シューシュタルの城門は閉じられた。

これらの Ghanat 群は、今日でも、シューシュタルの地下室でも見受けられる。

19世紀になると、シューシュタルの水利施設は存亡の危機に立たされた。

結果として、19世紀以降、シューシュタルは衰退の一途をたどり、1973年にモハンマド・レザー・パフラヴィーがシューシュタルの再建に動くまで、衰退が続くこととなった。

住所:フージスターン, イラン [地図]



登録年: 2009年
登録区分: 文化遺産

行き方:シューシュタルの歴史的水利施設へ訪れる際は、州都であるアフヴァーズを拠点にすることをおすすめします。

アフヴァーズはシューシュタルの歴史的水利施設から約92㎞離れているため、運行しているバスをご利用ください。

所要時間約1時間半でシューシュタルの歴史的水利施設に到着。

最寄りのアフヴァーズ空港は、アフヴァーズ市内に隣接しているため、空港からタクシーですぐにアフヴァーズ市内まで移動できます。

外務省海外安全ホームページでは十分注意地域です。(2023年11月現在)

現地に行く時は、最新情報を確認してください。

参考URL:都市の繁栄を支え続けたイランの世界遺産!シューシュタルの歴史的水利施設

シューシュタルの歴史的水利施設まで行って下さい。 از تاسیسات تاریخی آب شوشتر دیدن کنید.

シューシュタルの歴史的水利施設はどこですか? تاسیسات تاریخی آب شوشتر کجاست؟

出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』